建設会社に勤めてんだけど、前に林道工事を請けたことがあって、
その下見にいったときの話だ。まだ施行計画も測量も先の話で、

航空写真を片手に部下2人と下見に出かけた。
林道工事でいちばん困難なのは大量に出る残土の処理場を確保することで、
これさえ決まってればあとはたいしたことはない。
舗装の必要もないし、力技で山を切り通していくだけ。
そのときは近郷の者が通る山道があって、
そこを車が通れる程度に広げるだけだったからわけはないと思ってたんだ。
麓にプレハブ小屋は建ててあったんで、そこで寝泊まりすることにして、
1泊2日で山に入ったんだ。朝から弁当を持ち、3人で山道を登っていった。

道幅は人ひとりが通れるくらいだったが、おおかた真っすぐで、


ほとんどこのとおりのルートで道を通せるという気がした。バカ話をしながら

ゆっくり登っていくと、部下の一人が「あれ、あれ何だ?」と言って、
右前のほうを指さした。見ると、木陰に黒い球体のようなものが漂っていた。
「あー、何だあれ? 気球か」 「真っ黒だな」などと言い合ってると、
それは急に上昇した。すると黒い玉の下のほうに、色紙でこさえた七夕飾りの

ような、赤、青、緑の細工物がぶら下がって揺れてるのが見えたんだ。
「子供の紙風船か、変わり凧かな」部下の一人が言った。
木立の後ろから急上昇したんで大きさがよくわからなかったが、
人工物のように見えたんで、その場はそれで終わった。
3時間ほど歩いて、高さは100mもなかったから、

平坦路をいくのとたいして変わりない。


湧水の出てる場所があり、近くには腰かけられる倒木があったんで、
そこで弁当を使うことにしたんだ。湧水をくんで飲んでみると、

6月だったが冷たくて美味かったのを覚えてる。
だべりながら食ってると、不意に道の向こうの草陰から小さな婆さんが出てきた。
80過ぎくらいに見えた。地元の人かな、それにしても健脚だなと思ってると、
婆さんから声をかけてきた。「あんたら、工事の人かね?」

まあ社名入りの作業服を着てたからすぐわかったんだろう。「そうです」

と答えると、「ここに林道でも通すだかね。開けちまうなあ」と言った。
別に隠すことでもないんで、
「そうですよ。お婆ちゃん、向こうの郷から登ってきたんか?
2時間はかかるだろうに、丈夫だねえ」とほめると、婆さんはニマッと笑って、


背中の包みを下におろし「あんたらも汗かくだろうに」と言いながら、
竹筒みたいなのから漬物を出して、箸で俺ら3人の弁当箱のフタに

のせてくれた。山ゴボウの味噌漬のようだった。「んじゃあの」

婆さんは俺らの前を過ぎていったんで「気をつけて」と声をかけた。
漬物は食ってみると強烈にしょっぱかったが美味かった。
・・・で、そのあたりから記憶がないんだ。
「もしもし」肩をゆすられて気がついた。
顔を上げると若い娘さんに肩をゆすられていたんだ。
「えっ」と思ってあたりを見回すと、かなり日が落ちたような感じで、
部下2人も倒木の前に弁当箱の中身をこぼしうつらうつら居眠りしていた。
娘さんがその前にいって同じように肩をゆすった。

2人も目を覚まして、あっけにとられたようにキョロキョロしていた。
時計を見ると3時をまわっていた。「んなバカな・・・」3時間は

眠っていたことになる。・・・婆さんの漬物に睡眠薬でも入ってたのか、
しかしありえんよなあ・・・そんなこと。
娘さんは長い黒髪で和服を着ていたが、粗末な野良着のようなもので、
今どき時代劇でしか見ないようなやつだった。
なんだか婆さんが着ていたのとよく似ているような気がしたんだ。
「あれーなんだ、寝ちまったのか」 「んー変だな、3時過ぎてる

じゃないですか」部下たちが口々にわめきだした。娘さんは、

「みなさん気持ちよさそうに寝てらしたんでどうしようかと思ったんですが、
このままだと山を降りる前に暗くなるかもしれないので、

 

起こしてしまいました」と俺に言った。「いや、助かりましたよ。

なんかタヌキにでも馬鹿されたように皆で寝ちまって・・・」
こう答えると、「タヌキですかぁ」娘さんはニコッと笑い、
頭を下げて草の中に消えていったんだ。何がなんだか

わからなかったが、もう向こうに下りる時間はないので引き返すことにした。
「俺たちどうしちゃたんでしょうね」 「・・・寝たんだよ、

そうとしか言いようがない」 「なんであそこで急に・・・」 「わからん、

とにかく3人とも体調不良で・・・とか報告書には書くしかないだろうな」
「それにしても、さっきの娘さん、あんな格好でもきれいな人でしたね」
こんなことを言い合いながら歩いていると、
頭上をふっと何かが横切ったような気がしたんだ。

見上げると、朝に見たのと同じと思える物体が上を過ぎていった。
さっきよりずっと近かったんで、黒い球体がかなり大きいものであること、
そのまわりを薄黒い霧のようなのが包んでいること、
七夕細工のようなのは6本あって、人の背丈ほどの長さがあることがわかった。
それはゆらゆらと漂っていたが、やはり急上昇して虚空に消えた。
・・・これで、話はほとんど終わりなんだが・・俺、何歳くらいに見えるかな。
60代?・・・そうだろうねえ。髪は真っ白だし、しわもあるしね。
だがね、こう見えてもまだ40前なんだよ。あのことがあってから数日で、
俺も部下2人もあっという間に齢をとってしまったんだ。
病院に行ったんだけど、原因は不明。何かの中毒とかでもなかった。
体調は悪くなかったんだ。ただ見た目だけが変わっちまった。


出張から帰ると家族が驚いていたよ・・・
何があったんだろうね、あの居眠りしている間に。
これじゃあまるで齢を盗まれたみたいなもんじゃないか・・・
 

*「ビジンサマ」 長野県方面にはビジンサマという名の

ものが住んでいるという伝承がある。姿は球状で、黒い雲に包まれ、

下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、
空中を飛ぶ。これが山を通る日には人々は山仕事をやめるという。

『ビジンサマ』