跨ぐ話
まずは「跨」という漢字について。足へんのほうは文字どおり
「足を止める」という意味、つくりのほうは「足を開いて立った
人が弓の上にいる」ということです。弓には魔を祓うという
役割があり、大切な神事の前に、矢をつがえないで弓の弦
だけをビンビンと鳴らすという儀式があります。ですから、
この字も呪術的な意味を持ってるんですね。日本では、
「箒を跨ぐと罰があたる、難産になる」などと言ったりします。
箒も弓と同じく魔を祓う役割を持つので、跨いではいけない
わけです。神聖なものの上に、不浄なものを通してはならない。
不浄なものとは、この場合、人間の陰部ということになります。
ですから、女性は難産になると言われているんですね。

呪詛の一つに、瓶の中に呪いが発動するものを入れ、呪う相手が
通る地面に埋める。そして相手がそれを跨ぐと呪いがかかるというのが
あります。『今昔物語』には、権勢絶頂期の藤原道長が寺の門を
くぐろうとしたとき、愛犬が吠えて道長の裾を引っぱり、ただ事では
ないと安倍晴明を呼ぶと、地面の下から呪いを仕掛けた瓶が出てきた
話が出ています。で、その手のことは現代でもあるんです。当ブログで
よく登場する霊能者のKさんが東南アジアの某国に行ったとき、夕飯を
市場の屋台で済ませようと人混みの中に入っていき、人気の店の前で
席が空くのを待っていると、後ろから何とも嫌な気がして、とっさに
飛び退いた。すると、Kさんが立っていたあたりをコロコロと白いものが
転がっていく。それ、特殊な加工を施した胎児の頭蓋骨だったそうです。

掃く話
上で箒が呪力を持っていると書きましたが、神社などで境内を
竹箒などで掃き清めるのも、たんにゴミを片づけるというだけではなく、
その場を清め、結界を張るという意味があるんです。『古事記』には
「帚持(ははきもち)」という役目の人がいて、葬式の列には
必ず加わっていたと書かれています。ただ、どういうことをしたのか
までは残念ながらわからないんです。また、江戸時代までは
「荒神箒(こうじんぼうき) 」というのが使われていて、これは
かまどを掃くための小型のものですが、かまどの神様専用で、
荒神箒で他の所を掃くのは忌み嫌われ、罰があたるなどとも
言われました。「ほうき」は「ははき」の音が変化したもので、
箒という漢字の「帚(そう)」の部分は、中国では酒をふりかけて

廟(道教の神域)の中を清めるということでした。また、日本では、
上記したように、箒は出産と深いかかわりがあります。これは自分が
懇意にさせてもらっている神社での話です。神職になったばかりで
まだ修行中の若い人が箒で境内を履いていたら、ただの砂地と
見えたのに、箒には指輪が一個引っかかって出てきたそうです。
指輪と言いましたが、じつはそれ、裁縫で、針があたる部分にはめて
痛くないようにする指ぬきというもので、古くなっていて価値が
ありそうもなく、捨てようとしたんですが、箒にからまって
どうしても取れなかったんです。これはおかしいと思い、先輩の
地位が高い神主のとこへ持っていくと、さっと顔色が変わり、
「呪詛に使われるものだ」と言って、すぐにお祓いになったそうです。

はめる話
前の話で呪いの指輪のことが出てきましたが、どういうい曰くのもので、
誰が呪いを仕掛けたのかは話してもらえなかったんです。
日本では、装身具としての指輪は一般的ではありませんでした。
これは翡翠などの玉類を指輪の形に加工するのが技術的に困難
だったからです。そのかわり、貝や玉に穴を開けた腕輪は縄文時代から
ありました。西洋では、古くから金属加工技術が発達していたので、
金や銀の指輪が古くから用いられています。これらの金属はやわらかいので、
日本でもできそうなものですが、指輪をはめる習慣はできなかったん
ですね。みなさんは映画の『ロード・オブ・ザ・リング』をご覧になった
でしょうか。あの話は、全体が一つの呪われた指輪をめぐる物語でした。
指輪は呪力を持つという考え方があったんです。

この意味はおわかりかと思います。指輪は自分で買うことは少なく、
婚約や結婚で人から贈られることが多いですよね。それだけに、
念がこもりやすいんです。また、『ハリー・ポッター』シリーズでは、
杖が魔法の発動体になっていましたが、西洋の魔導書には、
指輪を使って魔術を仕掛ける技も出てきます。日本でも、質流れ品の
指輪はあまりよくないと言われますよね。これはAさんという女性の方の
話ですが、贈られたばかりの指輪を、新婚旅行中の船から海に落として
しまったんです。タヒチの沖で水深は数百m、もうどうやっても
出てくるはずがないですよね。旦那さんは買い直してくれました。ですが、
このせいというわけでもないんでしょうが、だんだん夫婦仲が悪くなり、
4年後、とうとう離婚してしまったんです。子どもはいませんでした。

で、それから十数年がたち、Aさんは再婚して子ども2人。まずまず
幸せに暮らしてました。離婚した前の夫とは、養育費などの問題もなく、
ずっと連絡を取らない状態で、そのときは電話番号も、どこに住んでいるかも
わからなかったんです。それがある日、洗濯が終わって、脱水した衣類を
取り出しているとき、台所の床にカランと音を立てて何かが落ちた。
拾い上げてみると、なんとそれは、若い日にタヒチの海に消えた
あの結婚指輪だったそうです。よく似た別のものということはありません。
指輪には2人のイニシャルと日付が刻印されていたからです。
これ、不思議ですよねえ。海水浴で浅瀬に落とした指輪だって、まず
見つかることはないのに。この後の展開は予想がつくでしょう。
ほどなくして、前の旦那さんの訃報が伝わり、葬儀に出席したそうです。

洗う話
物を洗うという行為も、呪術的というか、神道と深い関わりがあります。
神道では穢れを嫌い、穢れた物は清めなくてはなりません。
ですから、掃く行為と同様、洗うのも深い意味のある行為なんです。
神社に行けば、鳥居をくぐった最初に手水場があります。そこで手を
清め、口を漱ぐ。そうして神にまみえる資格を得るわけですね。
また、昔話の「桃太郎」は、「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは
川に洗濯に・・・」という、あまりにも有名な書き出しで始まりますが、
このどちらも呪術的な行為と考えられます。おばあさんの洗濯は禊の
意味があり、そのために神へと意が通じ、長く子宝のない夫婦を憐れんで、
赤子の入った桃を流してよこした。そういう解釈もあるんです。では、
洗うことで祓った穢れはどこへ行ったんでしょか。川なら流れ去りますよね。

ところが現代では、その穢れが溜まる場所があります。そう、
クリーニング店ですね。ただ、今のクリーニング店は自宅でやるわけ
ではなく、工場に出してしまうので大きな障りはないようです。
あと問題なのがコインランドリー。コインランドリーで起きた
怖い話というのはかなりあるんです。どんな人が来るかわからないですし、
どんな穢れを持ち込むかも・・・ また、一人で夜、待っていなくては
ならないこともあり、怪談にはもってこいなんです。
よくあるのは、ぐるぐる回る機械の中を見つめていると、いっしょに
人の首も回っていた、などというもの。ありきたりとはいえ、
シーンを想像すると怖いですよね。あと、幼い子どもがかくれんぼで
入っていたのを知らずに機械を回してしまった、などというのも。

さて、最後のお話ですね。これは自分の知り合いの編集者、Uさんが
体験された実話で、Uさんは30代独身の男性です。一人で夜、
コインランドリーで溜まった洗濯物を洗ってると、一人のおばあさんが
紙袋を持ってやってきて、布団カバーとシーツだけを機械に入れた。
Uさんは待っている間、スマホを見てましたが、「うう、ううう」という
低い声がして、見るとおばあさんが下を向いて泣いているんです。
よほど声をかけようかと思ったそうですが、都会ですからねえ、
人に関心を向けていいことってないんですよね。ですから何もしなかった。
その3日後、近所で女性の高齢者が逮捕されるんです。介護に疲れて
やはり高齢の夫を布団の上から圧して殺した。Uさんはその夫婦に面識は
ないですが、あのおばあさんがそうだったんじゃないか、と考えるそうです。

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