こんばんは。私は米村といいまして、ある美術大学の3年生です。
専攻はデザインですが、日本画や洋画の授業もあります。それで、
その日の最後の時限の授業が日本画で、講師が西田先生だったんです。
ご存じかもしれませんが、西田先生は高名な日本画家で日展に何度も
入選されてて、この地方の新聞小説にさし絵も描いておられるんです。
それと、この大学のかつての卒業生でもあります。授業が終わって、
その日は実習ではなく講義だったんですが、質問したいことがあって、
教壇を去ろうとしている西田先生をお引止めしたんです。
先生は かけよって質問しようとする私を手でさえぎり「ごめんなさいね、
これから急な用事があって」 「用事ですか?」
「ええ、鑑定を頼まれたの」こうおっしゃいました。
 
このやりとりがあって、翌日西田先生は講義を休講にされたんです。
何かあったんだろうか?と気になっていましたが、今考えれば、
これが発端だったろうと思います。それから3日後です。
たまたま午後のキャンパスで先生をお見かけしたんです。
木陰のベンチにかけると、先生はていねいに私の質問に答えて
くださいました。それで話のついでに「こないだおっしゃられていた
鑑定って何ですか?」と聞いてみたんです。「ああ・・・そうね、
あなたに手伝ってもらうことがあるかもしれないわね。でも、
これはとっても危険なことなのよ」 「危険?」 「そう。
佐川宗助って知ってる?」 「・・・いいえ、芸術家の方ですか?
不勉強で存じません」 「画家だった人。でも美術史には残ってないわ。
 
業績は葬り去られたから」 「え、どうしてですか?」 「贋作事件に
かかわってしまったの、もう50年以上も前に。でもね、
とても才能のある日本画家だったのよ」 「贋作事件?」 「その方、
じつはこの学校の昔の卒業生で、しかも私の師匠でもあるの」 
「・・・鑑定って、どういうことですか」 「それがね、東京のある
個人美術館の収蔵庫で一枚の絵が発見されたの。そこにあるサインは
佐川と読める。でも、佐川先生の絵は事件のせいで、もう一枚も残って
ないはずなのに。それで私のとこに鑑定の依頼が来て」 
「本物だったんですか?」 「それがまだ見てないのよ。どうやら危険が
あるみたいで」 「どういう」 「その絵を見つけた係員が2名と、
その美術館の館長が亡くなってるの。絵には覆いがかかってたというけど、
 
その3人はきっと絵を見てしまったのね。そして3日以内に
ほぼ同時に亡くなった、3人とも心筋梗塞で」 「ええ!」
「偶然かもしれないけど、そうとも思えない。絵の経緯を知ってる
ものには特にね。それで、覆いをつけたまま見つかった絵は、
そのまま倉庫に保管されているの。だから私もまだ見ていない」
「そんなことがあるんですか。絵を見て人が亡くなるなんて」 
「・・・あっても不思議ないと思う。佐川先生の絵にはそれくらいの
力はあるのかも」 「信じられません」 「まあ普通はそうよね」 
「贋作ってどんな事件だったんですか?」 「・・・佐川先生は
昭和30年代、もうすでに有名な日本画家で、また浮世絵の研究者でした。
版画ではなく肉筆の。私はそのころ、建物は別だけど、この大学の学生で、
 
先生の講座に出ていたの。それであるとき、先生のもとに一枚の浮世絵が
持ち込まれ、鑑定の結果、本物で間違いないだろうってことになって」
「それで?」 「国立美術館に買い上げられることになったんだけど、
世間の目にさらされるうちに贋作じゃないかって話が出て・・・」 
「贋作だったんですか?」 「ええ」 「で、どうなったんですか?」
「浮世絵は先生が描いたものじゃなく、ある画商が持ち込んだんだけど、
そういう経緯のせいで先生の絵の作品自体も引き取り手がなくなって・・・」
「今でいうと世間からバッシングを受けたってことですね」 「そう」 
「その佐川先生は、贋作だとわかってて本物という結果を出したんですか」
「それがわからないのよ。先生は本物と思ったの一点張りでした。
でもそうだとしても、真贋を見抜けなかったって研究者としての名は
地に落ちたわけ。画商や制作者は逮捕されたけど、
 
先生はおとがめなしってことになった」 「で」 「先生の絵の作品も
ほとんど無価値になり、大学も辞めさせられた。何より痛手だったのは、
それからすぐ奥様が亡くなられたってこと。前から白血病だったみたい」
「・・・・」 「それでね、佐川先生が治療費を稼ぐために贋作グループに
手を貸したんじゃないかって憶測も当時は出てたの」 「佐川先生は?」 
「奥様の一周忌が過ぎて、手元にあった自分の絵をすべて処分して
神奈川の自宅で自殺された。事件のことについては一言も話してないから、
真相はもうわからないのよ」 「その佐川先生の絵が生き残ってた」
「そうだと思う。けど3人もの人が亡くなってるし、あなたには見せられない」
「先生は見る気なんですか?」 「何とかしてね。ほら、私も日本画家だから、
神道関係者には知り合いも多いし」 「どうなったのか教えてもらえますか」
 
そこで先生は少し後悔したような顔をしましたが、「いいでしょう。
ここまで話しちゃったんだから。だけど、あなたはあの絵には
ぜったい近ずかない。いいわね」 「わかりました」こんな会話になったんです。
その後に教官室で聞いた話です。それから西田先生の授業は一か月近く休講になり、
その間に主だった神社の関係者が集められて、絵を前にして大々的なお祓いが
続けられたそうです。このときにも、神職の方が2名亡くなられたと聞いています。
「それで、呪いは解けたんですか」 「たぶん。私もその絵を目にしたけど、
まだ死んではいないし」 「わあ、勇気がおありですね。それ、どんな絵
だったんですか」 「・・・異様な迫力があったわ。日本画だから細部までは
描かれてないけど、どこかの森ね。うっそうと繁った植物の間に小さな祠の
ようなものがあり、その中に石仏か道祖神のような苔むした小さな石像があった。
 
石仏の体のほうは風化した様子だったけど、顔だけがくきりした太い線で
描かれてて、とても怖ろしかった」 「どうしてそんな絵を描いたんでしょうか。
どうしてそれが今まで残っていたんですか」 「わからない。もしかしたら、
佐川先生が匿名でその美術館に寄贈されたのかもしれない。創立者は先生と
同郷の方だったし」 「異様な迫力があったっていわれましたが」 
「ええ、どうやってあんな色を出したのかわからない。全体が日本画で使う
緑とはまるで違う毒々しい色でした。いずれ分析がなされるんだと思いますが」
ということでした。「分析のメンバーには私も入っているのよ。たぶん大きな呪いは
解けたと思うけど、とても危険な仕事よ」 「先生、おやめになったらどうですか。
何が起きるかわかりませんよ」 「そうね。だけど、佐川先生にはずいぶん
お世話になったし、とても優しい方だったの。今の私があるのも佐川先生のおかげ
 
と言っていいくらい」西田先生は眼鏡の奥の目を細めてこうおっしゃったんです。
絵は今東京にあり、分析もそこで行われるということでした。それで私は、
結果をまた知らせていただあけるようお願いして、先生とお別れしたんです。
それから西田先生の授業はずっと休講が続いてたんですが、ある夜、
私のアパートの固定電話が鳴り、出てみると西田先生でした。
「どうされたんです。驚きましたよ。この電話番号、先生はご存じない
ですよね」 「大学から聞いたのよ。急な用事があって。それで一つ頼みがあるの。
私の教官室があるでしょ。そこに行って、カーディガンがかかった椅子の前の机の、
いちばん上の引き出しから、青みがかった毛の細い絵筆と、龍の彫刻がついた
ヒスイの水入れを持ってきてくれる。それ、中国旅行したときに買ったもの
なんだけど、どうやらあの絵、中国の絵の具が使われてるみたい。必要なのよ。
 
それから後ろの棚からシンナーを一瓶とパレットナイフも。教官室には
鍵がかかってるけど、大学の事務にいって朝市には開けさせるわ。
それから、電車で鎌倉駅で降りたら、タクシーに乗ってこの住所に届けてほしいの。
タクシー代とおつかい賃は出すから、アルバイトだと思って」 「それは
かまいませんけど。どうして鎌倉なんですか?」 「私も知らなかったけど、
佐川先生のご自宅、まだ残っていたのよ。廃墟というわけでもないわ。
お孫さんの家族が今も住んでて、理由を話してしばらくホテルにいってもらってる。
私はあの絵とともにここに来てるの。」 「鎌倉じゃないとダメなんですか」 
「わからないけど、そのほうがいいと思った。ね、とにかくお願いよ」 
「わかりました」 こんなやりとりがあって、私は8時に起きて大学に行き、用事を
すませて電車に乗りました。大学のある街から鎌倉まで1時間はかかりません。
 
それからタクシーに乗り先生の指定された場所に着いたんです。そこは古びた洋館
でしたが、人が住んでいる生活感がありました。
先生はかなり疲れたご様子でしたが、私が絵筆などを差し出すと、
にっこり笑って「あ、これよ。ありがとう。・・・これお駄賃」
そういって封筒を手渡され、「もう一つお願いを聞いてほしいの。明日までには
すべてが片付くはずだから、そうね、午前10時にはまたここに
迎えにきてほしいの。そのときにあったことを全部話すから」
西田先生はそう言って、長い影を引きずって屋敷へと戻られていきました。
翌日です。私が10時きっかりにドアのチャイムを
鳴らすと、インターホンに返答がありません。あれ、おかしいな。そう思って
ドアノブに手をかけると、くるりと回ったんです。「西田先生!先生!」
 
中に入ってそう叫びましたが、うんともすんともいわず、私は靴を脱いで廊下に
上がりました。長い廊下を進むと、居間らしき部屋の扉が開いてたんです。入って、
あたりを見回すと、画家に架けられた絵を前にして先生がソファにもたれて
おられたんです。両目は閉じられ、頬には笑みが浮かんでいました。
「先生・・・」私はほっとして先生の肩をゆすったんですが、そのとき先生が
息をされてないのに気がついたんです。でも、その顔には会心の笑みが
浮かんでいました。絶叫してへたり込んでしまいました。
救急と警察に連絡して・・・そのあたりは混乱して
よくおぼえていません。ただ救急車を待っている間、絵が目に入ったんです。
覆いはかけられていませんでした。先生がおっしゃったとおり緑の中に
石仏のようなものがあり、信じられない恐ろしい顔をしていました。その周囲が
 
白い西洋風の鉄柵で囲まれていて、冊には開いた白い薔薇の花が何本も
からみついていました。先生が描き足されたんだろうか。おぼえているのは
それくらいです。やがて救急車が到着し、先生は病院に運ばれて死亡が
確認されました。死因は心筋梗塞です。・・・ここからは後日談です。
絵の分析は続けられ、日本画なのに、油絵のように絵の下に別の絵が
隠されていることがわかってきました。厚く塗られた顔料が慎重にはがされ、
出てきたのは男女が並んで立っている姿の胸像。
どちらものんびりした、優しそうな顔をしていました。
たぶん佐川先生とその奥様なのだろうと思います。終わります。
 
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