たくさんの後悔と、鬱と。 | 9月生まれの青空。 ~医療ケアのある子・ユズとの暮らし~

9月生まれの青空。 ~医療ケアのある子・ユズとの暮らし~

※2017年6月 ブログタイトル変更しました   2010年9月26日。重症新生児仮死で生まれてきた長女ユズ。点頭てんかん(ウエスト症候群)による後遺症と今も闘いながら、医療的ケアのある生活を送っています。

私の日々は、たくさんの後悔でできている。

 

「あのときああすればよかった」

「こういえばよかった」

「私が強い気持ちを持っていれば」

「私に判断能力さえあれば」

 

全て、考えても仕方ないことである。

 

だって、過去だから。

 

 

そんなことはわかっていても、ひたすら後悔の波が押し寄せる。

 

そして、考えまいとすればするほど、その波はうねりを増していく。

 

 

ひどい時は、朝方まで眠れないほどに。

 

 

 

 

最近は、またこの苦しい波の応酬に眠れない日々が続いていた。

 

表舞台では、大勢の人を前にしている華々しいとも思える日々は、それと相対関係にあるように闇を深めていくように私には思えた。

 

何も手に付かない日々。

 

何も心に響かない日々。

 

何も、言葉を発せない日々。

 

 

まだ幼い次女にそんな母親の姿を見せたくなかった。

 

でも、自分ではどうにもならないのだ。

 

 

「まま、だいじょうぶ?」

 

と顔を覗き込む可愛い可愛い声を、無視したいはずがない。

 

それでも、

 

反応したら、

 

反応してしまったら

 

そこからもう戻れないほど崩れてしまう気がして、

 

何も、反応できない。

 

 

つい

 

反応してしまおうものなら、あろうことか次女への罵声になり、言わなくてもいいことまで発してしまうのだ。

 

それが正論であっても、いや、正論ならなおさら、彼女の心を壊してしまうことはわかっていた。

 

だから、押し黙る。

 

 

 

よく、「自分の機嫌は自分で取る」という言葉を目にすることが多くなった。

 

それは確かにそうだな、と全面的に納得してなるべく実行するようにしているが、

 

私には多くの場合、何か他のことを捨てて実行しないと、それはなし得ない策であるとも思っている。

 

 

例えば、

 

独身時代の私は思い詰めた時、誰にも告げずふらりと車を駆って隣県に旅に出てきた。

 

遠くに行くまでの勇気はなかったけど、煮詰まった感情をどこかへ押し流すには、それで十分だったように記憶している。

 

 

当時はせいぜい、1日有給を無理やりもらって文句を言われれば済むはなしだった。

 

なんならクビになったとしても、「また他の会社探そ」で済んだ。

 

 

それが今は、家族がある。

 

 

誰にも告げず、ふらりと隣県へ、なんて到底叶わない。

 

 

自分自身が経験したように、親が誰にも告げずに1日でもいなくなったら、大事件なのだ。

 

 

ならばせめて「誰かに告げて」行こうとすると、

 

その「誰か」はきっとこういうだろう

 

 

「どこに行くの?次女はどうするの?何日に帰ってくるの?仕事はどうするの?」

 

 

決して

 

 

「わかった。気をつけて行っておいで」

 

 

とはならないのである。

 

 

 

まぁもし「わかった」と言われたとしても、

 

自分のほうもきっと、

 

「実際は胸の中で心配や困ったとか、迷惑に思っているかもしれない。怒っているかもしれない」

 

と告げた相手に向けて想いを巡らせてしまって、

 

本当の意味での「ふらり一人旅」なんてもうできないのである。

 

 

じゃあ、なにで私は機嫌を取ればいいんだろう。

 

 

 

ちなみに、去年夏以降から解禁してきたアルコールは、体に不調が出始めて控えるようになってしまった。

 

 

なにで機嫌を取ればいいんだろう。

 

 

 

++

 

ちなみにだいたいのことは、金銭不安が原因になっている。

 

「お金がない」はほんとにタチが悪い。

 

おかねほしい。

 

 

値下げの時間以外にも不安なくスーパーで買い物できて、

 

荷物でギュウギュウにならない車に乗れて、

(田舎なので車は贅沢でなく必須。。)

 

子どもたちに新しい服を買ってあげられて、

 

知人へのお礼やお土産なども躊躇なく買えて、

 

苦しいと毎日思わなくても済むくらいの、

 

おかねがほしい。

 

 

 

お金を欲しがっちゃいけないと教わってきた自分の幼い頃の価値観が恨めしい。

 

生きるためにお金を稼ぐ、いろいろな道をもっと早くから知って自分の生きる力をつけたかった。

 

 

また、後悔だ。

 

 

そう。

 

しょせんこんな悩みは、考えても仕方ないことなのだ。

 

 

 

だとしても。

 

 

 

自分が追い詰められているかどうかは、自分が決めていい。

 

自分が助けてもらいたいことを、甘えだという人を無視していい。

 

自分の命をつなぐために、あがいたっていい。

 

 

自分自身に、どうか赦しを。

 

 

逃げた先に、光はきっとあるから。