突然ですが、私はもともと社会不適合者でした。

 

学生時代にいじめられっ子だったのは以前のブログでもお話ししましたが、とにかく人と関わるのが苦手でしたし、普通に人と接しているつもりでも『変わり者』と言われることが本当に多かったです。

 

授業中に一人あやとりに興じて先生から殴られたこともありますし、アルバイトをしてもコミュ障でなかなか雇ってもらえなかったり、雇ってもらっても失敗ばかりでいつも怒られていました。

 

 

特に第一印象でいいイメージを持たれることが本当に少ない人間でしたので、外見に対するコンプレックスが人一倍ありました。

 

ですが、『〇〇みたいになりたい!』という憧れの感覚を持ったことがなく、そもそも美しさとは何なのかということ自体がよくわかっていませんでした。

 

確かにクラスには可愛い、可愛い!と、もてはやされて人気の女子がいました。周りの女子たちは『芸能人の〇〇ちゃん可愛い!あんな顔に生まれたら勝ち組だよね!生まれ変わりたいなぁ~』などという子たちが多く、話を合わせてはいましたが、誰かになりたい、とかそういう感覚が理解できなかったんです。

 

なので、人気の女子を観察して、こういう顔立ちの人は人から愛されるんだな、とかこういう振る舞いをしたら人から好かれるんだろうな、という感じでなんとか受け入れられやすい人間に自分をフィックスすることに専念していた学生時代でした。

 

今考えると他人軸でしか生きていなかったとしみじみ感じます。

 

 

 

そして、思春期である高校時代。他人に興味がなかった私が、徹底的に他人と比較をし、優劣をつけるようになりました。

 

ちゃんと自分はできているのか?認められるのか?受け入れられるのか?他人よりイケているのか?いつも怯えながらも虚勢を張って生きていました。

気づけば美容にばかりお金をかけ、ダイエットをし、見た目を派手にすることに尽力していました。

 

外見を褒めてもらったりすることに喜びを感じる一方、他人に対して怒りを覚えるようになりました。自分を受け入れてくれない人のことを見下すようになってしまったのです。『こんな私を受け入れられないなんて、見る目がないんじゃないのか?』といった感じで。(怖すぎますね)

 

 

今考えるととってもおぞましいのですが、当時の私は斜に構え、他人の欠点を見つけることで自分を確立するようになっていたのです。

 

気づけば自分を受け入れてくれない人間=悪とみなし、その人の欠点ばかりにフォーカスを当て、批判をしたりするような人間になっていました。

 

そればかりか、褒められている人を見るだけで怒りが湧き、でもこういうところもあるよね。などと言って相手の評価を下げようとしたりもしていました。

 

 

愛されている人が羨ましくて仕方がなかったんですよね。

もはやエゴに食い尽くされていた青春時代でした。

 

今思うと本当にクズだなと思うのですが、若気の至りということで・・

 

なぜこんな赤裸々なお話をしたかというと理由があります。

 

自分が望んでいるわけではないのに、人が求める何かになろうとすると、人間は常に恐怖を感じながら生きなければならないということです。

 

私は本当の自分に蓋をしたまま他人に合わせて生きる、という生き方を選択した結果、気づけば異常にプライドが高く怒りっぽい人間になっていました。

まさに自分に呪いをかけているのと同じ状態だったと思います。

 

 

人間の『怒り』の根底には常に『枯渇感』『恐怖』があります。

よくアンガーコントロールといいますが、怒りの感情をコントロールするには自分の根底にある弱さを克服する必要があるんですよね。

 

ただ、アイデンティティが揺らぎやすい思春期にそれに気づくのは相当難しいことだと思います。

 

※詳しくは下記のブログをご参照下さい。

自己肯定感のからくり

 

・・・

 

私のこの歪み切った性格の弊害は社会人になっても続いていました。

が、この長い社会経験を経て現在では自分自身を取り戻すことに成功しました。

 

自分にかけた呪いは自分で解かなければならないのです。

 

このお話はまた後日させていただきますね。

 

ドラゴンアイ