今回は、ショージ・サエキさんと光軍の戦士さんの記事と
マッドフラッド エンドゥさんの動画を紹介しよう。

エンドゥさんのYouTube動画は
広島の原子爆弾の真相を暴いている
非常に重要な必見動画だ。
これこそが
我々日本人と世界市民が知るべき
歴史の重大な真実である。






私達の歴史認識では、広島と長崎にアメリカ軍によって
原爆が投下されて終戦したと思われている。

きっと皆さんの頭の中では
次のように考えていることでしょう。


B‐29が空から飛んできて原爆を落とした。


広島にはリトルボーイという原子爆弾が落とされた。


長崎にはファットマンという原子爆弾が落とされた。

このように考えている人達が大半ではないでしょうか?


しかし、これはデッチ上げられた作り話なのです。

実は、原子爆弾というものは、日本人が開発し
日本人の手によって地上で爆破されたのであります。

あなたの歴史認識では到底受け入れられない
かもしれませんが、これが事実なのです。

それでは、次をご覧下さい。


当時のアメリカの新聞には
「日本が原子爆弾を開発した」
と記事にしています。


しかも、上のニューヨークタイムズには
「初の原子爆弾が日本により開発された」
と書かれています。

しかし、あなたは「ドイツやアメリカならまだしも
日本が原爆を最初に開発出来るワケがない!」
と高を括っているかもしれません。

それでは更に次をご覧下さい。




写真は当時世界一の戦闘機と戦艦です。

これらは、ゼロ戦・大和・武蔵なのです。

どこの国の戦闘機・戦艦なのかと言うと
勿論日本であります。

つまりは、当時の技術力ナンバー1の国は日本なのです。

ですから、日本がどの国よりも早く原子爆弾を開発しても
それは当然なことなのです。

また、なぜ「広島と長崎」が原爆の被害を受けたのか?
という点です。

では、なぜ?広島と長崎であったのか?
ということについて説明します。


写真は戦艦大和と戦艦武蔵です。

この大和と武蔵に原爆開発が関係しているのです。

答えを先に言うと、大和の製造場所が広島(呉)
武蔵の製造場所が長崎(佐世保)となるからなのです。


写真は大和を建造した
呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)です。

戦前に秘密裏に製造していた巨大戦艦大和
の製造場所です。

機密事項であるがゆえに、外部に対しては
その存在を隠す手段が用いられていました。

戦艦の周囲には
漁具に使用される棕櫚(しゅろ)というものを利用した
すだれ状の目隠しが前面に張り巡らされました。

ドックには屋根を半分架け、
戦艦の長さがわからないようにしました。

また、ドックを見下ろせる山では
憲兵が警備にあたっていました。

そして、建造に携わる者には
厳しい身の上調査が行われていました。


写真は佐世保海軍工廠(させぼかいぐんこうしょう)
ですが、ここで戦艦武蔵は建造されます。

武蔵も大和同様、秘密裏に建造されますが
大和と同じようにその存在が隠蔽されました。

ところでですが、この大和と武蔵は
隠蔽する対象としてはダミーだったのです。

本当は、もっと隠したいことがあったのです。

ではそれは何か?というと
本来の隠蔽対象は原子爆弾開発なのです。

実は、ここで原爆が開発されていたのです。


現代社会では、コンプライアンスというものが
当たり前であり
企業秘密を外部に漏らしてはいけないことは
社会人であれば誰でも知っています。

しかし、戦前の日本においては
コンプライアンスという概念がありませんから
家族や友人にうっかり機密事項を
しゃべってしまうこともあるのです。

ですから、各国スパイに
「広島(呉)と長崎(佐世保)は何だか怪しい!」
と思われても、その実態が巨大戦艦建造であると
煙幕を張りたかったのであります。

原子爆弾開発を隠蔽したかったのです。

結論から言えば、大和(やまと)自体が
実は建造当初から原爆製造工場だったということである。

当初から非常に極秘に建造が進められ、戦後になって
ようやく、その存在が知らされるようになった大和。
その中では人形峠から発掘された
精製ウランが濃縮されて
幾つもの原爆が製造されていたに違いない。

起爆は地上にて行い
米軍とあらかじめ綿密に組んだイベントが行われた。


戦艦大和自体が、実は建造当初から
原爆製造工場だったことが分かっており
その証拠隠滅のため
自爆させたことも分かってきた。

戦艦大和は建造当初から
原爆製造の秘密が明かされてしまうのを隠すため
自爆する設計が施され、そのような計画の下
建造後は活躍の場を与えず
終戦近くなって御用済みとされた。

爆煙をよく見てほしい。
沈むなら何十発も受けた砲弾で沈没するところ
胴体を真っ二つにしたほどの爆破。


そして原爆は現地製造、現地爆破したのです。

初期の原爆は
ちょっとした振動でも爆破する危険性があったので
車や飛行機で気軽に運搬できるはずがないのです。

原子爆弾は核融合によって爆発するので、
いつ爆発するのか読めないのです。

ましてや、人類初めての原爆が
広島市の上空600メートルとか、500メートルで
都合よく爆発してくれることは奇跡に近いのです。


このように考えると、広島市や長崎市の現地で
原爆を組み立て、遠隔操作にて地上爆破したと
考えるのが自然なのであります。

つまりは、アメリカは原爆を投下していないのです。

これが真実で、本当の日本の歴史なのです。


写真は広島に原爆を投下したとされている
B-29(エノラゲイ)です。

こんな図体のでかいプロペラ機が
原爆を投下後に直ちに旋回して
爆風から逃れることができるのでしょうか。


【俺のコメント】
広島と長崎の原爆は
B-29(エノラゲイ)が空から投下して
上空で爆発したというのは嘘なのだ。

こんな巨大な物が↑B29に搭載は無理。

そもそも、原爆が上空で爆発したなら
B-29の機体も爆風で木っ端みじんだろうが。


原爆の真実は地上起爆だ。

『地上での火炎がはっきりと見られる。
これ爆発地点ほぼ地上じゃないのか。
原爆爆発の高度が全然違う。
我々が知っている「史実」と』

★ここで『光軍の戦士』さんの過去記事も
是非読んで頂きたい↓


国連(左)の写真は、地上から炎が湧き上がってるし
植物の輪郭もくっきり
ところが広島新聞では、あたかも空中炸裂したかのように
火炎が修正されている。


萬代橋に焼き残された白い影を見ると
閃光は垂直に昇っていったようです。

光源が低い時の白く長い石柱の影は
光源の上昇に従って焼き消される。
横棒の白い影の巾が証拠。
 

日本の科学者が原爆報告書に描いた図もそうだし。

広島の原爆写真は、火山が噴火するように
下から爆発しているように見える。


1945年8月9日 長崎の原爆で焼き残された植物の白い影
光源が地上にあったことを示す写真。
壁に焼きついた花が爆心地付近で発見されてますから
上空爆発ではありえない事。

上空からなら地面に焼きつくんですよね。
原爆というより開放型原子炉という感じ。





原爆は日本製でした。
1940年7月6日、ネイチャ―が
理研が行った核爆発の実験結果の
解析の一部を掲載していた。

あの当時、空中起爆できる技術など
世界中何処にもなかった。


当時では、最先端のサイクロトロンから
中性子を加速させて打ち出して
ウランにぶつけて爆発させてるから
空中から落としてなんて出来る代物じゃ無かったって事。


(当時の原爆を開発したのは、日本人の科学者たちであり
理化学研究所のメンバーだったのだ!)

原爆製造の中核が、理研だったとは・・・

理研という組織は
まさに、イルミナティの代理組織そのもの。

国家対国家という枠組みでしか
物事を見ることの出来ない人には
今、世界で起こっている出来事の
真相を到底理解出来ない。

国家というのは、イルミナティにとって
道具でしか無いのだから。

それは、イルミナティの高位の代理人にとっても同じ事。

国が破壊されようが、国民が何百万人死のうが・・・
彼らには、何の痛痒もない。
彼らにとって、ゴイム=家畜なのだから。
家畜が、死のうが悲惨な目に遭おうが
何の関係も無いこと。

それよりも、彼等の教義を実践することのほうが
はるかに上位に位置づけられている。
その教義とやらは悪魔信仰であることが分かっています。
人口削減もその一環に過ぎない。

日本もアメリカもすべて
国際金融資本=イルミナティのラインでつながっていた。

戦争は、彼らのアジェンダを推進する
一つのイベントに過ぎない。

戦争しているから、敵対国であり
敵であると勘違いしないこと。

世界の真相は・・・
国家だの愛国心だの・・・といったものは
全て、我々が抱いて来た幻想に過ぎないものであることを

我々は知るべき時が来たのだ。


広島と長崎で、原爆実験をやった人間は
絶対に許す事は出来ない。
徹底的に追及し、裁かれるべきである。




「坂本九のアメリカのレコード写真」
坂本九が上空に指をさしている。
腰を掛けているのは「火薬」と書かれた箱である。
上空に注目しつつ、火薬は地上にある。

8月6日(広島の原爆) 8月9日(長崎の原爆)


永六輔 中村八大 坂本九 689トリオ


坂本九と689トリオが、命をかけて伝えたかった
「原爆地上起爆説」