念願の大避神社に行って参りました!


ちょうど桜も咲いて気持ちよかったです。


巡礼仲間と昼ごろまで参拝をして、それ以降は花見をしました。



イクド・ルシェル巡礼 イクド・ルシェル巡礼

上左写真は、大避神社付近の文化財マップです。非常に珍しい地形です。ここが聖地であることはこの地形を見るだけでわかります。


本来であれば北側を流れています※千種川 ※が南に貫通していてもおかしくない地形。しかし、ぎりぎりのところで西に流れて、もうちょっと先で海に注ぎます。


こういう地形は、岩盤が河の流れを変えているという視点から龍神や石神、天石門別、天手力、イドメ神などが祀られました。大避神社があります坂越という地名が昔は、シャクジと呼ばれていたということも、この地形がミシャクジの地形であることがわかります。


ミシャクジ(ミサクチ)なので、御サ口です。サの神の入り口という意味でもあるでしょう。武蔵はムサシモ、相模はムサシモからきていると言われています。


諏訪大社で最も大切な行事は、ミサヤマ神事です。これらのことを考えると、この大避神社の起源が縄文にまで遡るのは明白です。そこに最終的に秦河勝公が載ってきている。そこが本当に不思議です。


高知の秦氏の巨大寺院・秦泉寺も古墳時代後期の豪族古墳のすぐ近くに建てられています。つまり、なんの軋轢もなくすんなり秦氏が巨大寺院を建設しているのです。


これは、秦氏の一部が日本人であったということ以外に説明ができません。つまり、唐の文化(景教など)を理解した人たちの中に秦氏を名乗る日本人がいたのではないかということ。もっと言いますと、それが当時の日本人のステータスになっていたのではないかということなんです。


一昔前に、日本の中で西洋といえばチヤホヤされていたように。。。




大避神社は秦河勝を祀ってるんですけれども、私にはそれ以前の文化が異様にクローズアップされました。



また、千種川は物部氏の※十種神宝 ※と深く関わっているのではないかと思いました。


千は、10の3乗ですが、別ブログで千を金星 としました。


つまり、物部氏の十種神宝(とくさのかんだから)を3ターン使えば、千種になるわけです。千に格上げされると金星が表れるわけですので、これはほとんど皇室守護の祭祀といってよいと思います。


欽明天皇は伊勢内宮元宮とも目される明星堂を朝熊山に創りました。


そして嵯峨天皇も。。。皇室と金星の関わりは枚挙に暇がありません。


しかし、何時の頃かそれらの信仰は表立って歓迎されない時代も続き、北極星信仰を持っていた菅原道真は左遷され怨霊となりました。


この国の祟りに纏わる話は、ほとんどの場合、日・月・星信仰絡みといってよいと思います。



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大避神社の奥宮は宝珠山妙見寺


ここの妙見堂には、妙見大菩薩(北極星)と虚空蔵菩薩(金星)が安置されています。


今までの巡礼の感覚から申し上げるとほとんどあり得ない構造です。


金星は火を表しており、北極星は水を表しています。ほとんどの場合、それぞれが単体で祀られています。


金星が女神になっている場合もありますが、その場合も妙見の女神と習合して2つが同時に祀られている例は、未だに知りません。


しかし、ここは奥の院である明星水の周りに88箇所が円環巡礼的に配置され、まるで『水』(北極星)の中心部分(核)が火(霊)であるということを語っているかのようでした。火の回りに水が張り巡らされている、まさに竹生島ですね。。。


恐ろしいほどの霊的意識です。


妙見寺の拝殿の後ろを向きますと上右写真の秦河勝公のお墓があります生島がきれいに見えました。


私には、2つの峰(男山と女山)が見事に和合しているかのように見えました。こんな美しい姿はなかなか見られません。


5年前に茨城県に行った時 に、つくば山と龍神山がちょうどこの生島と同じ構造をしていました。


つくば山の紫峰は本当にきれいでした。


当時、龍神山の峰が削られる工事がされていて、下に車を停めて近所の方に聞いて細い道を歩いていきましたら、トラックがたくさんいて今まさに山を削っていました。非常にショックでした。


生島はきちんと守られていて、周辺地域の文化的遺産になっているので素晴らしいと思いました。



その和合はある意味、前回書いた尾張富士 の金とも似ています。


タケルの太陽神と男性性と女性性が完全に和合して出てくる金。これが不二(富士/藤)であり、金胎不二。


そして、それが不死身になる。まだちょっと捉えきれない部分もありますが、そのうちわかってくると思います。



地名辞典が手元にないので正確なところはわかりませんが、よく考えてみれば赤穂は赤い穂と書きます。これは凄まじい太陽信仰を表していますし、アコウで私の光とも訳せますし、一光とも書ける。武庫の六光とも対応しそうで面白い。


コウ(荒)が天照荒魂なら瀬織津姫を表しますし、【荒む】だけをとればスサノオともとれます。



明石が赤石ならば、何かこの一帯には、権力を表す丹生の赤を意識していた豪族がいたのではないかとも推察できます。


そこに聖徳太子の影がちらちらと見えているので、これはいよいよ怪しいかな、と思ったりしています。


元々、京都広隆寺の境内にも大酒神社がありまして、昔は、その大酒神社が京都3大奇祭の祭りをとりおこなっていたようですので、牛の角というのは、左右一対で生島と感じが似てますよね。しかも牛頭で五頭、つまり物部氏。鬼の角とも言えます。


この生島から少し西に行った岡山県備前市には日本のエーゲ海と言われる窓という土地があります。この土地の歴史は古く、神功皇后伝説もあります。ここでも牛。東には姫路の廣峰神社。牛頭天王の総本山とも言われています。


ここの北極星信仰を見ますと、ここに牛頭の何らかの起源があることは間違いがないです。



宝珠山妙見寺には小さい獅子岩が祀られていたんですが、菅原道真が亡くなられた時に長子の高視が滞在していた土地は潮江(牛尾江)と呼ばれ、高視の元に道真の遺品が、伊勢外宮神官の度会春彦によって届けられ日本初の天満宮が創建されたのですが、この牛尾江背後の山には巨大な獅子岩があります。牛と北極星信仰というのは非常に密接な関係がありまして、それは単に、牛頭天王だから北極星なのは当然だ、というレベルのものではないです。

なぜならその高知の牛尾江からずーっと遡ったところに石鎚山があり、そこに弥生時代からの父・母・子/三位一体信仰があるからです。牛頭=北極星=疫病=蘇民将来という文化が入ってきてスサノオに習合されたというわけではなく、もっと深くて複雑な信仰が日本にはあります。


だからこそ、赤穂や備前の牛信仰が、秦氏の三位一体と完全結合するわけです。


高知の知人が昔、ハタオリは※ハトホル ※だと言ってました。まさにその通りで、ハトホルを用いるならば、太陽と牛と女神、そして秦氏の謎の部分もある程度説明できるわけです。



話を戻しますと、牛窓の※安仁神社 ※。古くは備前国一之宮ですが、藤原純友に味方したため一之宮の社格没収。かっこいいですね。光る反骨精神。安仁(アニ)が鬼(オニ)であり、鰐(ワニ)にされて封じられたのは明白ですね。



今から取り戻していかなければならないと思います。我々、日本の先住民が美しく平等に調和していた文化というものを。それは修験道に他ならないと言えば他ならないのですが。。。



私たちが失った文化というのは、非常にオリエント色が強く、多民族国家的な色彩が強い文化でした。





※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用


  
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