命拾いしたわたし

住んでいるところがたまたま埼玉だったから

それだけ。


就活生であるわたし

地震が起きたとき、一人神保町のカフェにいた
説明会までの時間つぶしをしてた

周りに人はたくさんいるのにひとりぼっち
恐怖で慌てるひとびとをみて、私は冷静だった

冷静なつもりだった

でも足は震えてた

「立ちすくむ」っていう意味がわかった
文字通りの意味だった

当日はやっぱり説明会があった
でも、途中でこれ以上面倒を見切れないから・・・

危険だから帰宅してください

と言われる。

無論、電車もバスも動いてないから
埼玉までは、とてもじゃないが歩けないと思った

「なるべく同じ方向の人と帰ってください」

小中学校ではないので「同じ方向」にかなりのばらつきがある

結局、私含め学校も学年も志望度も違う7人が集まった
マックもレストランも手一杯
すでに帰宅を諦めていた私、

「居酒屋いこう!」

勿論一発却下だった。
しかし、いくらさまよっても場所はない

結局居酒屋案が通ったのであった

5:00amまで居座れるところを厳選
なんとか確保できた。

しかし、店の人はたった2人

この地震でスタッフも出勤できてないという

なんということか!

それにも関わらず受け入れてくれたことに我々は感動した

居酒屋経験者が数名降り、何度も手伝いたいと熱い想いを吐露していたが・・・

ひとつの注文が出てくるまで30分から一時間かかる

しかし、店員さんは笑顔だった ステキだった

18:30から5:00まで

ずっとそこで過ごした

初対面の同士。

一人ひとり濃くがあって、仲良くなるって感覚はなかったのが残念だったが
それでも、一人で過ごすのではなく彼らと一緒に夜を過ごせて本当によかった


あくる朝、まだJR電車はうごかず

ここで数名が自力で帰宅するということで別れを告げた
連絡先は交換しなかった。 そこまでの仲だったのだろう

身を寄せる場所もないので、唯一動いていた丸ノ内線に乗り込む
温かい場所、座る椅子があるからだ

さほど混雑はなかった

池袋から荻窪間をに往復した

やっと数十分ではあるが、眠ることができた
ありがたかった

乗客の中に朝刊を読む人がいた
そこで初めてことの大きさを知った

携帯電はは電池がきれていたので何も知らなかったので。

一面に出ている写真はまるで・・・・。
かつて歴史の教科書で聞いたことがある「火の海」というやつだった

信じられなかった。

しかし、それでも詳しいことはわからなかった

わからないままに、説明会へいかねばならなかった

その説明会がこの混乱のなか、実地されるかもわからなかったが
歩いてでも行こうと思った

行かねばならないという感じがした

丸ノ内線で新宿まで出てきた私たち、いよいよ残っているのも私ともう一人だけだった

彼はノリがよく、最後まで一緒にいてくれた
ありがたかった

一人っ子な私はひとりになれていたはずだった
しかし、この混乱の中一人でいたら不安と恐怖で押しつぶされていただろう

知らない人でも、初対面でも誰かと声を掛け合うこと
存在を認め合うこと、一緒にいること

これがどんなに心を落ち着かせてくれるだろうか
そんなことを学んだ


まとまりのない日記だけれども

あの日あの時、わたしだから感じたこと
経験したことを記しておかなければならないというきがしたので
ここに、ネット上に文字を残しておきたいと思う

生き残った私たち

悲しい悲しいといってばかりいられない
毎日TVから流れてくる悲痛なさけび、恐怖の映像、目に見えぬ不安、人々の涙

本当に苦しい

でも一緒になって悲しんでいても被災者が助かるということはない
募金とか、メッセージとかやれることはやる。

そして、私はいま、自分の未来のために岩手、福島で就活ができなくなった
仲間の分まで就職活動していこうと思う。

私のできること、私の力なんてきっと何かを変えられるほどのことじゃないけど
地震の影響で日本経済が受けた打撃を何年かかってでもいい、
私たち若者が支えていきたい

この危機で、わたしたちの中にあったココロが目を覚ました
みんなでがんばろう、支えよう、一日でも早く助けたい

その強い気持ちをみんなが自覚してる

世界からメッセージがとどく
スーパースターだけじゃない

個人個人の友だちから、世界中の友だちから大丈夫?がんばれ!のメッセージが届く

私は日本人であることをこんなに誇りに思ったことがないです

一歩で過ぎたことを言えばすぐさま「不謹慎」って言われちゃうかもしれない
でも、私はTVからMIxiからFacebookから、携帯メールからいろんなひとからの
眼に見えないパワーを感じる

原子力とか、各地方で起きてる地震(余震)とか
これからどうなるの?っていう不安は続くけそ

きっと日本は大丈夫

このピンチを乗り越えて、もっともっと強く
もっともっとステキな誇り高い国になるって信じてる


いまは祈ることしかできないかもしれない
どうか安否不明な人が一分でも早く見つかりますように
離れ離れの家族が一時間でも早く会えますように
寒さや、飢えで体調をくずすひとがいませんように
助けに来てくれている自衛隊の方、外国のレスキュー隊の方、軍の方
どうか怪我には気をつけて

そして亡くなられた方がた、ご冥福をお祈りします
一生懸命生きていきます