来年のNHK・大河ドラマの主人公が「紫式部」で、話題になっているとのこともあって、ゆかりの地である京都の雲林院(うんりんいん:大徳寺の境外塔頭)を参詣しました。
雲林院の歴史には紆余曲折があったようです。
かって平安時代は紫野一体を占める大寺院(紫野院)で、古今和歌集や源氏物語などの文学にも登場しました。
しかし、鎌倉時代になって敷地内に大徳寺が創建されると、徐々に衰退していき、室町時代には焼失しました。
その後、再建されましたが再び衰退し、観音堂と門だけが残されて現在に至るそうです。
この案内板には、「源氏物語(紫式部が作者)ゆかりの地」とあり、文末には、「ここより東方360mの堀川通の西側には紫式部の墓伝承地がある」と記されています。
手水舎
観音堂で、本尊は十一面千手観世音菩薩
観音堂の右には賓頭盧(びんづる)尊者
紫雲弁財天
僧正遍昭の歌碑で、「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」(古今和歌集、百人一首)
大徳寺塔頭・真珠庵には「紫式部産湯の井戸」があり、紫式部はこの周辺で生まれ育ち、晩年も雲林院で過ごした、といわれています。
帰りに御朱印を頂こうと思いましたが、無人で受付もなく、庫裏らしき所のドアホンを押すと若い女性が出てこられて、無事に書き置きですが拝受できました。
御本尊の観世音菩薩に因んで、「観自在」とあります。
雲林院を後にして、紫式部の墓所へ向かいました。
堀川通りを少し南へ進むと、通りに面して紫式部墓所と記された碑が目に入りました。
傍には、紫式部顕彰碑(1989年)が建てられており、角田文衛氏(文学博士)の言葉が刻まれていました。
読んでみると、
藤原為時の娘として973年に生まれ、1006年藤原道長の長女に仕えた際に式部と称した、とか。その後執筆した源氏物語の女主人公紫の上に因んで、「紫式部」と呼ばれたとのこと。
1964年には、ユネスコの世界の偉人にも選ばれた、とも記されていました。
なお紫式部の邸宅は、平安京東郊の中河の地とあり、現在の「廬山寺」辺りとのことです。
廬山寺のHPを見ると、紫式部邸宅址・源氏物語執筆地とあり、上図と同じ角田博士による顕彰碑(1965年と20数年前)も建てられているそうです。
こうして見てくると、紫式部ゆかりの地は、雲林院を含む大徳寺辺りと廬山寺辺りの2箇所あり、
・大徳寺塔頭・真珠庵で産湯を使い、
・廬山寺辺りで育ち、その間に源氏物語を執筆し、
・晩年は雲林院辺りで過ごして、近くに埋葬された、
ということになるようですね。
NHK・大河ドラマの「光る君へ」の撮影も京都で始まったようで、紫式部ゆかりの地がどのように扱われるのか、も注視したいという思いが強くなりました。
最後までご覧頂きまして、ありがとうございます。