問いを持つことの大切さをつくづく考える。

人間が究極に辿り着くためには、この世界に疑問を持ち、その疑問を糸口として、自ら質問し自ら答えていくことを繰り返さなければならない。

魂本来は、そんな問答は必要ないでしょう。そもそも何者でもなく、円環なる「時そのもの」なのだから。。。

でも、始まりがあり終わりがあると直線的な「時の流れ」に入った瞬間、私たちの脳は活動し宇宙を生み出す。

この宇宙、すなわち直線的な時の流れの呪縛から解き放たれるためには、糸口を掴まなければならない。それはまるで絡まった糸を解くために端緒を見つけるかの如く。

自分はどこから来て、どこへ行くのか?
この世界とは一体、何なのか?
時間とは一体、何なのか?

その問いに対する思考を繋いでいき、究極の問いを断ち切った瞬間、、、私たちは「知る」のだ。

私は問いそのものであったこと、答えそのものであったこと、宇宙そのものであったこと、時そのものであったことを。。。

長い長い旅に出ていたような、でも今ここから1mmたりとも動いたことなどなかったことを「知る」。

問いなきところに糸口なし。糸口なきところに「知る」ことなしなのでしょう。