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「勇敢な女たれ! 優雅な男であれ!」

 
 きょうびの日本では『妻のトリセツ』という本がヒットしているらしい、とか。「おとこ脳・おんな脳」というフレーズがいまだ流布しているのでしょうか? であれば、おぞましい話です。


 脳の性差でもって異性の行動形態を語ろうとするのは文化風土に固執する価値意識と、「男は男らしく、女は女らしく」の期待感の反映なのでしょう。この期待感、わかりやすく言い換えると「主人と奥方の関係性を絶対的に維持したい意思」です。家族という共同体の支配権を持つ主人と、出産育児家事労働の使用人である(表に出ない)奥方。アンコンシャス(意識されない偏見)ならぬ、コンシャスバイヤス(意識的な差別)です。


 価値観は時代とともに移り変わるものです。それを絶対化されて行動が制約されたら、どっかの国の国民みたいになってしまいます。奥方が使用人ではないように、主人は経営者ではありません。男女平等は正しいことではなく、社会的にも家庭的にも男も女もない――各自の人格によって役割と責任を担うべきなのです。どちらかの集団に逃げ込んで埋没して安堵するのは、人格陶冶の劣化かもしれません。

 

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