現政府に知性はあるのか? やらないことのリスク | 知識人を目指す、本のある生活!!
新型コロナウイルスに関する情報について

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 以前何かで『知性とは、これまでに遭遇したことのない新たな状況下において、如何に的確に対応できるかである』といったような内容を読んだことがあります。

 

 そのような定義を念頭におくと、新型コロナウイルス感染についての政府の対応は驚くばかりです。

 

 専門家が『この1~2週間が感染が飛躍的に拡大するか、収束にむかうかの瀬戸際だ』的な発言をするなかで、

 

 大切なのは、ここでどのような対策を行うかではないでしょうか。

 

 最悪のシナリオを迎えるか、よい方向に向かうのか、成功する・失敗するはともかく、何かを行ってこそ、あの政策は成功だった、失敗だったと分析や反省が可能になるのではないでしょうか。

 

 『ここが正念場だ! さあ、寝てまとう!』なんてリーダーを見たり、聞いたりしたことがあったでしょうか?

 

 自分達では責任を一切とらず、断片的な情報だけを流し、「あとは現場の判断におまかせする」というのが政府のやり方であるのは間違いありません。

 

 安倍政権の政策は遅きに失しています。本日になって急に『「中止・延期」を要請する』という発言がでてきました。

 

 私的には週明けすぐにこのコメントがでてくるものと考えていました。責任逃れをしようとしたが、連日の報道をみて、これではまずいと、方針を少し(ここも『劇的』ではありません。)変えてきたようです。

 

 新型コロナウイルス感染に関して、いまだに政府の危機感が伝わってきません。

 

 連日の報道をみて、感染は「感染の封じ込め」(残念ながらこれは失敗してしまった印象です)のステージから「感染拡大(具体的には深刻さ)をいかに食い止めるか」というステージに来ていると感じます。

 

 個人的には、風邪だと考えられる症状の人は全て新型コロナウイルス感染と考えるぐらいの態度でもよいと考えます。

 

 ウイルスの検査が容易に行えるのであればこの態度はやりすぎかもしれませんが、検査もろくに行えない状況であればそれぐらいの態度で臨むべきだと考えます。

 

 重症化するケースがあるので、強い倦怠感、呼吸困難感などの強い症状を持つ人はしかるべき対応、措置が必要ですが、無症状から軽症の人は「ウイルスにかかっている可能性があると認識した上で、自宅療養すべき」だと考えます。

 

 医療機関にもキャパシティがあります。軽症の人や、かかっているか心配な無症状の人までが医療機関に殺到してしまうと、医療機関はその役割を果たすことができません。

 

もっと難しいのは、検査が本当に陰性だったとしても、医療機関を受診している間に本当に陽性の人から感染してしまうケースが存在しえることです。

 

名言されていませんが、政府はおそらくこのような見解を持っているのだと考えます。

 

だからこそ、「軽症の人は自宅待機を」と呼び掛けているのでしょう。

 

政府はステージが変わったことをにおわせているものの、そこにおける説明や対応の変化が明確でないのが問題です。

 

日本の初期対応がどうだったかはおいておいて、世界的にみて、新型ウイルス感染の初期の封じ込みは困難なのは明らかだと考えます。

 

そうであれば、私個人としては「封じ込めを試みたが、感染の封じ込めは失敗に終わったと判断せざるを得ない。世界的にみても、感染のリスクはかなり高く、誰もが感染しうる。風邪の症状があれば、新型ウイルス感染と考えてもらってもよいほどだ。全体的にみると重症化しない人の割合の方が高いため、今後の医療機関の役割は、重症化する人達をいかに早期から対応し、最悪の結果を防ぐかが大切な時期に来てしまっている。症状の軽いもしくは無症状の方々は、あわてずご自宅でご療養を。強い症状がある人は躊躇せずに医療機関の受診を」ぐらいの説明でいいと考えます。

 

安倍政権は終わっていますが、各都道府県や自治体、各企業は捨てたものではありません。中央政府の無能さを、理性をもって補っています。

 

ファイーストリテイリングの柳井さんや福岡市長の高島さんは、著書などで「やらないことのリスク」に言及されています。

 

企業や組織は、一時の成功に安心していたらすぐに衰退してしまう。やらないリスクを認識し、常に状況を改善するための努力を続けるべきだとされています。ましてや、今は新型のウイルス感染に対して国を挙げて取り組むべきときです。この状況でも「何もやらない」政府には何も期待できません。

 

某大臣も「謝罪する気はないが、反省はする」そうです。もうどうでもいいことです。「謝罪しようが、しまいが、事実は変わらない」その通りです。何かこれを挽回するような行動があれば「さすがだ」となるはずです。特に何も行動しないまま「謝罪しないが、反省する」ことに意味はあるのでしょうか。「反省しているのが伝わらないことを反省します」。「反省」とは、言動を分析して次の言動に活かし、状況を改善する時に使われる言葉です。分析もなく、建設的な言動もないので「反省」にならないのです。

 

「反省」を伝えるのは神妙な表情や態度ではなく、「次の言動」のはずです。

 

重要な会議に出席せず、地元の有力者と会合していた大臣連中は「私たちは別に会議にいてもいなくてもいい存在(代替可能)。ただし、次の政治を勝ち抜くためには、地元の有力者が一番大事」なのでしょう。

 

カルロス・ゴーン氏の事件の真相や、罪の詳細については存じ上げませんが、「こんなどうしようもない人達に裁かれたくない」とは私も思います。

 

「ゴーン氏が有罪か無罪かは、国外逃亡をした理由にならない」とありました。「無罪だったら、法定でそれを証明すべきだと」

これについてはすでに大臣がたたかれていましたが、有罪か無罪かは別として、こんな適当な人たちに国をまかせててよいのでしょうか。

被告人が無罪を証明するのではなく、原告・検察側が有罪を証明すべきです。そうでなければ、でっちあげられた冤罪の無罪を証明などできようはずもありません。

 

「幽霊が存在しないことを証明してみろ」など証明できたものではありません。

 

日本のシステムが「仮に」しっかりしていても、それを担当する人間がどうしようもなければまともに機能しません。

 

冤罪はどれくらい存在しているのでしょうか。法務大臣があんな発言をする国家で冤罪がないとは思えません。

三権分立とは、国会、内閣、裁判所が権力の集中を防ぐためにお互いチェックを行うシステムだと学びました。ところが、現状は忖度なのかなんなのか、お互いに他の分野には干渉しない、役立たずなシステムに思えてなりません。

 

この国はどうなるのでしょう?といっているのではなく、私達一人一人が考えていかなければなりません。訴えていかなければなりません。

何かしたいとは思いますが、どうしていいかわからいのも正直なところです。政治家になるのは一つなのでしょうが、派閥争いや権力争いに巻き込まれたくありません(そもそも選挙で当選できないでしょう)。

みなさんと一緒に少しずつでも日本を変えていければ幸いです。