BLACK RIVER -  導楽 DO ROCK

 

https://linkco.re/TQNcfsMF?lang=ja

 

 

 


日本の裏側から飛行機で帰るのに
ボロいTシャツにビリビリに切り落とした膝までのデニムにサンダル。
手にはスキャンダルバッグ1つ、替えのTシャツとパンツとみんなから渡された連絡先の紙切れくらいしか入ってない
それでも両手に、いや全身、心までも自由を手に入れた俺はそりゃあもう気持ちは飛行機よりも先に高く高く舞い上がっていた。



無事に単身飛行機へ乗り込む。
両隣は ふくよかな方に挟まれる苦しい席ではあったが、こんなの数時間前の状況からしたら何の苦でもない。
こんなの圧迫感とも思わない。それどころか柔らかい椅子に背もたれも少し調整できる。
エアコンも効いてて最高やん。


モンテゴベイの空港から、最初はオランダのアムステルダムへ飛ぶ飛行機に俺は乗り込んでいる。
フライトが何時間あったかは覚えちゃあいないが、何時間も眠れなかった。
とにかくペンが止まらず、興奮状態からなかなか覚めないのだ。





するとスチュワーデスがやってきて、待ちに待った質問を俺に投げかけてきた。

「チキン OR フィッシュ?」

『チキンッ!!』


食い気味に答え、その機内食を楽しみに待った。
さらなる興奮だ。



一席ずつモニターがあって、テレビや映画などの映像を見るのも久しぶりで何語かもよくわかんないものの、ボケっと観ているとすぐに機内食がやってきた。


温かい。

小さいボトルウォーターはしっかり冷えてる。
チキンの方の蓋を開けて見ると、湯気と一緒に 何とも美味そうな匂いがしてきた。



機内食がこんなに美味いもんだなんて初めて気づいた。
濃い味と言うか、しっかりした味つけをされた温かいご飯と冷たい水に感動して、一粒も残すことなく綺麗に食べきった。

久しぶりの美味しいご飯に大満足の俺は、JAILで溜まった疲れもあったのか食後すぐに寝落ちしていて、気付いたらアムステルダムに到着していた。





トランジットで3~4時間ほど待たなければいけない
持っていた1000円ちょっとのお金を両替して、タバコやらちょっとした食べ物と飲み物をゲットして時間潰そうと思った。
しかし何にも考えずに替えてみたら5ユーロにもならず、コインだけ。
結局タバコも買えない。
ユーロ、高すぎる。。。

結局コーラ1本を買って飲んだ。
うまい。。。が高い。



冷房の効きすぎた空港でボロいTシャツにビリビリに切り落とした膝までのデニムにサンダル。寒い。寒すぎる。。。
飛行機の中でもそう感じてた俺は機内でもらったブランケットをそのまま持ってきてしまっていた。それがあってよかった。




アムステルダムか。。。
ぜひ寄りたかった。美味しいのいっぱい。。。
それで捕まったのに、やはりアムステルダムは魅力的だ。



空港のソファーで凍えながら待ち、次のドイツのフランクフルト?への飛行機に乗り込んだ。
このフライトは結構短く数時間で着いた。
2~3時間ほどまたトランジットで、そこからが日本まで最後のフライトだ。




この10何時間を我慢すれば日本に帰れる。
半年ほどのジャマイカ滞在、そしてJAILと言う名の精神と時の部屋での約2週間。
なんだか物凄い久しぶりな感じ、浦島太郎の気分だ。

やはりまだ興奮状態であるのは自分でも気付いている。
この機内でも何度かの機内食を味わい、映画も観ながら有意義に過ごせた感じだった。
思ってたより辛くなく日本までたどり着いた。



ジャマイカから帰ってきたのにほとんど荷物もなく、近所の海でもいくのかって言うような格好でいたから日本のイミグレーションでも絶対止められるだろうな。。。




昔アメリカで空港の荷物到着を待ってる間、空港の警察が犬を連れて捜査していた。
ジャマイカ帰りだったから匂い等大丈夫かな~と思っていた。
段々こちらの方へと向かってくる。
遠目に見ながら避けようと移動する。
しかし犬がクンクンしながらどんどん近づいてきて、最終的に俺の足元にお座りした。
うーわ最悪。と思いながらどうしていいかわからず可愛い顔してた犬を撫でた。
そしてそのまま別室へと連れていかれた。
荷物を全部ひっくり返して細かい細かいチェックに2~3時間ほど調べられた。
パソコンの中身もチェックされた。

結局何も出ては来ないが、万が一ズボンの裾とか、うっかりみたいのがあったらどうしよう。と緊張した。
大丈夫だったものの、それ以来アメリカ、カナダではほぼ毎回別室での2~3時間の厳重チェックが当たり前になってしまった。
パスポートのデータにチェックが入ってしまったのか?





入国に厳しい日本じゃ絶対また面倒臭い事になるだろうな。。。



イミグレーションはなんともなく普通に通った。
荷物検査。。。

「どこから来ましたか?」

『ジャマイカです』

「ずいぶん遠いとこだし何回も行ってるみたいですね?」

『好きなんで。』

「荷物それだけですか?」

『はい。。。』


特に調べる物もないし軽くチェックだけして普通に通された。


マジか。
簡単に入れたぞ。
と言うか、この感じだとおそらくジャマイカで捕まった事のデータはこいつらに伝わってない?
じゃなきゃありえないだろうな。
航空チケットを自分で買ったから強制送還ではなく、国外追放的な扱いだからなのか?



とにかくちょっとドキドキしていたのがアホらしいくらいサクッと日本に入国できた。
よかった。
無事に帰って来た我が日本。
最大の安心と少しの不安。
ユーロに換えてしまって現金が0円。




駅員に財布をなくしたと相談して、俺が降りる駅にお金を持って来てくれれば大丈夫なように手配してくれた。
俺は地元の友達に連絡し、駅に電車賃を持って来てもらうようにお願いした。
これで問題なく自宅まで帰ることができた。



半年ほどのジャマイカでの自分修行の旅は無事に自宅に着き終わった。
人生の中でこんなゆるくも濃く、刺激的な時間は味わったことなかった。
一生忘れることのない経験だ。
普通の人は絶対にしなくていい経験だろうがw、表現者としてはマイナスだけではない。
捉え方次第でプラスに変えれる可能性がある。
でも今はとにかく、そんなことよりも自分の意思でどこにでもいける。と言うことが嬉しくてしょうがなかった。




帰って来てから原チャリであてもなく走った。
自由に風を感じられる。
なんて幸せな国なんだろう。ここ日本。
日本人に生まれてよかったと、改めて感じた。










なんでこんな出来事を赤裸々に語ろうと思ったのか。


10年以上この事実と曲をどうやって昇華していいか分からず
ただただ形にだけはしておいた。

以前はメルマガで連載していて、JAIL前後のジャマイカの事ももっと書いていて
全70話だったのをJAILに絞って50話にまとめ直しました。
曲だけ出しても思ってるようには伝わらないだろうし、1曲に込めるってのも厳しい。

内容、詳細、ヒストリーは連載の方で
雰囲気、温度感は曲で

映像も考えたが、今はこの2つからの想像で楽しんでもらえたらなと。



2024年の8月
VYBZ KARTELが13年という長い服役から一転、無罪放免で帰ってきたニュースを聞いた時にフラッシュバックした。

その勢いで第1話を書き出した。っていう事です。

チャンスをくれたカーテルにも感謝だ。





先にも述べたように、捉え方によっては表現者としてプラスに変えることができる可能性。それももちろんそうだ。
日本人でジャマイカのJAILに入った人は何人かいる。
しかし普通は長くても2〜3日くらい。
JAILに2週間も入ってたってのは聞いた事がない。

プリズンに長く入ったやつはいる(地元の友達w)が、本人の話もだし、JAIL内で聞いた話でもJAILの方が断然、何倍も厳しい環境。
そこで日記をつけてたのもあるし、普通では見れないものを見て来た。
BIG JOEの言葉ではないが、同じような過ちや(陥れらるようなこと)を繰り返す人は本当に出したくない。
もう少しで日本という国にまで多大な迷惑をかけるところだった。

海外へ行ったら一人一人が日本人代表だと言うことは忘れてはいけない。
自分だけじゃないんだ。
改めて感じたこと


これを残すことで何かの、誰かの役にたったり、
クスッとドキッとしてもらえたり、ちょっとした参考になればいい。







10年はジャマイカには入れない
そう脅されてはいたが、全然入れるような気がしていた

ただ、そこからの10年
自分自身、病気も含めて色々ありすぎて 結局それからジャマイカに行けていない
しかし「導楽」としての物語はずーっと続いている。

ジャマイカは情熱、お金、時間が噛み合わないとなかなか辿り着けない。
更に体調まで気にしなくてはならなくなった。

逆にそのおかげでフィリピンやアジアの方の物語も始まっていくのだが、それはまたの機会に。






2015年4月15日ジャマイカでは大麻が合法、、非犯罪化された。
前科、データは抹消されるとか、大停電か何かでデータを紛失した。みたいな噂までも回っていた。
だからジャマイカへもう1度行って調べる必要がある。
日本国内で問題はないし、もしかしたら俺はジャマイカでも犯罪歴はなくなっているかもしれない。

そしてBLACK RIVERへもう一度行って
奴らにチップでも渡し、JAIL内の写真でも撮ってきてもらう。
(改装などされてない事を願う)


それが次のミッションであり、JA  ILL 物語の続きだ。






たくさん迷惑はかけた。が人を傷つけることはなく 凶悪犯罪者たちと過ごした時間。
あの2週間は神様が与えてくれた【体験入獄】だったのではないかと思っている。