命かけての望み【前】 | ゆめうつつのアリア 〜セクシャリティを花開かせて、囚われから自由になる。 カウンセラー/手紙屋 宮本朋世のブログ〜

ゆめうつつのアリア 〜セクシャリティを花開かせて、囚われから自由になる。 カウンセラー/手紙屋 宮本朋世のブログ〜

カウンセラーをお仕事にしております。
「セクシャリティを開花させ、囚われから自由になる。」
そんなことをテーマにしております。

手紙を書くことをお仕事にしております。
わたしのまなこはあなたをうつすから
わたしの言葉はあなたのうつくしさを奏でます。

「倒れた。これから緊急手術だ」


その病名は何度も聞いたことがあったけれど、当時はまるで他人事であり、まだ若いそのひとと、その病名とが尚更に結びつかず、わたしにはその病名はただの発音として届いた。


何をどのくらい準備していいかもわからないまま電車に乗って向かった先の、海沿いの地方都市は、夏でも涼しい。

わたしが高校時代を過ごした、冷たい霧がよくかかるあの街。

黒みがかった青色の海は、夏でも相変わらず冷たそうで、海水浴という言葉とはおおよそ無縁に思える。


病院の個室のベッドに、そのひとはいた。

そこからは海は見えないけれど、窓を開けたら潮の匂いはする。



「びっくりしたよね、ごめんね。わたしもびっくりした」


その身体にはたくさんのチューブが繋がれており、そのチューブは数種類の点滴や、見たこともないようなたくさんの機械と繋がっていて、病室のコンセントにはもう、空きがない。


それなのに、相変わらず、まずこちらを気遣ってくれるのだ、と思った。


そのひとの意識は混濁しており、何度も同じ会話を繰り返す。

変わらないのは、そのひとらしい思いやりとユーモアが、その言葉の端々に混ぜこまれていることだった。



別室で医師に話を聞くと、珍しくて難しい症例であるようで、準備が整い次第、再度手術が必要だということだった。


わたしは初めて行くはずだった沖縄旅行をキャンセルした。


20年近く前の、ちょうどこの時期のことだ。




そのひとの方がわたしより23年長く生きているからか、その病気の「これからのこと」も、そのひとなりに知っていたのだと思う。


それは、重い後遺症が、時に障害として残ることが多い病気だった。


そのひとは、混濁する意識の中で、いまのそのひとの状態と、その病気の「これから」を結びつけ、ならばいまの自分の望みとは何かと、見出そうとしていたのでは無いかと思う。


次の手術を控えたある日、そのひとは気丈なやさしさや思いやりを破るような確かなむき出しの声で、

「もう死にたい」

とベッドの上で泣いた。


「それはお前の本当の気持ちじゃないだろう」

そのような切実で真剣な声があったことを覚えてもいる。


だけどわたしは、何も言えなかった。


ひとの望みは、

ひとの幸せは、

極めて個々に基づくものであり、


それをわたしが外側からコントロールしようとすることは、

わたしの望みを押し付けるという傲慢さの上にあり、

そのひとの自由意志を犯すものではないかと思っていたし、

なによりそのひとの望みが切実であるならば、外側からのコントロールは無効に違いないとも思っていた。



「いなくなるのは、悲しいよ」


そのようなわたしの感情は、もちろんある。願いだって望みだってある。

だけどそれを口にしたところで、そのひとの思いの真摯さとは噛み合わないように思ったし、わたしの望みがいくら真摯だとしても、どこか独り善がりであるように、その時は思った。


だから、何も言えない変わりに、願った。


「あなたの本音からの望みが、どうか果たされますように。」




それから何度も、そのひとは大きな手術をして、そのひとの人格は、幼な子の場所に還っていったように、わたしは思う。


とはいえ、わたしはそのひとの幼少期を知らないから、還ったかどうかは、本当のところはわからないのだけど。


少なくとも、わたしを産み育てる中で、わたしが感じていたそのひととは違ってしまったように思った。


「おかあさん、どこに行ったの?」


目の前にいるのに、それなのに、わたしはそう思ってしまう。


この思いをうまく扱うことが、わたしは未だに出来ていないように思う。




いつもお洒落して。いつも綺麗で。愛想が良くて。明るくて。友達多くて。ニュース見てても泣くくらい涙もろくて。すごく優しくて。なんでも引き受けるひと。頼まれたら断れないひと。料理も上手。一人で何役もこなすように家事も仕事も完璧。何しても器用で。


手を抜けばいいのにって、わたしは思ってた。手を抜いたって十分過ぎるくらいだ、と。もっと好きなことして欲しい、って思ってた。


花を生ける時間が何より楽しみで。仕上がるたびに「ねえ、見て見て!!」と、はしゃいで階段駆け上がってくる。可愛らしいひと。


はしゃぐ声の明るさに反し、その作品はいつも静かであり、凛としており、どこか憂いを帯びていて、内に秘めたような美しさがあった。

どの季節に、何を生けても、そうだった。

女性的な翳りと繊細さが、いつも滲んでいた。


それがそのひとの本質であったように、わたしは感じている。


 


そのひとは人知れず泣いていた。

きっと色々なことを我慢していた。


「わたしね、いつか我慢する必要がなくなったらね、」


たくさんの楽しげな夢を、望みを、教えてくれた。

家事の心配を一切しないで、一週間くらい旅行行ってのんびりしたい、とかそんなこと。


その夢は、望みは、どこに行ってしまったんだろう。


それらを持っていたということも、どこかあるべきところへ、流れて行ったのかな。




命かけての望み【後】に続く。


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