演劇はフィクションだ。
フィクションを現実のように伝えるために、俳優には的確な演技が求められる。
演技に様式性を持たせることで、リアルな演技でなくても、その世界を自然に描くこともできる。
演技の「リアル」や「ナチュラル」について今まで何度も考え、ブログにも書いてきた。
演技を表現する場が、舞台から映画・TVドラマに広がり、演技の伝統も変わってきた。
より自然な演技が求められるようになってきた。
ここで、最近引っ張り出してきたピーター・ブルック氏の言葉から引用する。
「優れた役者を見ていると彼らの動きは、一見いかにも自然でありながら、実はよく分析してみると決して生活のなかでの動きではない。」
映画では先日書いた「おとなのけんか」や「フレンチアルプスで起きたこと」なんかを見ると本当に自然な演技だが、確かに演技でもある。
とんでもない映画を観た。
ボスニアのロマの生活を描いた「鉄くず拾いの物語」。
ロマ達の生活の中で実際にあったエピソードを映画化したものだが、そのモデルになった家族が実際に自分の役で出演している。
実際の出来事を後に映画化しているから、もちろんドキュメンタリーではない。
しかし映像は人物描写も含めて、ドキュメンタリーのようだ。
主演の男性は、どこかの映画祭で主演男優賞を取ったらしい。
素人を使って撮ったようには見えないし、作品としても良い出来栄えだ。
何がリアルかフィクションかわからなくなる。
観た人がその世界に引きずり込まれれば、それがリアルだ。