自然な演技 | 平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

京都を中心に演劇活動をしています。
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色々発信していきます。

 演劇はフィクションだ。

 フィクションを現実のように伝えるために、俳優には的確な演技が求められる。

 演技に様式性を持たせることで、リアルな演技でなくても、その世界を自然に描くこともできる。

 

 演技の「リアル」や「ナチュラル」について今まで何度も考え、ブログにも書いてきた。

 

 演技を表現する場が、舞台から映画・TVドラマに広がり、演技の伝統も変わってきた。

 より自然な演技が求められるようになってきた。

 

 ここで、最近引っ張り出してきたピーター・ブルック氏の言葉から引用する。

 「優れた役者を見ていると彼らの動きは、一見いかにも自然でありながら、実はよく分析してみると決して生活のなかでの動きではない。」

 

 映画では先日書いた「おとなのけんか」や「フレンチアルプスで起きたこと」なんかを見ると本当に自然な演技だが、確かに演技でもある。

 

 とんでもない映画を観た。

 ボスニアのロマの生活を描いた「鉄くず拾いの物語」。

 ロマ達の生活の中で実際にあったエピソードを映画化したものだが、そのモデルになった家族が実際に自分の役で出演している。

 実際の出来事を後に映画化しているから、もちろんドキュメンタリーではない。

 しかし映像は人物描写も含めて、ドキュメンタリーのようだ。

 主演の男性は、どこかの映画祭で主演男優賞を取ったらしい。

 

 素人を使って撮ったようには見えないし、作品としても良い出来栄えだ。

 何がリアルかフィクションかわからなくなる。

 

 観た人がその世界に引きずり込まれれば、それがリアルだ。