
<5月13日>
雨が降りしきる中での信州上田の街歩き。
旧北國街道の街並み保存が進む 「 柳町 」 から、「 池波正太郎 真田太平記館 」 前を通って馬場町方面
へ歩いて行きました。そのとき、通ったかも知れないのが、赤丸のあたりです。

NHKの 「 ブラタモリ 」 で紹介された矢出沢川は、真田の時代に人工的に造られた川です。
町家が並ぶ柳町から、原町、海野町方面のルートは、今でもそのままの区割りになっています。

江戸時代から 「 暗渠 」 になっていた部分があります。

つまり、普通であれば暗渠にせず、橋を架けるところを、真田は幅広い橋で覆い、さらにその上に家を建てて
道まで造ってしまったということのようです。
いざというときは、道も家も壊してしまえば、そこに突然川が現れるという防御策を取ったのが真田の手法。
「 真田の暗渠 」 は、常識を超えた究極のアイディアの一つでした。

「 真田の暗渠 」 を通る蛭沢川は、「 袋町 」 のあたりで繁華街の脇を流れています。
飲み屋が連なる一角は、川に架かる橋を渡って店に入る仕掛け。

「 袋町 」 が 「 ふくろうまち 」 になっていました。

周辺のマップです。

迷路のような小路が入り組む一角は、今でもディープな飲み屋街。

夜になれば、ネオン街に変貌し、酔客たちで溢れるであろう 「 ふくろうまち 」 を抜けて行きました。