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<2014年10月23日>

 大分県宇佐市の宇佐神宮参拝。

 帰り道で視察団から独り離れ、表参道から 「 神橋 ( しんきょう )」 を渡って正式ルートで戻って来ました。

 「 神武天皇東遷顕彰碑 」 前を通って、道が左にカーブするところに立派な石碑が建っています。

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 【 松から 朝日が赤い 大鳥居 】

 【 春霜に あとつけて 詣でる 】

 真ん中に編み笠姿の旅人の後ろ姿・・・山頭火の句碑です。

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 種田山頭火に関する解説が刻まれた石板。

 山頭火は、昭和4年と13年の2回、この地を訪れているようです。

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 別の石板には 「 山頭火の日記より 」 こちらは昭和13年 ( 1938 ) ですから、2回目の参拝時のものです。

 【 三月十七日 日本晴 宇佐 】

 【 一片の雲影もない快さ、朝湯朝酒のうれしさ、いよいよ出発・・・】 気ままに漂泊の旅を続ける山頭火らしい

日記の書き出しです。

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 山頭火の句碑の隣りには、宇佐八幡神輿の写真入りの石碑が建っていました。

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 752年に聖武天皇によって建立された東大寺の大仏。この建立事業を支援したのが宇佐神宮だったそう

です。つまり、仏教の支援を神道が行ったということ。

 それから1250年の時空を超えて、宇佐八幡の御神輿が奈良東大寺へ 「 御神幸 」 したときの記念碑です。

 「 神仏習合 」 の極め付けのような話が、1200年以上も前からあったことに驚きました。