
<9月18日>
長野県塩尻市奈良井、旧中山道の宿場町を更に上へと歩きました。
【 昔、宿駅には幕府の役人や諸大名・その他の旅行者用のために、幕府の定めた一定数の伝馬
(てんま・宿駅用の馬)と歩行役(人足)とを定備しておき、旅行者の需に応じていました。
これを宿駅制度(宿場・伝馬制度)といいます。
木曽11宿には1宿につき25人の歩行役と25疋の伝馬を用意していたといいます。
この伝馬と歩行役を管理運用していたのが「問屋(といや)」です。問屋の下には数人の年寄役
があって、問屋を補佐していました。
奈良井宿の上問屋は慶長年間(1602年)から明治維新までのおよそ270年間継続して問屋を
務めました。時には庄屋を兼務することもあったようです。】

家と家の間に延びる隙間。

向こう側まで通り抜けができます。

さらに奥へ行くと、黒塀の立派な建物が見えて来ました。

「 奈良井地区公民館 」です。
公民館も修景に配慮されています。

「 山の市場 」。
ここは奈良井には珍しく、幟旗、呼び込みなどいささか派手目にやっておりました。