昨日は、前に登りそびれた竜王山に登った。最寄りの駅はJRまほろば線の柳本。

 

奈良の電車に乗る時は気をつけましょう。私、この駅に電車が着いた時、降りようとドアが開くのを待っていた。だが、開かない。一人の女性が「そこ、開きませんよ。前の車両から降りるんですよ」と声をかけてくれた。焦った。大急ぎで前の車両に行き、間一髪で下車に成功。だが、出口を間違えた。これ、裏側の出口。結局、表側に回るために大回りしなければいけなかった。

 

こちらが駅の表。

 

駅を出ると、このように昔の街並みを彷彿させてくれるような家もある。

 

この辺りは古墳の密集地帯。柳本駅からほど近いところに卑弥呼の鏡か!と騒がれた三角縁神獣鏡が出土したことで有名な黒塚古墳とその鏡を展示している資料館がある。

 

この古墳、普通堀の水は淀んで汚いのだが、ここの水はなぜか緑がかっているのだが、堀の底が綺麗に見える、実に澄んだ水であった。なぜか「ガンバレ!!日本 コロナに克つ」の文字。

 

こじんまりとしてはいるが、なかなか立派な資料館。卑弥呼の鏡に興味のある人には必ず訪れるべき場所の一つであろう。多分、私もまた来る。

 

このような神獣鏡がたくさん展示されている。写真に撮って、後で拡大して見たら確かに「神」と「獣」が彫り込まれている。

 

 

私の関心がまだ、それほど邪馬台国論争や卑弥呼にまでいっていないので、鏡に関することを受け付けにいた方に聞かずに、場違いかなと思いながらも「水田」のことを聞いてしまった。これだけの古墳群があるということは相当の数の豪族、その配下の者たちや民がいたであろう。とすれば、その人間の食料が必要である。その食料の主となるものが弥生時代から「米」だと多くの学者が思っている。もし、それが正しいとしたら、この「米」は奈良盆地の水田から収穫されたものであろうか。多くの学者が奈良盆地は「瑞穂=稲穂」が風に揺れる豊かな水田が広がっていたと思っている。だが、この通説に私は大いなる疑問を抱いているのである。

 

で、資料館の人に聞いたところ、親切にも天理市の文化財課に電話をかけて、そこの専門家の方と私を繋いで下さった。

 

電話でいろいろ説明を聞いて現段階で確認できたこと。これだけ前方後円墳があるということは、明らかに奈良盆地の東南部には相当の権力者とその配下の者、また多くの民がいたということになる。「瑞穂=稲穂」という通説に従えば、これだけあちらこちらで遺跡発掘をやっているのだから、「水田跡」が見つかってもよさそうだが、中西遺跡などの弥生時代の水田跡を除くと、弥生時代、古墳時代前期の水田跡は見つかっていない。今まで、何人かの学芸員の方に同じことを聞いたが、答えはほぼ同じ。「今のところ」見つかっていないが、見つかる可能性がある、というもの。私は「今後も」見つからないのではないかと密かに思っている。

 

この「現在時点」の事実を確かめた上で、いよいよ本日の主要目的である竜王山へ向かう。途中、崇神天皇陵を参拝。

 

崇神天皇陵近くにあった伊射奈岐(いざなぎ)神社にも参拝。この神社、昼間なのにうら裏参道は薄暗く灯りが灯されていた。何やら「黄泉の国」への道を歩いているような気持ちになった。

 

竜王山登山道に入る。途中歩きにくいところもあるが、かなり良く整備されており、日課のようにして登っているのではないかとも思われる相当の年輩の人ともすれ違った。

 

竜王山には北と南に戦国時代の山城があり、頂上に登ると広々とした平らなところがある。ここに本丸があったのかと実感できる。奈良盆地は四方の山々にこのような山城がある。この竜王山の山城には一時、バサラ大名として有名な松永弾正もこの城の城主をしていたいたようだ。松永弾正の城として有名なのは信貴山上の山城が有名である。それにしても、楠木正成の千早赤坂城にしろ、信貴山城にしろ標高400~600メートルもの山の上にすごい城を建てていたものだ。昔の人間はどれだけ強靭な足と身体を持っていたのだろうかと思ってしまう。


こちらが北側の本丸跡。

 

そして、こちらが竜王山南側にある本丸跡。


ここからの景色が抜群!「お!お!」と息を呑む素晴らしさ。奈良の山々を歩いていると古代天皇の「国見」が実感できる。「大和は国のまほろば」が実感できる。

 

耳成山、畝傍山、香具山と大和三山がくっきりと見える。奈良を歩いていて、至る所から見える大和三山。これらの山に寄せる古代の人々の思いが少しずつ分かる気がしてきた。

 

谷間のせせらぎの音を聞きながら下山。奈良は至る所でこのようなせせらぎの音が楽しめる。この音を聞きながら歩いていると、私は本当に良い気持ちになる。

 

下山して山辺の道を歩く。奈良はハイキングコースが充実しているが、こんな立派な公衆トイレは初めて見たような気がする。

 

山辺の道には、このような無人の野菜•果物販売棚があちらこちらにある。これを見た外国人観光客が信じられないと言ったという話をどこかで読んだ記憶がある。また、中国人観光客は遠慮頂きたいという話も。日本人の相互信頼の象徴のような販売方法である。

 

柿畑に柿の木があるだけではない。民家の庭、道沿いなど至る所に柿の木はあり、このようにたわわに実っている。

 

桜にしか見えない花を目にした。不思議に思って近くで農作業をしている人に聞くと「秋桜」だと教えてくれた。「これも桜に間違いないですよ」と。「秋桜」は「コスモス」の別名らしいが、こちらは本物の桜。ネットで調べたら、確かに秋から冬にかけて咲く桜があるということだった。いやあ、ビックリ!

 

奈良のあちらこちらにある白山神社。気になる。白山神社の総本宮は、白山比咩神社と言われるように白山のある加賀の国、石川県にある。なかなかこれが興味深い。追々調べてみたい。

 

 

帰りは天理の町を通って天理駅から帰る。天理市は行く度に思うが、この町で天理教を批判したら殺されるんじゃあないかと思われるほど、天理教独特の建物がずらっとならんでおり、天理教の法被を着た人たちをあちらこちらで目にする。初めて天理教関係の建物を見た人はギョッとするのではないか。私はだいぶ見慣れたが、それでも、まだ少々ギョッとする。


 

今日の予定終了。天理駅から帰途につく。

 

本日の総歩行距離は27キロほど。