2021年 大阪市大

 

次の日本文を読んで,下線部(1)(2)の内容を英語で表現せよ。

 

 しばしば大学は, 浮き世離れしているとか,世間の実情からかけ離れていると批判されてきました。しかし, じつはその距離こそが大切なのです。一般社会と同じ論理でそのまま違和感もなく過ごしてしまえるような場に成長の契機はありません。

 大学は, 社会のなかで「異の空間」でありつづける必要があります。⑴何かがよくわかるような場ではなく, いったんよくわからなくなったり, 疑問が芽生えたり, 自分自身を問われる場に身をおいたほうが, 人は成長できます

 毎年三月, 就活を乗り越え, 単位をそろえて, 晴れやかな顔で卒業していく学生たちの姿は, とても微笑ましいものです。教員としてできることはやったのだから, これでいいのかもしれないと思う一方で, いつも不安を感じてしまいます。

 (2)自分は学生たちの何かをちゃんと壊せただろうか,あらたな自己や世界のあり方に触れさせることができたのだろうか, と自問してしまいます

 大学がその役割を果たすには, 大学が高校までの教育と社会人としての生活のあいだのひとつの断絶として, 根本的な問いを喚起する深い沼になっている必要があります。

(松村圭一郎『これからの大学』春秋社, 2019より)

 

<解説>

【出題文】

下線部(1)について

⑴何かがよくわかるような場ではなく, いったんよくわからなくなったり, 疑問が芽生えたり, 自分自身を問われる場に身をおいたほうが, 人は成長できます

 

訳し出す前にこの日本文の日本語的特性を考え次の手続きを踏んでみる。


1. 主語、目的語を明確にする。

2. 日本語構文を考える。

 

まず、1. 主語、目的語を明確にすることをしてみる。すると次のような日本文となるだろう。

 

⑴大学はあなたが何かがよくわかるような場ではない。 あなたがいったんよくわからなくなったり, 疑問が芽生えたりするところである。あなたはあなた自身を問われる場に身をおいたほうが, あなたは成長できます。

 

このように主語、目的語をはっきりさせていくと、この日本文が一見分りやすいようで、実は、話に一貫性がなく、英語に訳しにくいことが分る。こういう文章を直訳すると、「論理的」でないと批判される。どこが「論理的」でないか。書き直した日本文を見て貰うと分かり易いと思うが、書き直しの第1文と第2文は、「主語」が「大学」である。ところが、第3文の「主語」は「一般の人=あなた」である。したがって、この文は「大学」について語りたいのか、「一般の人=あなた」について語りたいのか不分明なのである。

 

この著者のテーマは「大学」であると思われる。したがって、「論理の一貫性」を考えれば、主語を「大学」で統一し、「大学は自分自身を問う場である。そして大学はそうさせることによってあなたを成長させる」と SVO⇒SVOとつないでいくと分かりやすく、「論理の一貫性」を持たせることができる。このことを念頭に置き、問題文を書き直してみると次のようなものが考えられる。

 

まず、元の出題文。主語、目的語を明確にした文。さらに「論理性」を考えた日本文と3つ並べてみる。

 

⑴何かがよくわかるような場ではなく, いったんよくわからなくなったり, 疑問が芽生えたり, 自分自身を問われる場に身をおいたほうが, 人は成長できます。

 

⑴’ 大学はあなたが何かがよくわかるような場ではない。 あなたがいったんよくわからなくなったり, 疑問が芽生えたりするところである。あなたはあなた自身を問われる場に身をおいたほうが, あなたは成長できます。

 

⑴’’ 大学はあなたが何かがよくわかるような場ではない。 大学はあなたがいったんよくわからなくなったり, 疑問が芽生えたりするところである。大学はあなたにあなた自身を問われる場に身を置かせる場である。そして、そうさせることによってあなたを成長させる。

 

このように構文転換を含めた和文和訳をすると英語にしやすくなる。訳例を作ってみれば、

 

Colleges or universities are not a place where you can get more knowledge, but a place where you are put into confusion, or you start to have questions about things which you have never had. In addition, they are a place which puts you into a position that forces you to challenge yourself, which allows you to grow.

 

ここでは、「Aは~する場所である」という構文で関係副詞の where を使っているが、もっと端的にSVO構文で書くこともできる。まず、その和文和訳をしておけば、

 

⑴’ 大学はあなたに明確な知識を与えない。大学はあなたを混乱させたり、疑問を持たせたりする。また大学はあなたにあなた自身を問わせる。こうすることによって大学はあなたを成長させる。

 

これを英語にしてみれば、

 

Colleges or universities don’t give you clearer knowledge about things, but put you into confusion or make you question some ideas or phenomena. Furthermore, they make you challenge your identity. By doing so, they help you grow.

 

次に下線部(2)を解説する。

 

【出題文】

(2)自分は学生たちの何かをちゃんと壊せただろうか,あらたな自己や世界のあり方に触れさせることができたのだろうか, と自問してしまいます。

 

[文前半]

「自分は学生たちの何かをちゃんと壊せただろうか」の「何か」を destroy something of the students では意味をなさないであろう。この文脈における「何か」は「学生がもっている常識や固定観念」つまり fixed ideas / stereotypes のことであろう。それの一部でも取り除くことができたかというのが主旨であろう。このように理解すれば、次のように英訳できる。

 

Did I get rid of some of their fixed ideas or stereotypes?

 

[文後半]

「あらたな自己や世界のあり方に触れさせることができたのだろうか」の「あらたな自己」は「学生たちが自分自身良く知らなかった一面」some aspects of their identity which they haven’t realized ということ。また、「世界のあり方」は「世界がどのように働いているか、機能しているか」ということ。英語で言えば、how the world works ということ。また、「触れさせる」は、expose という動詞が使えると良い。expose them to ~「学生たちに~に触れさせる」である。もしこのような動詞が出てこなくても、「理解させる」くらいでも十分文意を表すことはできる。

 

Did I expose them to some aspects of their identity which they themselves haven’t realized, or how the world works?

 

また、「自問する」ask myself であるが、この日本文は直接話法となっているので、これを ask myself if S + V の間接話法にすると良い。これだけのことを念頭において、下線部(1)と(2)をまとめて英訳例を提示しおこう。

 

(1)何かがよくわかるような場ではなく, いったんよくわからなくなったり, 疑問が芽生えたり, 自分自身を問われる場に身をおいたほうが, 人は成長できます。

 

Colleges or universities are not a place where you can get more knowledge, but a place where you are put into confusion, or you start to have questions about things which you have never had. In addition, they are a place which puts you into a position that forces you to challenge yourself, which, in turn, allows you to grow.

 

(2)自分は学生たちの何かをちゃんと壊せただろうか,あらたな自己や世界のあり方に触れさせることができたのだろうか, と自問してしまいます。

 

I have to ask myself if I have been able to expose them to some aspects of their identity which they themselves haven’t realized, or how the world works.

 

途中説明の英訳と最終的訳例が少し違うところもある。それはどうしてか考えて貰えると勉強になると思う。私の単なるケアレスミスもあるかもしれないが。