日曜日の有馬記念はダイワスカーレットが37年ぶりの牝馬勝利という新たな歴史の扉を拓いて2008年の中央競馬は幕を閉じましたが、そんな中ワタクシも実は日曜日、新たな扉を拓くことになりました
実はこの週末(12月27日・28日)は中央競馬を堪能している場合ではなかったんです(;^_^A
確かに有馬記念当日は中京競馬場に行きました
でも、寒さに加えて何か気持ちがそわそわしていて競馬をじっくり堪能するという気分ではなかったのでした
なぜ、普段週末は競馬三昧でまったりしているワタクシがこの週末だけは落ち着かなかったのか・・・
その落ち着かなかった理由は、さかのぼること今年の夏になります・・・
と、いうわけで今年最後のワタクシのブログはこの年末に起きたこと、及びこの週末に至るまでの出来事を書いていこうと思います
(かなりの長編になりますので、ご了承ください<(_ _)>)
実はワタクシ「ホームヘルパー2級」という福祉系の資格をもっております
このホームヘルパー2級は仕事をやめて職業訓練で取得したものでありまして、それまでは事務系で働いていた自分にとって大きな転換期になったのでありました
ホームヘルパー2級を取って、それをいかす仕事を探すにも正直なかなか仕事が見つからず、かといって無職でいるわけにはいかなかったので思い切って「とりあえずは派遣で働いて、福祉系の道に行くためのつなぎにしよう!」と考え、北海道を旅立ち長野で派遣社員として働くことになったのであります
今まで事務系で働いていた自分にとって工場の派遣で働くということで派遣元からは「大丈夫なの?」と心配され、派遣先には「勤まるわけないだろう!」と言われ、まさに0からのスタートが昨年の5月
慣れない仕事に苦戦しつつも、目標のためにと思いとにかく地道にやっていくこと8ヶ月後の今年の1月・・・
突然派遣先から「生産調整ということでここでの派遣勤務はあと1ヶ月で終わりになります」
仕事にも慣れて、少し余裕も出てきて「さぁ~これから新たな仕事を探そう!」と思ったときの突然の通告
まぁ~派遣はある程度はこうゆう運命を背負わなければならないのは覚悟はしていたのですが、まさか現実に目の当たりにすると・・・
「どうしよう・・・」
とにかく不安がさきに立ちました
ですが、最初の派遣先を担当していた派遣元の社員がいち早くこの情報をキャッチしていて「俺のところに電話してこい!」っていうことを言ってくれて電話すると「次の派遣先を紹介できるけど、どうする?」ということを言ってくれて、最初の派遣先から間をあけることなくすぐに次の派遣先で仕事ができるようになったのであります
実は、その電話をした派遣元の社員はワタクシが通告を受ける数ヶ月前に同じ長野県内で異動になり、担当をはずれていたんですが、北海道から一歩もでていないワタクシをよく面倒みてくれてすごくよくしてくれた担当の人がこの絶体絶命の大ピンチを救ってくれたのであります
そんな出来事がありつつも次の派遣先にスンナリと移ることができ、順調に仕事ができていたんですが・・・
今度は春先から生産量が減って思うように稼ぐことができなかったんです
新しい派遣先に移った当初は仕事が多くて、結構稼ぐことができたんですけど春先から夏場にかけて生産量が減ってそれに伴って勤務時間が減ってきたんです
派遣社員は基本は「アルバイト」と一緒なんで時給制なんです
稼動すればするほど給料が上がるんで、当然稼動が少ないと稼ぎは少なくなります
まぁ~幸いなことに人員削減という話は一つも出てこなかったので、そこは安心できる材料ではありました
「とりあえずは生産量は減るけど、ここは我慢しよう」
それまでのストックを使いながら「必ずどこかで生産量が上がる!」という何の根拠もないんですけどそう自分に言い聞かせて「我慢の時」を過ごし・・・
秋口には生産量が一気に上がってそれまでの我慢が報われ、一気に稼ぎが増えたのであります
そんな中、春先に保育士の女の子(注:彼女さんじゃありませんよ(^^;;)とひょんなことから知り合いになり、ワタクシがホームヘルパー2級を持ってるということを話の流れの中で言ったら「私、実は『障がい児デイサービス』で働いてるんだけど、もし興味があるなら一度ボランティアでうちの施設に来てみない?」という話が出て、これはチャンス!ということで自分の仕事の状況を見計らいつつ8月の末に障がい児デイサービスに行ってボランティアをさせてもらいました
ワタクシ、福祉系に行くとは決めていたんですけど目指していたのが「老人福祉」だったんで、「児童福祉」というのは全く頭になかったんですが、保育士の女の子と会って声をかけてもらったのも何かの「縁」なので「どんな感じか1回見てみよっかなぁ~」という軽い考えでボランティアに行くことを決めたのであります
車イスの女の子の介助をさせてもらい、自閉症の子供たちと遊んだりと自分としてはたいしたことはできなかったんですけど、「本当に障がいのある子供たちなの?」というくらい普通の子供たちでそのことにすごいカルチャーショックを受けたんですよ
確かに、自閉や車椅子に乗りっぱなしなど何らかのハンディを背負ってはいるんですよ
でも、それを感じさせない子供たちにいままでワタクシが認識していた「障がい児」というのが根底から覆されたのもまた事実であります
また、職員さんたちがチームワーク抜群で仲がいい中にもしっかりと福祉の世界で働く人としてのプライドをしっかりともっていて「働くんだったら、こうゆう職場っていいなぁ~」って感じたんですよ
で、そこの施設を管理している上の人とお話をする時間があってその中で
「派遣は早く切り上げて、早くこの世界(福祉の世界)で働きなさい」
「もし、君がやる気があるのなら声をかけてもらえれば、そのときは考慮するよ」
とおっしゃっていただき
さらに「児童じゃなくても、老人福祉のほうがいいならそれも言ってもらえれば施設を紹介することはできるよ」とまで言ってもらい
「こんな初めて会う人に対してここまで言ってくれる人っていないよなぁ~」って思いました
実はこの施設の上の方っていうのは、以前は派遣会社で派遣先の人材管理などをしていた人で、派遣の現実や苦しさなどを十分に知っている方でありまして、ワタクシが派遣社員で働いているということは保育士の女の子からリサーチしていたらしく、ワタクシが福祉の世界に行きたいというのも知っていて前述のような話をしてくれたようです
保育士の女の子と会わなければこうゆう話を施設の上の方からされることもなかったでしょうし、障がい児に対しての認識も変わらないままでこの先過ごしていくことになったでしょう
「これも何かの『縁』だ、何回か施設にお邪魔させてもらって勉強させてもらって、一日も早く福祉の世界に行こう」と思い「福祉の世界に行くなら半年以内だ」とワタクシ自身期限を設けて派遣先で頑張って仕事をしてお金をためていくことを決めました
それは今年の8月の出来事でした
その後は順調に仕事量が増え、目標に向けて順調に進んでいる中・・・
ニュースや新聞で話題になっている「派遣切り」がワタクシのまわりでも起きたのであります
最初は「トヨタやホンダがあんなこと(今期は赤字になる)ってことを言っちゃったから、他も便乗して言って、それをマスコミが大々的に言ってるだけじゃないの?」って思っていたんですが、現実ワタクシのまわりでマスコミの報道と同じことが起こると・・・
ワタクシも心中穏やかな状態ではなかったです
ですが「とりあえず○○さん(←ワタクシのことです)は工場に残ってもらう人ということで、今回の人員削減のメンバーには入っていないから」という話を受け、ひとまずは一安心
とはいえ、ワタクシは残ることができたにしても、かわりに別の人が切られるというのは決して気分のいいものではありません
何とかしたいとワタクシが思っていても、ワタクシは派遣社員・・・
どうすることもできません
「もう派遣社員でいるのも限界だな」
と感じたワタクシは
「年末に施設に行って『ここで働かせてほしい』と直談判しよう」と決心したのであります
そして12月27日・・・
その日は施設の開設が年内最後の日で、最後の日はもちつき大会をするということでそのお手伝いと上の方に直談判するという目的で伺ったのであります
当日は大人数で、職員もワタクシ以外のボランティアもバタバタしていてなかなか直談判するチャンスがなかったんですが、この日はこの施設の社長さんが来るということで、社長さんともちつきの準備をしながらタイミングを見計らって「もし、許されるならぜひ働かせていただきたい」ということを伝えました
社長さんも、ワタクシが夏に施設を訪問したということは知っていて「話は施設の上の人から聞いています」「今日はバタバタしちゃってるんで、明日(12月28日)改めてお話しましょう」ということになり、その日はボランティア活動に専念することで一日が過ぎて行きました
日にちが変わった12月28日
社長さんと会うのは午後6時
それまでは中京競馬場で今年最後の中央競馬を楽しもうと思っていたんですが、どうにも夕方からのことが頭から離れず競馬をしていてもうわの空・・・
まぁ~人と会う(ましてや社長さんと会う)その日に競馬をやるなんて不謹慎!って思う方もいるかもしれません
確かにその通りであります
ですが、「何かしていないと落ち着かない」というのもあり、ましてや土地勘のあまりない名古屋でどうしましょうか?ということになり、「今日は有馬記念があるし、そこで少し時間をつぶしますか」という結論になったのであります(←このへんがいかにもワタクシらしいっちゃ~らしいんですが・・・(;^_^A)
ところがこの日はワタクシ、中京の馬券も全く当たらず、パドックで馬を見てもぜんぜんピンとくるものがなく、さらには寒くなってきたので「あぁ~今日はダメだ!有馬の馬券を買って早々に中京競馬場を切り上げよう」と決めたのが午後1時
その後は夕方まで喫茶店でゆっくりしていて、有馬記念は家電屋で観戦
ダイワスカーレットの勝利はまさに今年の漢字「変」にピッタリだ!と関心しながらも社長さんと話し合いをする時間は刻一刻と迫ってきました
午後6時ちょっとすぎに施設に行き、社長と施設の上の方との話し合い
そこでの話の中で社長さんが話を切り出してきました
「施設の上の人と話をして、夏に来た時と昨日のあなたの動き、福祉に対する思いを聞いて考慮した結果、来月から新しい施設が隣の町にできるんで、そこで職員として働いてもらいたい」
と、いうわけで来年の1月からワタクシは愛知県で障がい児デイサービスの正職員として働くことが決まりました
で、これで話は終わりじゃなかったんです
実はワタクシが採用される前にもう1人、男の人と面接する予定があったそうです
その男の人は医療の分野でキャリア10年、介護系はホームヘルパー2級しかないそうですが、人づてに働きたいという意思表示を出していたらしく、じゃあ27日(もちつき大会の日)に面接しましょうという話になっていたそうです
ところが、その男の人は「27日はどうしても都合が悪いんで、日にちをズラしてほしい」ということで、その男の人の面接が行われるのが29日の月曜日だったそうです
つまり、その男の人が27日に面接をしていればワタクシは採用されることがなかったんです
ましてや、キャリアで考えればワタクシはホームヘルパー2級はもっていますが、実務経験は全く0
かたやもう1人の男の人はキャリア10年・・・
どう考えてもワタクシが不利なのは明らかな状況だったんです
なぜ、そんなワタクシが働けることになったのか???
その答えを社長さん及び施設の上の人が言ってくれました
「○○さん(←ワタクシのことです)は人あたりがいいし、実直なんだよね。経験はないかもしれないけど、それだから逆に色々吸収できて伸びしろがあると思ったんだよね」(自分のことを言うのはあまり好きじゃないんですけど、あえて言わさせてもらいました)
実はボランティアに行った時点で既に「採用試験」が行われていたのかもしれません
ボランティアに行くに当たってワタクシの中で決めていたことが1つだけありました
「自分のもってるもの(知識など)以外のことは出来ないので、自分のできる範囲でお手伝いして、素のままでやっていこう」
これが結果的によかったみたいです
ちなみに・・・日にちをズラした男の人との面接は社長さんがキャンセルしたそうです(・_・;
今年ほど『縁』を強く感じた1年はありませんでした
最初の派遣先で生産調整で働けなくなる状況を助けてくれた派遣元の担当者
ひょんなことから出会った保育士の女の子
ワタクシの状況を見てアドバイスしてくれた施設の上の方
そして、ワタクシを福祉の世界に引っ張ってくれた社長さん
全ての出会いに感謝・・・
そして、障がい児というワタクシにとっては全くの未知の分野で覚えなきゃならないことが山ほどありますが、今の自分の思いを忘れることなくやっていこうと思います
今年1年気まぐれブログにお付き合いいただきありがとうございました<(_ _)>
来年はワタクシは新たな分野で働くことになりますが、ブログのスタンスは変わることなく(ゆるゆる、ノープラン(;^_^A)皆様のご機嫌を伺っていこうと思います
では皆さん、よいお年を!!!








