映像、報道のなかった被災地に里帰り…。 | ドリーグランパ癌闘病記改め⇒母:アルツハイマー型認知症日記

映像、報道のなかった被災地に里帰り…。

先日…義両親が宮城の石巻市に
行って参りました


早く故郷の様子を知りたい
しかし今、行っても我々が出来ることは
はっきり言って何も無い



その前に交通機関のマヒ燃料の問題などで
いけるかどうかさえもわからない



日々ネットなどで情報を集める日々
そんな時ひとりのひとの善意で



お義父さんの故郷の近くまで
自転車で行ってそれをビデオで撮影してくれたひとが
YoutubeでUPしてくれてた親切な方が居た



ここの道路は封鎖されているとか
ここはもう開通しているとか
本当に本当にありがたかった



そして、おとうさんは行く決断をした
でも持って行くものも十分に注意をはらった
中途半端に親族にだけおみやげなんて
渡すことは出来ない
なんでアイツだけ…みたいなことにもなりかねないし
しかし避難所全員分のものも持っていけるはずもないし



手荷物は最低限にして出発することにした



もちろん宿泊施設も無いので
●東京~高速バスで深夜出発
●丸一日向こうで活動(生存していた親戚に会う、家、お墓の状況確認)
●その夜、また深夜の高速バスで帰り翌朝早朝に帰宅
という強行スケジュール



本当に津波の被害がひどかったらしく
自衛隊が道路の復旧などで入っているので
封鎖されている地域になっている



しかし、住所を示すものを持って行って
許可を得られれば入れてはもらえるらしい



家は無く基礎だけがのこってた
そして玄関の石の叩きだけは残っていたから
自分の家がわかった…と

$余命宣告上等!ドリーグランパ癌闘病記改め⇒娘っこ☆成長日記☆-2011040212190000.jpg


自分の生まれ育った故郷が
こんな形で無くなるって考えられん
想像を絶することだろう…。



親族、幼馴染やご近所さん
年寄りの多いこの集落では
ほとんど全滅に近い状態
助かった人は本当に奇跡的



そして、残念ながら無くなっても
遺体が発見された方はまだ良い方だという



まだ遺体すら見つからない人も大勢居る



一番近くの小学校は108人の児童のうち
32人しか生存できなかった



廃材の撤去、捜索作業している自衛隊の人も
子供のランドセル、位牌遺影は優先して取って置いて
くれていてその場所で位牌探そうとおもったが…



その端には白い布がかけてある遺体もあって
とてもじゃないけど探せなかった…と
今日は9歳の子供が発見されたらしい



山の木の上には…家畜だった牛やブタの死体が
刺さってるらしい



$余命宣告上等!ドリーグランパ癌闘病記改め⇒娘っこ☆成長日記☆-2011040212420000.jpg
親族一同のお墓を探しに行ったが
墓石は何も無い基礎の枠の部分がかろうじて
残っている…そんな状況
遺骨はあるかどうか、きちんと確認できなかった



そのお墓の前に通っている道路
反対側は、畑だったんだが



今は…『海』になってる…と
満潮時など時間によってはとても危険になる



すごい表現になるが
宮城県石巻市…地図がかわるかもしれない
それくらいの状況みたいだ



地震直後TVでは気仙沼あたりの津波の映像はあったけど
石巻のこの町ではひょっとすると…同等か
もっと大きな津波がきていたかもしれない…



盆地のような地形で木造が9割を占め
3階建て以上の建物すらない
前述の小学校も2階建て
安全に避難できて映像を遠巻きに映せる場所も無い



町で残ったのは小学校とコンクリの診療所だけ
その小学校の2階に乗用車が刺さっていた
あとは…ほぼ更地



基礎しか残っていない自宅の周りには
土砂や瓦礫が…
しかしその土は…なんと砂浜と同じ



海に行くまで車で30分かかる場所にも関わらず
その内陸まで津波が砂浜も何もかも飲み込み
全てを巻き込んでこの集落を襲った



3/11の津波
この地域では当時の写真映像は何も残っていない
運よく生存したひとの記憶にだけ深く
残る事だろう



俺も津波に追われる夢を何度か見たりしたが
親族一同おれよかもっとすごい衝撃
そして悲しみに襲われたことだろう



おとうさんの悲しい気持ちは想像を絶する
震災後何度涙したことだろう



家族で自分だけ助かり
子供や孫が津波に飲まれた人は
今後どんな悲しい思いをするんだろう
心の方も心配になる



とりとめない文章
そして失礼な事や不快な表現等が
あるかもしれませんが
どうか、お許しください。