こんにちは、なつこです
誰もが楽しめる登山と下山飯が大好き
アウトドアの記録をしています
尾瀬ヶ原のうかぶ池塘 奥には至仏山
エリア:尾瀬
歩行距離:約8km
獲得標高:約430m
アクセス:行き:関東自動車:沼田ICから1時間、尾瀬戸倉に到着
※尾瀬からマイカー規制のため、バスか乗り合いを利用
尾瀬ヶ原
はるかな尾瀬~遠い空・・・
夏になると、尾瀬に行きたくなります
青い空、どこまでも広がる尾瀬ヶ原の湿原
至仏山と燧ヶ岳につながる木道
尾瀬はワクワクが渋滞しています
大好自然が美しい大好きな尾瀬
存続の危機を迎えるほどの事もあったようです。
尾瀬の歴史を学ぶことで、次の世代へこの美しい自然を残したい。
そんなことを感じながらのトレッキングです。
尾瀬戸倉
関越自動車道:沼田インターから約1時間
尾瀬戸倉に到着です。
尾瀬はマイカー規制エリア。尾瀬戸倉からバスか乗り合いタクシーで入山します
片道、1300円
鳩待峠〜山の鼻
車で約30分、
鳩待峠に到着
尾瀬ヶ原へ行く多くの人は、ここから入山しています
歩荷さんが荷物をまとめていました
鳩待峠の宿泊施設、お店
「尾瀬に来たー」って感じがします
尾瀬
尾瀬は貴重な自然を保護するため、様々な取り組みがされています
人工芝は、靴裏についている外部の種子などを持ち込まないためのものです
靴裏をゴシゴシと擦って入山
各自が意識することで、自然保護につながるんですね
外部からの種子の持ち込みは禁止
登山道は木道、大きめの石で整備。これも自然保護が目的
歩きやすい登山道
鳩待峠から山の鼻までは
①〜⑥までのベンチが設置
この区間、行きは下りですが、帰りは上り。
約200mほどの高度差があるので、登りの時は目安になるし、休憩もできます
道しるべも兼ねたベンチ ありがたい
木道が修復されていました
濡れた木道を歩くとき、このすべり止めの木がないと歩きづらいので感謝、感謝
滑り止めの木があるだけで、ちがうんだよね~
テング沢
テング沢
尾瀬の草花
尾瀬では、たくさんの花を楽しむことができます
ミヤマアキノキリンソウ キンミズヒキ
ゴマナ キツリフネ
尾瀬は熊の生活圏
ご飯を食べていると、熊は人の往来に気が付かないようです
お互い会いたくない存在なので
鐘をたたいて警鐘
思い切り、鳴らしてしまった
川上川
橋を渡ります
川上川の水もキレイです
川上川
山の鼻〜竜宮
鳩待峠から約45分程で、山の鼻に到着
4件の山小屋とテント場、ビジターセンターがありました
山の鼻ビジターセンター
ちょっとだけ、テント場も見学
山の鼻テント場
さぁ、尾瀬ヶ原トレッキングスタート
燧ケ岳にのびる木道
2000m級の山に囲まれた尾瀬ヶ原
今日は風が強い
逆さ燧がキレイな池糖
のはずが、さざ波で逆さ燧はお休み中・・・
燧ケ岳は雲の中、こんな日もあります
牛首分岐に到着
竜宮へ行くか・・・ヨッピ吊り橋へ行くか
分岐点で悩みます🤔
ワタシは竜宮へ進みます
どっちへ行っても景色は良いから、後悔はしません
牛首分岐
牛首分岐には、少し広めのベンチが設置
ここで一息ついたら
ホントはずっと、座っていたい
ちょっと座って水分補給
歩荷さんが荷物を運んでくれています
竜宮~ヨッピ吊り橋
竜宮まで歩いてきました
三ツ矢サイダーは450円
高いとおもうかもしれないですが・・・
ファミリーマートのパウンドケーキがおいしかった
竜宮は竜宮現象がある所
とても神秘的な場所
この写真は水の入り口です
竜宮現象 水の入り口
青い空と山々に囲まれた湿原
心地よさ、幸せ、安らぎ・・・
よき言葉しか思いつかない
楽しいが渋滞中
尾瀬に来てよかったーーー
竜宮からは、ヨッピの吊り橋方面へ歩いてきました
ココはヨッピ川が流れています。
ヨッピ吊り橋
尾瀬の草花
尾瀬ヶ原で有名なのは、水芭蕉
水芭蕉のほかにも、尾瀬を代表するお花はたくさんあります
キンコウカ マルバダケブギ
サワギキョウやキンコウカが咲いています
短い夏に終わりを告げる花
サワギキョウ コオニユリ
オゼミズギク オゼトリカブト
トンボ ミゾソバ
ヨッピの吊り橋から、本日のお宿がある
山の鼻まで、ゆっくり歩いて帰ります
池糖と燧ヶ岳
至仏山へ続く木道
この道を歩くだけで、ワクワクがとまりません
尾瀬ヶ原 至仏山へ続く木道
尾瀬の草花
ヒツジグサ
日本特産の多年草。7〜8月の昼頃に白い可憐なお花を咲かせます。
未の刻に開花することが、名前の由来となっています
ヒツジグサ
山の鼻
本日のお宿、山の鼻小屋に到着
山の鼻小屋
1泊2食、15000円。個室でお風呂もあります
まったりと山小屋で過ごす、時間がスキ
この至福の時間を楽しみたいと思います
山の鼻小屋
尾瀬の歴史
尾瀬は歴史が
明治23年、平野長蔵氏が尾瀬沼に小屋を建てたことが尾瀬の開山と言われています。
その後、水力発電計画がありましたが、開発されることなく昭和の時代を迎えました。
昭和30年後半、人の生活に余裕が出できました。そして、ハイキングブーム。尾瀬を訪れるハイカーが急増です。
当時は、自然を守る設備やマナーが確立しておらず、湿原を自由に歩き回り尾瀬の自然は急速に荒廃。特にアヤメ平は1haもの湿原が荒廃したようです。
最近の登山やキャンプは「ごみ持ち帰り」は当たり前。当時の尾瀬はゴミ箱が設置されており、ハイカーによる多くのゴミがあふれていたようです。そして、そのゴミは山の中に埋められて処理されていました。
昭和47年、尾瀬で初めてゴミの持ち帰り運動を実施。以後、全国に広がっていったようです。
現在、アヤメ平はかつての湿原の姿を取り戻しつつあります。ワタシは昨年、アヤメ平に行きました。アヤメ平には、とても素敵な湿原が広がっていました。
多くの人の努力、一人一人の自然への意識が今の尾瀬の自然を作っているんですね
ワタシは、ヤッパリ尾瀬がスキ
この自然が続くことを祈ります。