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森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

あなたと森羅万象すべてをつなぎます!

意気 真心 義理 人情を大切にしていきたいです。

幸せ言葉
ついてる 楽しい 幸せです 愛します 許します 感謝します
ありがとう うれしい 
やってやれないことはない やらずにできるわけがない

ごきげんよう どろんnです

いつもいいね 並びにフォローありがとうございます

割とミニマリスト(ケチ)でシンプルを好む私ですがw

グーグルの検索画面のシンプルさやI phoneの機種変更

の際のデータ移行のラクチンさを気に入ったりしている

のですがw どうしても許せないのが たまになぜか 

偉いさんに直電しているsiri姉さんがいますwww

作業中に尻に入れたのが当たって直電してる模様ですが

ーそんなドッキリ今いらんねん Hey 尻! ゆうてな

と寒くてスイマセン笑い泣き笑い泣き

 

 

 

カタカムナや女性の台頭という古代の文脈が最近今に

なって 個人的テーマになっておりますが 詰まる所

 

 

ー自分らしく生きる

 

 

というのが見えてきます

でこの自分らしさとは一体何かと問うと

 

 

ー神と同期した自分 誇れる自分

 

 

というーお天道様に顔向けできない といった昔の

時代劇のフレーズが浮かんできますがw 

つまり 

 

 

ーややこしい自分や言い訳をしてどんどん矛盾が生じて

負の連鎖というストーリーがエンドレスに生じる

 

 

といった場合

 

 

ー結局 誰が責任を取るのか(覚悟を持たない自分にとって)

 

 

つまりそれは

 

 

ー誰かのフリであり こうあった方がいいんじゃないか

という誰得の思いやりだったり 恥を忍んだ為に起こった

結果あるあるではないのか

 

 

よく芸の世界の肥しと言えば 花街と博打といったフレーズを

思い出しますが

本来まじめで誠実な自分を無理に奈落に落とし込んで 生まれる

面白さとはいったい何なのかw

 

 

ーそれですら取り繕いの範疇を抜け出せず 何かを纏ってそれを

語ることで 自らの肩書を語っている様に過ぎないのではないか

 

 

と思えたりもします

 

 

 

 

ー愛の反対は無関心

 

 

といった本当のことはマザーテレサが神との遭遇の後 死ぬまで

一度もコンタクトがなかったことを言っているのよ ととある

マザーの近くにいた女性が語っていたのですが

 

 

ーどこかで自分が忌み嫌うものをジャッジしていた

 

 

とした時に それを避けるが余りに 反対にそれを意識し過ぎて

 

 

ー結果 自らの魔に取り込まれてしまう

 

 

というのはよくある話しで

 

 

ー子供のことを無邪気というように 天真爛漫さとは そういった

価値観を超越している

 

 

ことからもわかりえます  つまり

 

 

ー自ららしさをジャッジする中で 神と同期した際の自信や

誇りをいつのまにか失い 誰かのことや自分のことが気になりだす

 

 

という人間の恐れと欺瞞のシステムが見えてくるものです

 

 

ーそれは深い水の中に落ちていくモガキや足掻きの姿勢に似ています

 

それは助けてくれようと手を差し伸べてくれる人まで 自分が

助かるのであれば 押しのけてないし 道ずれにするかのようにです

 

 

聖書にあるように

 

 

ーあなたは自分の命を失うのを恐れるがあまり

反対にそれを失っている

 

 

それとは命であるというのは当然ですが その本質は

 

 

ーあなたらしさを失っている

 

 

ということが今回の話しです

 

 

ー野に咲く花や空飛ぶ鳥が 刈ることもせず蒔くこともせず

怖れも持たずに 地球と同期して 神に養われている

 

 

ーパンや衣服は人間の命(その使命)より大きい訳がなく

その為にその命を失っては何の意味があるのか

 

 

イエスの真心と思いやりとは神の在り方であり 誰かにみせる

ものでもなく その報いを求めるものではないと続きます

 

 

ー見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意

しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで

報いをいただけないことになる。

 

 

契約社会とは縛りを必要とします 

悪魔の契約とは望む結果の対価を必要と

するものです

 

しかしながら 本来自然界の対価とは存在しえない

という事がわかります 生きているだけで恵みであり

その世界に生きる 生きとし生けるものはすべてその恵みの

享受者であり そして同じ仲間であるという事です

 

 

つまり 契約とはーあなた(神)を信頼しない という前提の

下に 当事者間で利益享受とし ないしはその反古の際には

法律という更なる縛りの中で 制裁と法的拘束を余儀なくする

ものであるとしります

 

 

よく一杯のコーヒーを飲むのに何万人の飢餓や殺戮に加担している

恐れがある というのは 資本社会の効率性という低賃金の連鎖と

劣悪な労働環境に付帯する末端の人の犠牲を伴うという事に

起因しているといえます

 

 

上位1パーセント未満の富裕層の為に 多くの人間の血と汗という

労働とその結果として 疫病 飢餓 紛争 麻薬 誘拐 人身売買

といった 負の連鎖のドラマという 豊かさの矛盾が積み重なることに

なっているものです

 

 

しかしながら富裕国では多くの人は上位に少しでも上がろうとしその中で

家庭を築き子供を設けて人類に貢献したとしても 貧困国ではその影で

その1家族を養うために 何十 何百の家族が飢餓や疫病の中で

尊い命を犠牲にしている 

とどのつまり 資本主義のからくりとは

 

 

ー自分らしくもない自分を養うたびに誰かが死んでいる社会

 

 

という構造を目の当たりにした時 どんな美辞麗句やスーツで決めて

レッドカーペットを歩いたとしても それは

 

 

ー(どこかで誰かが)ただその報いを受けている

 

 

と知るのみであるという事です 

 

 

 

ーだから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』

と言って、思い悩むな。 

それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに

必要なことをご存じである。 

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 

だから、明日のことまで思い悩むな。

明日のことは明日自らが思い悩む。

その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

 

 

ー人が恐れを纏う時 神の国と神の義は廃り果て

これらのものは全て奪われ剥奪される

 

 

これは ーあなたらしさ のはなしでもあります

 

 

 

その一つのかごには、はじめて熟したような非常に

良いいちじくがあり、ほかのかごには非常に悪くて

食べられないほどの悪いいちじくが入れてあった。 

 

主はわたしに、「エレミヤよ、何を見るか」と言われた。

わたしは、「いちじくです。その良いいちじくは非常によく、

悪いほうのいちじくは非常に悪くて、食べられません」

と答えた。

 

主の言葉がまたわたしに臨んだ、 

「イスラエルの神、主はこう仰せられる、この所から

カルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人を、

わたしはこの良いいちじくのように顧みて恵もう。 

わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、

彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。 

わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。

彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。

彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。

 

 

主はこう仰せられる、わたしはユダの王ゼデキヤと

そのつかさたち、およびエルサレムの人の残って

この地にいる者、ならびにエジプトの地に住んでいる者を、

この悪くて食べられない悪いいちじくのようにしよう。 

わたしは彼らを地のもろもろの国で、忌みきらわれるものとし、

またわたしの追いやるすべての所で、はずかしめに会わせ、

ことわざとなり、あざけりと、のろいに会わせる。 

わたしはつるぎと、ききんと、疫病を彼らのうちに送って、

ついに彼らをわたしが彼らとその先祖とに

与えた地から絶えさせる」。

 

 

 

恐らく人類がパンデミックを経験し 世界が新たな状況に

陥っている今という時代の転換期だからこそ

一人一人が神の世界を取り戻し 自分らしさを取り戻す

きっかけになるものと信じます

近代の人類が作ったシステムは早晩崩壊し

神の古来のシステムが戻った時 あらゆる知恵と忍耐と

希望は人類の脳裏に描かれ ユートピアを描くようになるのでは

と思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう どろんnです

いつもいいね並びにフォローありがとうございます

去年12月に受けた清掃の資格が 今年3月に合格通知

が来て2年越しに合格しましたが ー当初発表まで長いw

と思っていましたがのど元過ぎれば遠い過去になって

おりますおねがい

コロナも5類になったようであれほどの大騒ぎはどこ吹く風

でありw 何だかんだで人間ってたくましいよなおねがい

って思います

 

 

ー成功とは継続なり 

 

と数々の成功の法則を見聞するとありますがw

そもそも 

 

ートライしていなければ 継続も成功もできない

 

といえます また

 

ー低迷期や資金繰りの苦労なども その仕事に対して

情熱であったり 夢があるからこそ頑張れる

 

というのも また然りであり

 

ー結果に至る過程の方が肝要である

 

というのはそういう所から来ているといえます

 

 

 つまりこういった姿勢から 

 

ーやらされる という受動的な姿勢といった

対価と義務の中での退屈なルーテインという姿勢では

正にヌカに釘の状態で 少しのことで打ち込まれw 

あるいはペタッと倒れw

”継続”あっての成功もおよそ覚束ない

 

ということになります

 

 

先日坂本龍一が亡くなられましたが 

 

一つの時代が終わった

 

とも思えます それは時代の坩堝(るつぼ)やその翻弄という

 

ーEnthusiasm(熱狂) の時代の終わり

 

存在の耐えがたきサルサの盟友村上龍 や ボブデイラン

東大全共闘 など 

ーうねり とも言える時代に人々は熱狂し 正義や思想を語り

あるいは過激派として活動し 結局倒錯と絶望を味わった

 

ーあれは何だったのか

 

という問いには 時代が人を作る という勝海舟の言葉が

よぎります

 

ーもしこのような時代ではなければ 西郷も井上もあれほどの

大人物にならなかった あれは時代の流れがそうさしたのよ

 

しかし 時代ゆえに後に西郷は西南戦争で倒れ また維新が

行われゆえに 第二次世界大戦と核投下といった後の憂いを

残したものです

 

このことから 人間とは

 

ー自ら発露する処から 端を発しなければ およそ時代や

社会に振り回されて 唯消耗していく存在(村上龍的に言えば)

 

といえます

 

 

 

それはモードを創ったココシャネルの様に ー退屈 とー欺瞞

という女性のースタイル を ー刷新 したように

 

コルセットの様にがんじがらめにされた その閉塞的で

権威的スタイルを 椎名林檎のー本能 のPVのように

ー殴りw ー蹴破るw 何かを一昼夜の内に

 

ー自らの手で塗り替えてしまう

 

それは抑圧的社会風刺の瓦版であり 音楽でいうロックやパンクであり

買うものは信者であり 画商のようなものである

 

その発露した先には

 

ーおどろおどろしい自らの根っこにあるー反骨 であり 

持って生まれたー異質感 と 違和感 だからこそ

 

ーそのスタイルは 社会からの抑圧や弾圧に よく耐え忍び

”受け継がれていくスタイル”になりうる

 

その意味で イエスはロックスターであり 強烈な風刺であり

自らは神の子である という発言は 当時の権力者の脳天に

衝撃を走らせた一つのスタイルであったと知ります

ゆえに時代に耐え偲び 聖書という不滅のベストセラーに

なったということです

 

 

ー地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。

平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。 

わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁を

そのしゅうとめと仲たがいさせるためである。 

そして家の者が、その人の敵となるであろう。 

わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。

わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 

また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者は

わたしにふさわしくない。 

自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を

失っている者は、それを得るであろう。

 

 

ー普通はつらいよ という斎藤ひとりさんの音声があるのですがw

何をするにしても ー炸裂していないとw 普通にしんどいし

そして辛い というお話しですwww

 

 イエスを愛する女たちの愛とは 身口意を守り 永遠の命に

入れるから愛するのではなく その身を案じその魂に傾倒するが

ゆえに その多くを愛され 許されているのです

 多くの男弟子が不審とジェラシーの眼で見つめる中でw

香油を髪に含ませて その御足を洗うというのはそういうことですw

 

 ある意味で人間は重力とラグという退屈と死ぬまでのぼんやりとした

保身のなかで 朽ちていくものですがw それを超える原動力を得た時

信じれないほどの忍耐力と推進力を得て E=MC二乗 を超えるのですw

 それはアインシュタインの美女といる時間の話しにも似ていますw

 

 それほどまでに ー人間の業 とは本来ピュアであり 誠実で

凄まじいエネルギーと躍進をもたらす可能性を秘めているといえます

 

 

ーあなたは 阿弥陀様がどのようなお力をもっておられるか

ご存じの上で わたしのような罪深いものは とても救っては

くださらないだろうなと思っておられるのですか 

 罪深いものは救われないなどというのは 阿弥陀様の本願の

不思議なお力を知らないものの考えることです

 阿弥陀様の本願の不思議なことをよく知り その本願を誇り

あまえるような打ち解けた心が起これば 阿弥陀様に身をゆだねる

他力の身心も定まるというものです

 阿弥陀様の本願を知り それにあまえてつくる罪も 過去の多くの

縁によるものです 

 だから善い行いも悪い行いも すべては過去の縁によるものと

考えて それに囚われことなく ひとえに仏様の本願力を

おたのみすることが 他力という事です   (歎異抄)

 

 

 自らを神とした時 自らが決して守れない法を用いて

一切衆生が守れなかったとして 追放するようなことは

あるだろうかw

 

 不思議なことに宗教も歴史も どんどんと時間が経つにつれ

ー美化 されていき 本心のドロドロとしたところを風化させて 

ファンデーション(形骸)化していくような気がしていますw

 

 エゴの見るうえでの善悪という判断は 目先の木を見るに等しく

菩薩のバードビューや多次元的解釈とは程遠くなり 画一的な

中身のないものになりがちであるということです されど 

 

ー人間の原動力たるものはそんなものじゃないよw

 

と正に胃の中の潰瘍が 手や顔の吹き出物に出るがごとくw

 

ー3大疾病といった病気の原因は大体共通なように

人間の根幹に眠るもの(業)は大体共通である

 

と言えると思います ゆえに

 

ー善 の行いと教えを聞いていると人は清々しい気持ちにも

なるし それを押し殺すと次第に 社会的病巣と疾病に

繋がっていくのは 自然の摂理である ということでしょう

 

 

翁はこう言われた

財を惜しむ者は どんなに気の毒な人を見ても救ってやることが

できない 命を惜しむ者は 君主が国を治める才能がなくても

強く諫めることができず また君の馬前に死ぬということも

できない こういう者は農事を十分にすることはできなかろう

 農事は 天変・凶歳や風雨を恐れていては 十分に肥料をやり

力をつくすことはできないものだ 損害は天にまかせて

天下の農民は農業をしているのだ それを仕官して君に

つかえている者はなおさらのこと まして累代の仕官をしている

者に その心掛けがなくてはならぬことだ  (二宮尊徳)

 

 

 3度鶏が鳴いたらの話しではありませんが ひっきょう

覚悟と誠実さとは 己の命を顧みていてはとてもその正道を歩む

ことは難しいという事でしょう

 先の私の為に命を失い 命を得る とありましたが 結局

 

ー人というのは己のあらゆる全てを踏まえ 人をはじめて

愛するのである

 

それは目先の利益や虚栄心だけでは ほぼ足元はおぼつかない

ということです

 

 いわんや その神は人間の醜さや業を愛するがゆえに

この地上をあまねく照らし その子である人間はそれを踏まえても

なお愛し慈しむ神に己の全身を委ね その子の様に愛する

それもこれも

 

ー愛とは一筋縄ではいかない所に愛する所以(由縁)がある

 

ということに他ならないものです もし

 

ー人間が悟ってしまい 罪と罰もなければ およそ神は人を

愛する縁はあるだろうか それは

 

ー愛され愛した歴史であり 誕生と死は記念日である

どちらにせよ 祝福されている ということをイエスは伝えに来た

 

 

人間とはえもすると もはや愛されないんじゃないか  

この世界は絶望と悲嘆に満ちている と思いがちですw

 

これは先のファンデーション化と同じく 自惚れという美化現象の

一つだと思えますがw 勝海舟の

 

ーあんたそれは自惚れだ あんたが国に仕える心と

馬丁がその主人に仕えようとする心を その自惚れを取り払って

平たい心で見つめて見よ 少しも違いなどない

 

ーさんまさんの 自分が特別だとか思ってるから悩むねん

 

という話しを思い出しますがw ジョンレノンのイマジンは

 

ー平和な歌と同時に 誰もみな等しく同じだ

 

と言いたかったのではなかったか 

 

 

想像して 何も所有しないって
君にも出来るんじゃないかな
欲張ったり飢えたりする必要もない
人類はみんな兄弟
想像して すべての人々が
世界を分かち合っていると

 

 

ー彼が伝えたのは夢ではなく 神に愛し愛されるのは

当たり前なんだよ 

 

ということだった

 

 

 

ますます混迷を深める昨今ですが であるからして今

天に全てを委ねないで一体どうなるというのか

トルコ地震で 救い上げられた子供に

ー神は偉大なり と救助した大人たちは口ずさんで

いましたが 現代人は身心を委ねられないからこそ 辛く

重いものになってエゴの檻から抜け出せずにいるものです

あらゆる人の迷い 悩み 恐れは共通であり ゆえに天は愛し

皆救いという恩恵に預かっていると 平たい目で見つめた時

終わらない悪夢という夢から人ははじめて目覚めるもので

あるように思えます

 

 

 

 

ー夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。

 

 

 

             吉田 松陰

 

 

 

 

ー道は天地自然のものにして、人はこれを

行うものなれば、天を敬するを目的とす。

天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を

以て人を愛する也

 

 

 

             西郷 隆盛

ごきげんよう どろんnです

いつもいいね 並びにフォローありがとうございます

個人的にはや8年目に至ろうとしている しんどすぎてw

今の会社に別れを告げようと思っているのですが とはいえ

人がいないという状況 ある程度はw周囲の人々には

恩があるという微妙な調和でとどまっております笑い泣き

ーまっどうでもいいや。。。 と思える間は

と思っていますw

 

 

 

何となく最近のテーマを総括すると

 

ー統合(女性性)と分離(男性性)

 

というのに行き付くのですが 

いま世界は女性性(感情)の世界が 論理ベースの

男性性に大分押されており 

 

ー汝の敵を愛せよ 隣人を愛せよ

 

といったことと ー真逆 の世界へシフトしつつあり 

”人類的臨界点”に達しようとも思えます

 

 

ゲリーボーネルが初めて母親の内側の世界を体験した話し

 

ーいろんなものが見えて すごかった フィーリングも

全部感じるとことができたし ママ 過去のいろんなことを

考えてた 友達のこととか 僕のほんとのパパのこととか

それから ママのお父さんまで出てきて おばあちゃんからも

誰からも 名前さえ聞いたことがなかったのに 彼だって

すぐにわかった ビュイックドライバー(継父)みたいに

ひどい酔っ払いだったけど

 

イーライ ー理解できなかったことはなかったかい

 

ー一つだけ ママ ほとんどの場合 考えてることと

感じてることが違ったんだよね たとえば ビュイックドライバー

のこと 好きだって考えてるのに 好きじゃないと感じているんだ

まるでお店の中で 何を買っていいか迷っているみたいな

そんな感じだった それから 怒り あれってすごく大変

体がマヒしたみたいになっちゃって

 

イーライ ーまさしく! その通り!

 

ーねえ イーライ ママ 自分が何を欲しがっているのかを

どうして知らないんだろう? 彼女 幸せだったのは海軍に

いたときだけだった どうして自分をすきじゃないんだろう?

 

イーライ ーその点で 君のお母さんは特別じゃない

ほとんどの人間が同じように混乱しているんだ 

海軍にいた頃は幸せだったのは 思いとフィーリングが

一致していたからなのだよ 思考と感情が一致していると

至福が体験され そのとき人間は 言わば”神の恩寵”に

包まれる そのときに人間は 衝動に従うこと以外の

選択は行わない 一方 思いとフィーリングが分離しているとき

つまり 思考とそれに付随する感情の間に隙間が存在している

ときには 虚しさが体験されることになる そして

その隙間つまり虚空は 欲望のエネルギーが発生し 成長する

場所でもあるんだ 欲望を伴う思考や感情が 多くの場合

虚しい思いであり 虚しいフィーリングであるのは 

それだからなのだよ

ー虚空は相対したもの同志を分離することでも発生する

君らの物質世界を治めている法則の一つに”調和平衡の法則”

というものがあってね 

”特定の分離要素が表現されると それがどんなものであっても

それと相対する要素が 同時に 必ず表現されることになる”

という法則なんだけど 実際 必ずそうなるんだ

 ある友人の言葉を引用するなら

”憎しみのある場所には愛を蒔きなさい 闇のある場所には

明かりを灯しなさい”ということ

ーここでイーライは両手を頭のてっぺんに持っていき光輪から

光を引き出した

 

イーライ 一部の人間は この調和平衡の法則 別名

”二元性の法則”をしっかりと認識して生きている

一方 ほかの人間たち 大多数の人間と言った方がいいのかな

それらの人間たちは ほとんどの場合 欲望を除く いかなる

エネルギーにも気づいていない 虚しさのフィーリングが

この世界に充満しているのは そのためなんだよ

 

~君がそのように感じているとしたら それは 君が君自身を

受け容れるようになったからだよ デモンストレーションを

してみようか? 君の継父のことをかんがえてごらん

 

ー継父という言葉を聞いたとたんに震え出した 本物の体に

戻った時の様に 自分が小さく孤独な存在に感じられた

 

イーライ これから私が言うことを そのまま繰り返して

ごらん ー愛してるよ お父さん

 

~ーわかった やってみる なんか バカバカしいけど

愛しているよ(あれ? 継父って言われる前の気分に

戻ったみたい)

 

イーライ この普遍的な平衡作用は 個人がこれを意識して

いようといまいと 必ず起こるんだ これは言うなれば

大きな絵の一部でね 完璧なものから逃れる術は存在しない

のだよ 

 

光だけしか見ようとしない人間は 闇を恐れているために

そうしている 恐れは分離を促すエネルギーなんだ

光と闇を対比させてしまったとき 人間は 平衡状態にある

二つのものの一方の間にけ立って考え 完全なものの中に

虚空を創造してしまうことになる そうやって光と闇

善と悪 正しさと過ちを 分離してしまうんだね

わかるかい?

 

 裁き あるいは批判は 不完全性 虚空を生み出し それが

病気を創造する 光だけしか見ないことを選択してしまったとき

ともすると人々は 光のために闇を破壊しようと考えてしまう

でも あらゆる瞬間に 常に 丁度十分な闇があり ちょうど

十分な光があるんだ どちらも お互いの存在を証明するために

存在していると言っていい 闇がなければ光は存在しないし

光がなければ闇は存在しない これ以外のことはありえない

 ~いくつかの古代文明は この二元性の法則を 比喩を用いて

説明しようとした

 人間の意識は 相対するものをもてあそぶ方法を 色んな文化の

中で 常に見つけ出してきたんだね

 寓話 おとぎ話 物語 伝説 教訓 言い伝え 神話 たとえ話

 

 

ここで思い出されるのはラピュタの有名なシーンです

 

 

ムスカ「終点が玉座の間とは、上出来じゃないか。ここへ来い」

シータ「ここが玉座ですって? ここはお墓よ。あなたと私の。

国が滅びたのに、王だけ生きてるなんてこっけいだわ。

あなたに石は渡さない!

あなたはここから出ることもできずに、私と死ぬの。

今は、ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。

ゴンドアの谷の歌にあるもの。

”土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、

鳥とともに春を歌おう”。どんなに恐ろしい武器を持っても、

たくさんの可哀想なロボットを操っても、

土から離れては生きられないのよ」

 

 

男性性が利己的にその世界を牛耳ったとしても その大地が

滅んでしまっていたら 結局権力者でも何者でもない

自分の利己心のために 大地(感情)をずたずたに蹂躙しても

なお突き進もうとする愚かな支配欲には虚しさしか存在しません

1年たったウクライナの大地に立つ無数の墓標は何も言わず

ただ戦争の現実を語るのみです

 

 

利己心とはいわゆる人間の構造そのものであるといえます

 

つまり ー恐れ によって我々人類はこの世界をリアルに

体験しているということがいえますが 同時に

 

ー自らの視点からでしか 物事を判断できない

 

よって あらゆる宗教では それをー中和する ために

ー死後の世界 を語ったりして より広い視野で相手の

立場に立った ーニュートラル にする方法を教えている

ものです

 

 

イーライ

ー他の人たちが飛んでいる君を見ることができないのは 

さっきも言ったように人間は一般に 

ー自分が見たいものだけしか見ないから それから君の

友達の木に関しては こういうこと 

つまり 遠い昔に忘れ去られて

しまったことなんだけど かつては人間にとって 世界を

あらゆる観点から見ることがとても重要なことだと
されていた 植物や鉱物の観点も含めてね 

それで若い男たちは 思春期から大人へと成長する過程で 

自分以外の人間の気持ちはもとより 植物や動物たちの
気持ちを知ることが出来るようになることを求められ

ていたんだ

~もしも何らかの理由で ある若者がこの心の状態を

達成できなかったとしたら彼は 人間として生き続ける

ことを許されなかった 

もしも男たちが 植物や動物たちの意識を 

ほんの一瞬だけでも体験できたとしたら そのときから

彼らは植物や動物たちをも神聖なものとして眺めるように

なり その結果 植物や動物たちは 人間の男性意識による

利己的な利用から守られることになる ということが
しられていたんだ


より詳しく人間の構造をイーライは語ります

~君の一部である君の知性体は 君の地球上での出来事を
分類する責任を負っていて すべてを直線的 時系列的に
認識する 
~それは そうすることによって 日々の現実の中で

一つ一つの出来事同士がどう関わっているかを 

君が理解するのを可能にする それに対して 

君の感情体は 別の観点から物事を見ている
それは時間を認識していなくて 出来事同士を 実質的刺激と
空間の観点から関連付けるんだ 時間は知性の産物で
空間は感情の表れ 空間は その表出を感覚すなわち

フィーリングに依存している 知性体と感情体は 

一緒になって君の心を創造していて そのために君の心は 

時間と空間の双方を認識している 知性体と感情体が協調して

働かなくなったら 君は機能不全に陥ることになる 

そのとき君は 自分の旅の出来事に意義を与えられなくなってしまう

ー僕には ほかにも体があるってこと? 本物の体と空飛ぶ体
以外にも?

イーライ
ーああ ただし 体というものは 一つのもので
出来ているわけじゃない 君の知性体の中にはいくつもの思考が
あるし 感情体の中にも いくつもの感情がある 
それで 君のそのいくつもの思考と いくつもの感情が力を
組み合わせて 君の心を作り上げているんだよ そしてその心は 
肉体を通じて 言葉や行動として表現されている
 君らの学校だって 体と言っていい 何人もの生徒が集まって 
その体を作り上げているんだね そしてその体の特徴は 
生徒たち全員の総合的な言動を通じて表現されている

ー突然 ブッチのことが頭に浮かぶ 
ー体の一部を取り除くことが出来るの?
~たとえば 学校にいじめっ子がいたとして その子が
学校からいなくなったとしたら それで学校の体の特徴は 
少し変わるわけ?

イーライ
ーああ 変わるとも
これは あらゆる体について言えることになるんだ 
たとえば もしも君が嫉妬や貪欲といった破壊的な
思考パターンを持っていたとしても それを取り除いたと

したら その時から君の知性体は以前とは違う特徴を示す
ようになり その結果として人生までもが確実に
変化することになる その時から君の心は 自分の嫉妬や貪欲を
チェックするために用いてきたエネルギーを 自分が本当に
欲しがっているものを創造するために利用できるように
なるわけだからね

ーならず者や悪い思考を取り除くのって 難しいの? 

僕は訊ねた
ただし そのときに頭の中にあったのは 継父のことだった

イーライ
ーそれは状況次第だね いくつかの文化の中では 個人のエゴは
”ならず者”で 心の中から追放されなくてはならないと

言われている 多くの人間の中には エゴは実際 制御不能に

なっている
君の継父がいい例だ 彼の意識は この世界で生存することにばかり
向けられていて 成長することにはほとんど向けられていない 
エゴは人間の意識の一側面で その最大の関心は生存にあるんだよね
ただ もしもある人間が 生存する方法しか知らなかったとしたら
成長はほとんど望めない それとは逆に 成長する方法しか
知らなかったとしたら その人間はすぐに滅びてしまうことになる 
生き延びる方法を知らないわけだからね 充実した人生を生きるには 
成長と生存のバランスが必要なのだよ

ー僕の人生の中からビュイックドライバーを取り除くことって
難しいの?

イーライ
ー君の継父は 君が持っている”生存する必要性”の象徴で 

君は 君の継父にとって 傷つきやすく無力感にさいなまれて

いる”内なる子供”の象徴なのだよ 君たち二人は どちらも

相手から学ぶ必要があるから関わり合っていて 必要なことを

学び終えたら 自然に関わり合いを解消することになる 

ただ 途中で関わり合いを解消してしまったら
そのときには二人とも ほかの誰かと また最初から

やり直さなくてはならなくなる だから このまま彼と最後まで

関わり続けることを私は勧めるがね

ー生存することなんていくらでもできるさ ~ビュイック

ドライバーから学ぶことなんて何もないと思う

イーライ
ー落ち着くのだ 愛しき友よ エゴというものは 君の重要な

一部でそれをなくすことは ほかのどんなことよりも難しいのだよ
 時間がたつにつれ 君は自分のエゴに 生存に必要なこと以外の
ことも行わせられるようになる 君の継父は 君がそうなるのを

手助けしてくれる存在なのだよ 特定の欠点を追放するために

必要な 貴重な学習の機会を提供することでね 

ーエゴがなければ 地球上で人間として生存することは誰にも

できない いくつかの人間社会の中では 生存以上のこと 

たとえば富の蓄積などを目指す人間は 大きなエゴを持っていて 

大きなエゴを持つことは悪いことだ といわれている
 しかし 悪いのはエゴじゃない 悪いのは エゴのパワーを

用いる時の”意図”なんだ ほとんどの人間は 未来を保証するもの

としての富を蓄積するために エゴのパワーを用いようとしている 

そして その種の意図
ー安全のために形あるものを蓄積しようとする意図ーを生み出すのは
ほとんどの場合 恐れなのだよ

~人間というものは 何かを学んだ時にもっとも輝くんだ

ー歳をとった人たちって こんな風に感じているのかな?

イーライ
ー必ずしもそうじゃない 彼らは一般に 経験からくる
理解力を持っているが純真さを欠いている 君たちは 
純真さは持っているが 経験を欠いている

ー人間の女たちは フィーリングの自由な表現を許されている

ために抽象的な感情の処理能力を発達させているのだよ

~女性たちは あらゆる種類のフィーリングを感じ また

表現することを許されてきたために ときおり 男性たちには

理解できない知覚能力を発揮することがある

ー約束を守ることは 誰にとっても大切なこと 約束を守るたびに

自尊心が膨らみ 自分をより愛せるようになる

―今はまだ 全てを理解しようなんて考えないことだね 

一つ一つのことを理解するよりも 全体を感覚的につかむことの方が

ずっと大切なこと 私と会うたびに 理解力は次第に身についてくる 

だから心配はいらない

ー私はこれまで 主に大人の人間を相手にしてきたのだよ 

ただし彼らはまず いくつもの快楽装置を捨てなくてはならない 

それを持っているために 彼らのほとんどは 霊的進歩への興味を

失ってしまっているんだ そして たとえ彼らが 長い年月をかけて

内側の様々な特徴について学び またそれらに働きかけることで 

物質世界の果てしない欲望をどうにか超越することが出来たとしても 

その次に私は 彼らの霊的エゴを取り壊さなくてはならない 

人間というものは はなはだしく独善的になってしまいがちなんだ

ーその原因は 長年におよぶ社会内の不調和と 教師たちへの幻滅が
彼らの周囲に正義感の堅い殻を創造することになってしまうことに

ある 私はそう信じている たとえ誰かに出会ったとしても 彼らとの

会話はほとんどの場合 誰の神が創造原理の究極の表現なのかと

いう議論に至ってしまう そんな議論しても 分離感以外は 

ほとんど何も得られるものがない

ーだから わかるよね? 我々はいつも途中で切り上げなくては

ならなくなる
我々の交流が最終的にどんな形のものになるか 正確にはわからない
でも私は 瞬間 瞬間を大切にしたい そして 共に過ごす時間を

常に楽しみたいと思っている これからの作業の中でもっとも

苦労することは君に今の純真さを保たせることだろうね 

これから君は 君の内側にある様々な迷信を打ち砕いていくこと

になるが その過程で純真さを失わないようにすることが 

きわめて重要なことなのだよ いずれ君は 物理的な形を持つ

自分の宇宙内で物事を直接的に具現化する方法を学ぶことにある 

それを学んだときから 君はもう楽しくてしかたなくなると思うよ

 

 

とwまあーイーライ劇場(激情) にお付き合い頂いたのですが

 

 

つまり 社会不調和 = 内的不調和 

 

と言えるわけで 長らく続いた恐れにフォーカスした分離脳から

ユニテイ―といえる ー統合脳 に変容していかなければ

およそ人類の明日はない という待ったなしの状況の過渡期に

いま立たされている中で 無力感と虚無にさいなまれながら

エゴの求めるまま ただ生をいきながらえるのか?

それが本当の人類の姿であり この世界に生まれた目的なのか?

今年40を迎えようとするおっさんは思うわけですwww

 

 

ヨガナンダはこう語りかけます

 

 

しかし われわれは睡眠中 死んでもいなければ 完全に
意識を失っているわけでもありません
なぜなら 目が覚めた時 自分がよく眠ったかどうか
覚えているからです それと同じように いわゆる死後も
われわれは死んではいないのです
 それよりも 心が硬化してしまった人こそ ほんとうに
死にかけている人です 生命の謎を説こうと思ったら
毎日新しく生まれなければなりません つまり 毎日何らかの
自己改善の努力をしなければなりません とりわけ大切なことは
叡智を求めて祈ることです 叡智を手に入れれば 何でも
手に入れることができるからです その時々の気分に
従う代わりに 叡智に従いなさい 叡智によって創造的に考え
かつ行動できるようになりなさい 
 自分自身を完成するためばかりでなく 他人を益するためにも
建設的な行為を行いなさい 神の国に入ろうと思ったら 毎日
他人に奉仕しなければならないからです そのような生き方を

すれば自分が精神的にも 肉体的にも 霊的にも進歩している

ことが自覚され 気分の病は吹き飛んで  喜びが感じられるように

なります
 その道は天国へ通じており その道を進めば あなたは必ず
神のもとに到達することができます
 気分が病まないようにたえず気を付け 努力しなさい
気分が晴れないとき あなたは 自分の魂の罪の種子を育てて

いるのです
 病んだ気分の中に閉じこもっていることは 少しずつ死んで

ゆくことです
しかし どんな問題に遭遇しても たえず快活さを失わないように

努めればあなたは新しく生まれ変わっていきます そして 

その新しい誕生がより高い霊的誕生にまで高まった時 あなたは

神の中に ”新たに生まれる”ことができるのです
 気分の病は伝染しやすく 世の中が不況になると大勢の人々が

それに冒されます 人生で遭遇する不幸な出来事は あまり深刻に

考え過ぎてはなりません 不幸は それを悲劇に仕立てるよりも 

一笑に付するほうが賢明です ギータ―こう教えています

 ー喜びも悲しみも(人生のさまざまな変化を)平等に見て 

嘆くことも求めることもなく 善悪(相対的意識)を超越した人は 

私の愛する人である

 楽観的で微笑みを絶やさないよう心掛けることは 建設的な価値の

あることです
なぜなら 勇気や喜びは神から与えられた性質であり あなたが

それを現わすときそこにはいつも新しい誕生があるからです 

あなたが魂の本性を現わすことによってあなたの意識は新たに

生まれ変わるのです そして その霊的誕生が あなたを
神の国へ導くのです

 

 

 

付録 フランシスコの平和の祈り


主よ、わたしを平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  争いがあるところに赦しを、
  分裂があるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りがあるところに真理を、
  絶望があるところに希望を、
  闇あるところに光を、
  悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。



天使と次元存在の召喚

私は源より出でし永遠なる存在なり
私は一なるもののイメージにおける一なるもの自身である
私は喜びをもって召喚する
パエル フォエル サエル スロエル サバエル
ソエル バクール シエル アロエル アファエル
アロウェル サミエル アエル ウエル オビメル
サーミエル アケル アラオベル
 力強い天使たちよ 私に耳を傾けよ 創造の主の名のもとに
私はあなた方を召喚する
 ヤヲイェッカの身体である大天使たちよ 私の声を聴き
私のもとにつかわしたまえ
 アソナース アソナース アソナース 公正の天使

ガブリエルよ
私の元に来たりて 我が肉体と精神を目覚めさせよ
 我が身を混沌と危害から守り 私に関わる人々や場所を
疫病と災害から守護したまえ

 オビウート ゲルナビウート ゲルナビエール パウィー
フ―レート エスラース エプソーマ ナウヤィスース
クリストス パセィラー パゥヌータ カラエス パソマを
導き給え
 私が自主独立から覚醒へと自己を展開していく道において
私のマインドが全体となるように

 力強い仲間たちよ 私はあなた方に指令する あなたの

パワーが私を通して輝くように
 全ての人との関りにおいて 私が彼らの安らぎとなるように
 私の直感の叡智を開き 私が時間と空間を超えて見ることが

出来るように

 私は指令する セイノイ セミィルーフよ 天使たちのパワーが
私を通して輝くように
 私は指令する 私の身体 マインド スピリットが明晰で

あるように
 セイノイ ササノイ セミィルーフよ 私の人生の使命が
開かれていくとき わたしと共にあれ
 セイノイ ササノイ セミィルーフよ 来る一瞬 一瞬に 

思考が形になるように
 私が源となり 結果そのものである意図を指令する時 

わたしと共に働きたまえ

 アナソース アナソース 主ガブリエルよ 私は 

あなたの安らぎの使者なり 憎悪があるところなら 

私は広がりゆく慈愛である
悲嘆があるなら 私は許しである 不安があるなら 私は叡智である
 絶望があるなら 私は安心である 曖昧があれば 私は支えとなる
恩寵である 苦しみがあるなら 私は歓びである

 アナソース アナソース 主ガブリエルよ 私に指令を下したまえ
慰めを求めるのではなく 慰めることができるように 理解されたいと
求めるのではなく 理解するように 愛されることを求めるのではなく
愛するように

 なぜなら 与えることの中で私たちは受け取り 赦しの中で私たちは
許され そして アセンションの中で 私のスピリットは永遠の命へと
生まれるからである