虎キチ、モラ美と比べる | 泥棒猫の言い分

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虎キチと私、

私たち二人の生活は、楽しさ8割に2割のわずらわしさがありました。

 

やはり、アカの他人だった人と共同生活をするのだから、多少の歩み寄りやすり合わせ、妥協なんかも必要です。

これまでの生活ではこうだった、慣れてる生活の方が便利、そんな小さな都合は誰にでもあること、そうしたマイナーチェンジは受け入れて変化していく必要があるのです。

 

 

 

 

 

そして、特に虎キチはモラ美との共依存がまだまだ深い状態でした。

 

 

 

 

 

モラ美が日々虎キチに刷り込んできた、

 

「モラ美は完璧」

 

この基準がある限りは、虎キチの中では、

 

いい女の基準はモラ美!

 

なので、モラ美を基準になにかと私をジャッジすることが最初は多発しました。

(ここでもこの自己矛盾に虎キチ、気づいていません!モラ美がそこまでスバラシイのになんでアンタは私を選んだんだ!って話です)

 

 

モラ美はゴミ捨てに行くときですらメイクしてたぞ!モラ美のスッピンなんか風呂上がりから寝室までの数メートルしか見たことないぞ!とか。

(実際はそんなことなかったとのちに判明)

 

モラ美は食後必ず歯を磨いてたのに一日一回だなんて猫ちゃん汚ギャルだね!とか。

(しかしじきに虎キチもそうなった)

 

 

 

 

 

 

 

まあ……。

ハッキリ言って気分はよろしくない(怒)

 

 

虎キチと、虎キチの中に住んでいる小さなモラ美、そして私の三人で共同生活を送っているようなものです。

 

 

 

 

 

しかし、これは慣れの問題も多いのです。

人間には保守を愛する気持ちは必ずあります。20年以上モラ美とは一緒に暮らしていたのですから、何がどこに置いてある、アレって言っただけで通じる、好物も嫌いなものも知ってもらえている、そんな楽チンさもあるのはわかります。

 

 

しかし、そんなものは新たに、私たちの共有ルールを作っていけば上書き更新されるのです。

それに何より、私たちには圧倒的な「8割の楽しさ」があるのです!

 

 

 

 

 

 

 

「俺だって猫ちゃんには100パーセント満足してるわけじゃないし不服もあるけど、そんなことは言っても仕方ないし」

 

 

一緒に暮らし始めた頃、虎キチがよくこう言いました。

私はこれを言われるたびに、ああモラ美と今比べているんだなとは思っていました。

(マザコン男性がお母さんだったらこうだった!ってヤツと似てるんでしょうけど、まだ親の方がマシですね。嫌いで別れたはずの元妻引き合いに出されても!って感じです!)

 

 

 

しかし、しょうがない。

私は前回の大失敗で学んでもいます。

この不快な言葉を言われるのは今だけだと、心に言い聞かせもします。

 

 

 

 

 

 

 

私の予想は当たりました。

 

こうしたモラ美基準のジャッジをする言葉を喰らったのは最初のわずかな期間で終わり、しばらくすれば全くこうした言葉を虎キチから聞かないようになりました。

 

それどころか、

 

私との生活が普通になり始めた虎キチは、以降どんどんモラ美の異常性に気付くようになり、急速に共依存から抜け出していくことになります。