泥棒猫、憎しみを語る | 泥棒猫の言い分

泥棒猫の言い分

愛した人を略奪しました。

バックナンバーはこちらからどうぞ♪→泥棒猫の言い分 目次

 

 

 

 

虎キチの衝撃的な激白に、私は色々と、パニックになっていました。

なぜか?

読者さんには、ご説明しておかなければいけないことなのですが、

 

 

 

私は、すべての悪という悪の中で、もっとも許してはいけないことは、

子どもへの虐待だと思っています。

 

思う、とかいう表現では生ぬるい。

これは、もう、信念です。

 

 

 

 

アダルトチルドレンであり、虐待サバイバーである私が、

この世で最大に憎む犯罪は、(特に我が子への)虐待です。

なにかひとつだけ、法律を作っていいと言われたら、私は迷わず、子どもを虐待した親は全員死刑を提案します。

いやむしろ、

マシンガンなり得物持たされて、好きにしていいってんなら、ヤツらを追い回して一人残らず息の根を止めてやってもかまわない。

命乞いなんか聞き入れない。

お前はもっと無力な存在に何やったと叫びながら撃ちまくる。

虐待死、せっかん死の報道があるたびに、私は心が苦しくなるのです。

 

 

 

 

 

注意してお読みの読者さんにはすでにご存知かもしれませんが、私は「子供」という漢字を使いません。

子を儀式のいけにえとして供えた故事からの当て字だと知ってから、絶対に使うことはするまいと決めました。

 

 

 

 

すべての親は、子どもを愛せないなら産んではいけないと思っています。

育児ノイローゼなどにかかって子育てが辛いなら、借金してでもナニーさんに任せるべきです。

なぜなら、

私はずっと思って生きてきましたからね。

 

なぜ産んだ、

どうして堕ろしておいてくれなかった、

こんな、PTSDだらけの、ハンチクな怪物に育てやがって、

生きるのが苦痛、

死にたくないけどどうしても生きてたいわけじゃない、

って。

 

 

 

そんなことを言ってはいけない、今は虎キチと楽しく幸せに暮らしているでしょう?

その通りです、生きてて良かった。

しかし、それは、結果論。

私の親が私に行った壮絶な虐待を、認めていいという問題ではない。

 

 

 

 

 

我が子への虐待ほど、因果関係がない悪はありません。

 

子どもは、ただ、産まれてしまっただけなのです。

何も、悪いことはしていない。

産まれてきたのが罪ですか?

選んで産まれられるものなら、そんな親のところなんかに産まれないに決まってる。

無防備で、無力で、守られるしか生きるすべのない生きものが、その生きものを守る義務と責任を負っている者に攻撃される。

本来、愛情で包み育てる義務と責任を負っている者に。

 

 

 

 

 

 

こんな考えを持つ私が、

虎キチの話を聞きながら、どんな気持ちでいたのか。

読者さんには想像できるでしょうか。

 

しかし、虎キチは、さらに言いました。

 

「上のお兄ちゃんに比べたら、こんなのまだ、やられてない方だけどさ。

アイツ、自分で言ったのに、

お兄ちゃんと違って、この子は感受性の強い子だから、叩いて育てちゃダメだって」