(Ⅱからつづく)


その頃の私は、父の顔色ばかり伺っていて、ずっと気がぬけない。


感情を麻痺させ、カラをますます厚くすることで、


子供の自分がそれ以上傷つかないようにしていたと思います。



私は一歩外に出ると、そんな家のことは一切言わない。


何もないふりをしている。


でも家で顔色ばかり伺っていたように、人の目ばかり気にして


自由にものを言えない。


自分から友達の輪に入れない、どうやって入れるのか分からないし


楽しげなグループがうらやましかった。



スゴイ形相で睨まれていたことから、


人の目をまともに見ることができなくて、


自信がない自分を好きになれず、自己肯定感の低い子でした。


たとえほめられても否定するほど。


その頃から、自分の意見はないか通せない、


慎重すぎて物事が進まない、


コミュニケーションが苦手という意識をもちました。


そう思うと、ますますバリアをはってしまって、


人の輪に入りづらくなってしまうという悪循環です。




そこで、自分を無視して相手に合わせれば、協調性ができ、


コミュニケーションが取れると思い込んでいました。


家の中のような争いは、まっぴらごめんでしたから。



学生時代も、言われたことには従うけど、おとなしすぎて意見がない、


協調性はあるけど、優しくて怒ったことがないんじゃない、


などと言われたりしました。


でも変なプライドはあり、心の奥深くには何か熱いものがあり、


そんな風に言われるのにも、何か説明できない違和感がありました。




何年かたち、外では無理しながらも明るく振舞えるようになり、


部活や短大の友達に誘われてのグループ旅行で楽しめるようになり、


実家から独立して会社での新しい生活になじんでくるうちに、


バリアが少しづつ溶けてきて、


私の中での父に対する絶対許せなかった思いも徐々に薄れてきました。




父が亡くなる時、赤ちゃんと大荷物を抱えて駆けつけたときには


既に遅く、母から父の最期の言葉を聞きました。


最後は、私の名前を呼び続けていたと。


まだ温かい父の手を初めて握りながら、絶句しました。


その時、父の心を初めて知りました。


父の愛情は裏側に強く出ていたんだ。


父のピリピリした態度は、父自身を守るためだったんだ。


本当は孤独で寂しい人、我がままで怒鳴ることでしか、


愛情を表わせない人だったんだと。


そういえば「みどり」という、癒しの色で気に入っているこの名前は、


父がつけてくれたそうです。



最近、私の知らない顔の、父の写真を見ました。


母と映っているそれは、仲間と映っているそれは、


とてもとても穏やかで、ちょっとかっこつけて、


にこやかに笑っている、背の高い好青年。


友達の中でも一際目立つ、ハンサム。


えー! そんな笑顔知らなかった!


その優しい自然な笑顔を、私の脳裏に焼き付けました。



父は11人兄弟の末っ子。物心ついたときから両親はいなく、


やはり親からの愛を受け取れていなかったんですね。


小動物はかわいがったのですが、


人への愛の与え方が分からなかったのかもしれません。


そのうえ、病気して外で働けなくても、


上から目線で怒鳴って威厳を保たないと自分を守れない


と思ったのかも知れません。


そんな自分の弱さをお酒やギャンブルに変えてしまい、


ますます生活は成り立ちませんでした。


それがどんどん父の身体を蝕み、周りから避けられ、


自分のなりたくなかった孤独になっていったのです。


きっとお互いが寂しかったんです。


父も私も。そしてまだ子供だった息子も。



私はあまりにも激しかった父のことがあって、


今でも、時々自分を強く曲げるような強制的な場面に出会うと、


とても嫌悪感を覚えます。


姑にとっては何でもない一言が、私の気持ちをねじ曲げる


「するべき」「あるべき」「しないとだめだ」「あんたが変だ」


重く生真面目に受け取ってしまった私にとっては、言葉の連続攻撃で、


いちいち身体で覚えた昔の強い拒否反応が湧き上がり


押さえるのに苦労します。


そのストレスが膨れ上がったことも一因で、病気にもなりました。


自分の心と違うことをし続けていては、どこかで悲鳴を上げます。




でも、バッチフラワーエッセンスで、やっと気がつきました。


全て自分から、引き寄せていたことだったのです。


幼稚園や小学校で、息子が逃げ続ければ、


追いかけてくるいじめっ子グループが現れる。


私がそれを心配すればするほどです。


そして私の言動が、父の激しさを呼び込む。


私が自分を曲げて従うから、


怒鳴る人、強制する人が次々と自分にふりかかる。



いじめる人を探している、


合わせる人を探している、状態です。


誰にも感謝できない状態です。


そして自分を見失っている状態です。



自 然 と の 響 和 ♪♪ Natural  Harmony♪♪ えめらんど



Ⅳへつづく