もう十分足りてると県が発表してる水ですが、
実はまだまだ不便なところが取り残されています。
しかも自分で重たい生活用水や飲水を運べない
高齢者宅が多いのが実情で、
近所の方がお手伝いしてくれたりして運んでくださっています。
かといって、一般家庭では
保管する場所も広くなく難しい状態です。
なので、前は協力寺院の倉庫にあった水を
現在は源法院に移動して、保管しているものから順に
被災者応援の為の
私設のボランティアセンターに少しずつ運んでいます。
今回は、水はもちろん、長靴10足、
かほく市の「マエダウエーブさん」から
腰痛ベルトとカイロを。
同じかほく市の「さくらや」さんから
男性用下着とTシャツを。
お預かりしていたので、それらをお届けしました。
支援物資で必要なものは、
皆さまからいただいていた支援金で必要なものを
必要なだけ購入してお届けしています。
なので直接支援物資は源法院に送らないでください。
できれば支援金を贈ってくださる方は
郵便書留で源法院「はすのたね」あてにお願いいたします。
お布施や被災した源法院への支援金など
※支援したい所を明記してくださいますよう
お願いいたします。
能登町まで本来は2時間ちょいでいけるのですが、
道路が完全でないので、アップダウンが激しく
車体が多量の水で重たくなってるので
「衝撃を感じました」が連発。💦
片道3時間、往復6時間かかりました。🙄
トラックをレンタルすると
レンタル費用もガソリンも
結構な金額になります。💦
もちろん通行止め区間もまだあります。
迂回路を通ります。
片側一車線なので、帰りは下道だと確信しました。
徳田からは乗れたのでよかったです😊
片付けられていると言われている瓦礫も傍に寄せただけでした。
17日に両面通行ができるように目指して工事されていますが、
右側のセメントで固めた山の下は路面が滑落していました。
作業している人も多くないです。
どこもマンパワー不足です。
新潟県ナンバーのトラックが瓦礫を運んでいました。
新潟に産廃を持って帰ってくれてるようです。
このようなことで
復興が長引いているのが現状です。
地元のライオンズクラブの方が僕たちが運んだものを
この軽トラに早速積み込んで、
希望者のもとへ個々に運んだり、
入荷状況の情報を見ながら
ご本人が直接取りに来てくださったりします。
国や県、自治体に見放されても
こうして能登の皆さんは共助しながら、人事を尽くして
当てにならない天命を待たずに
懸命に日々を大切に生きています。
僕も初任者研修も実技と筆記が終わり
最終試験を月末に迎えます。
金沢の1、5避難所にも介護資格を持った僧侶として
介護と傾聴できるようになれそうです。
副住職も、頑張って冬の炊き出しにいけるように
食品の店を出せる資格を取得しました。
僕は調理師免許があるので、
副住職と一緒に保健所に届ければ
すぐ炊き出しも出来るそうです。
今は食中毒防止の観点で動けませんが
冬に向かって準備を頑張ります。
現状は正月から半年たっても、そんなに変わっていません。
本日2024年7月12日の写真です。
細く長く支援し続けることで
いつかともに、苦しみをともに分かち合った
全ての人が
復興を喜べる日が来ることを
心から願っています。
苦しみをともに分かち合ってくださった
はすのたねを通じて支援してくださった
多くの支援者の方々の
お心とお慈悲に感謝いたします。
南無大師遍照金剛 合掌🙏
金沢福祉協議会所属ボランティアサークル
はすのたね代表
高野山真言宗 源法院 住 職 小松 龍正(りゅうしょう)
副住職 小松 憲正(けんしょう)