2022年ドラゴンズ選手に一言 

6 平田 良介(ヒラタ リョウスケ) 外野手

 

 

1988年3月23日(34歳)177cm/92kg(B型) 右投右打 大阪 

大阪北ボーイズ-大阪桐蔭高(甲) 2005年((高)1巡目) 17年  

タイトル:(ベ)15(ゴ)18 

 

打率.200 51試合 83打席 75打数 15安打 

二塁打3 三塁打0 本塁打1 塁打数21 打点10 得点8 

三振20 四球7 死球1 犠打0 犠飛0 盗塁0 盗塁死0 併殺打2 

出塁率.280 長打率.277 OPS.557 得点圏打率.152 失策0  

 

(ウ)

打率.219 22試合 70打席 64打数 14安打 

二塁打1 三塁打1 本塁打1 塁打数20 打点9 得点6 

三振14 四球5 死球0 犠打0 犠飛1 盗塁1 盗塁死0 併殺打4 

出塁率.271 長打率.313 OPS.584 失策0   

 

(通算)

打率.268 1227試合 4448打席 3900打数 1046安打 

二塁打192 三塁打31 本塁打105 塁打数1615 打点484 得点534 

三振726 四球479 死球27 犠打18 犠飛24 盗塁41 盗塁死31 併殺打87 

出塁率.350 長打率.414 OPS.764 失策10

 

 

 

(1:44あたりから)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年高卒ドラフト1位の右打ち外野手。

高校通算70本塁打、甲子園通算5本塁打(史上4位)。

プロ入り当時は将来の4番打者を期待されましたが、

評価が高いのは守備力。

特に小さなテイクバックから繰り出される素早く強い送球は、

2014年と2018年にリーグ最多の捕殺を産み出し、

相手チームの進塁に対する抑止力となりました。

 

 

入団2年目の終盤に一軍昇格すると結果を出し、

クライマックスシリーズと日本シリーズの多くにスタメン出場、

2007年の優勝決定試合「継投パーフェクトゲーム」で、

犠飛で決勝点を挙げています。

 

 

 

しかしその後は伸び悩み一軍定着は4年後の2011年(113試合84安打.255)、

その年の6/4.5にかけて2試合連続サヨナラ本塁打を記録します。

2014年には初の規定打席到達、2015年にはベストナインと、

チームの顔として存在感を増していきましたが、

毎年どこかで負傷離脱することが多く打順も流動的でした。

 

 

キャリアハイは2018年、一時首位打者を走るなど打ちまくり、

8/16にはサイクルヒットを達成、

最終的には打率.329、出塁率は.410に達しました。

この年は主に一番打者として起用されましたが、

元々選球眼がよく、広角に打ち分ける打撃スタイルが、

出塁に特化した1番という打順にマッチしたことも、

良かったのかもしれません。

 

また2019年に見せたトリックプレイは

打球の追い方でランナーに打球をフェンス直撃と判断させ、

実際は直接捕球し飛び出したランナーを刺し併殺とする高度なプレイ。

これら野球脳の高さを感じさせる守備走塁を度々見せてくれました。

 

これ本人の愛読書「ドカベン」の、

ライトフライをグラブ捕球と見せかけて、

グラブをスルーしてその下に構えた素手に収めた

蛸田外野手のタッチアップ阻止を狙ったトリックキャッチを彷彿させるものがあり、

ドカベン好きのワタクシとしてはちょっとトリハダが立ちましたね。

 

 

しかし2019年以降は肉離れ、死球、右肘痛、下肢コンディション不良など、

毎年のように故障発症し出場機会が減少、

2021年には喘息と心臓疾患の「異形狭心症」を発症、

僅か21試合の出場に留まりました。

 

2022年は開幕一軍も主に代打での出場でしたが、

4月半ばまで打率3割をキープし、

4月末には2戦続けて得意の1番ライトでスタメン起用されます。

しかしその2試合8打数1安打でチームも連敗、

打率はさらに下がり5/3に登録抹消となります。

 

再登録は7月半ば、7/16に本塁打、

8/3には途中出場で3打数2安打2打点と調子を上げ、

8月は打率.258ながら得点圏打率は.308、

まだ代打成功率も.286と好調でした。

 

しかし9月に入ると代打7打席で無安打1四球4三振となると、

登録抹消されその後は昇格無し、

10/4に球団より戦力外通告、

社会人や独立リーグから声はかかったものの

NPBからのオファーは無し、

本人はNPBを希望していたこともあり、

12/28に現役引退を発表しました。

 

 

 

スラッガーとして期待され、

実際その片鱗は見せていて、

そんな中で5年間燻りながら見つけたスタイル。

ファンの望む完成形とは違っていたのだろうけれど、

やっとつかんだ矢先の度重なる故障…

 

一方2007日本一試合の犠飛、

2試合連続サヨナラアーチ、

サイクルヒットなど記憶に残る活躍も多い選手でした。

タイミング次第では史上最強の1番打者になったかも?

 

右打ちの巧さ、選球眼など、2番適性もあったと思ったし、

実際個人的には2番ライト平田が最強と思ってましたが、

1番が良かったのでしょうね…

 

破天荒なのにリードオフキャラ、

トリックプレイに鉄砲肩、

プレイはソツないのに多い怪我…

インパクト抜群の選手でした。

17年間夢も喜びもくれたし溜息もくれた、

でも忘れられないプレイを沢山いただきました。

ありがとうございました。

 

DONQ☆SYKES