由利公正宅跡 | よしのおもちゃ箱

由利公正宅跡

北庄城近くの幸橋麓には由利公正宅跡があります。
本当の跡地は無くなったみたいです。
公正は江戸時代には三岡八郎と名乗っていて、福井藩主松平春嶽(慶永)の側近でした。
藩札の発行などの経済政策を行いますが、一時期藩内の騒動から謹慎処分を受けたのです。

謹慎中の文久3年(1863)5月、坂本龍馬が勝海舟の使いとして春嶽に会いに福井を訪問したとき、横井小楠の紹介て由利邸を訪れました。
小楠自身、前年12月の士道忘却事件で外出自粛中であったために福井に留まっていました。
このタイミングで公正、小楠、龍馬の三人が時間を気にせずひとつ屋根の下で議論を交わせたことは幕末史の奇跡としか言いようがありません。

龍馬は、ここで有名な「君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行末」の歌を詠んだと言われています。

邸宅跡近くには公正の像も建っています。

小楠は維新後すぐに暗殺されますが、公正は維新後に五箇条の御誓文起草をし、太政官札の発行など経済政策の要となります。
そして有隣生命保険(後に明治生命と合併)初代社長に就任するのです。