****
終電までまだ時間のある京都駅は、人通りが途絶えることはなかった。
今となってはどうやって過ごしたのかも記憶にない修学旅行の最終日に、東京へと戻る新幹線に乗り込んだ時以来、今日まで決して来ることがなかった。
東京から西の地方へ向かうことすら、出来るだけ避けてきた。
あの時もう二度と来ることはないと思ったこの地に、いま再び私は足を踏み入れている。
もっと早く、来てみるべきだったんだろうか。
今日までこの地を訪れることをしなかった自分は、ただ弱かったのか、それとも薄情だったのか。
どちらにせよ、私がもう一度ここに来るには、今日までのこの月日がきっと必要だったのだ。
新幹線を降りてからも、私たち三人は必要最低限の会話しか交わさない。
これまでならただ煩わしいばかりだった周囲の喧騒が、今はありがたかった。
それはきっと私以外の二人も同じだったに違いない。
乗り換えた私鉄電車の車内は、時間が遅いせいか思ったよりも空いていた。
ドア近くの二人掛けの座席に私とあかりさんが並んで腰掛け、翔太君はそのすぐ側に立った。
隣に座るあかりさんの、窓ガラスに映る横顔と、前方に一人立っている翔太君を見ながら、私は今日が初対面である筈の二人が、時折同じような表情をすることに気づいていた。
翔太君がそんな顔をするようになったのは、龍馬さんが亡くなってからだ。
それまでの彼には見られなかった表情、それは失ってしまったものを思い出した時に、無意識に考えまいとしようとして見せる、何かと戦うような顔つきだった。
そういう時の彼とそっくりな顔を、今日この僅か数時間のうちに、何度かあかりさんにも見た。
きっと私も、この五年近くの間に、知らず知らずそういう顔をしていたことがあったんだろうなと、二人を見ていて思い至った。
****
「次で、降ります」とあかりさんに言われて降りた駅から、鴨川に向かって歩く。
とうとう、京都に来たんだ。
夜の帳に沈む街並みを見ながら、改めてそう思う。
でも正直にいえば、私の記憶の中の京の街と、今の目の前の街並みは余りに大きく異なっていたから、例えばいきなり誰かに連れてこられて、ここは東京の何々という街だと知らない地名を教えられたらそのまま信じてしまいそうな、そんな頼りない感慨でしかなかった。
それでもやっぱり京都駅では何だか胸が苦しい気がした。
そしていざこうして来て、ここは京都なんだと自分に言い聞かせながら歩き続けていると、東京と京都の距離はなんて呆気ないほど小さなものなのだろうとつくづく感じる。
あの頃あの人は、隊士の徴募などで江戸に出張する度に、何日もかけて歩いていた距離なのに。
「零時三分前までに、橋に着かなくちゃいけないんです」
それまでまた無言だったあかりさんが口を開いた。
「橋?」
翔太君が聞き返す。
「そう。『彼岸七夕』は、鴨川という大きな川でしか起こらないんです。だから『七夕』なんだけど」
私は黙って携帯電話の待受画面を見た。
零時八分前。
鴨川には大小いくつか橋が掛かっているから、あかりさんの言う橋とはどれなのか、ここから歩いてどのくらいかかるのかは皆目分からない。
あかりさんを先頭に、カメラの入ったバッグを手にした翔太君と並んで、ただひたすら川縁を歩く。
やがて、車一台しか通れないくらいの幅の、ひとつの橋の袂であかりさんは歩を止めた。
この橋は何という橋だったっけ。
今の私には分からない。
あの頃には架かっていなかった、新しい橋だろうか。
あかりさんは、翔太君からカメラの入ったバッグを受け取ると、それを足元の橋の上に置いて中からカメラを取り出した。
私たち以外に、辺りには人の気配はなかったけれど、少し遠くからは車のエンジン音が聞こえていたし、流れる川の水音も、吹く風の音も聴こえていた。
振り仰け見た京都の夜空には、あの頃見えたのよりも随分数少ない星が、それでもちらちらと瞬いていた。
やがて天空がゆっくりと動き、下弦の月が雲間から姿を覗かせる。
橋の向こう側にカメラを向けてシャッターボタン装置を手にしたあかりさんが、私と翔太君を見つめた。
「今から、シャッターを切ります」
あかりさんの声には張りつめた響きがあった。
「そうしたら、この橋の上の時間や、空間や、次元といったものが、少し揺れるというか、ずれると思います。
今、私たちは三人でいるけど、しばらくの間お互いの姿が見えなくなったり、声が聞こえなくなるかもしれない。
同じ場所にいながら、私たちは橋の向こうに、それぞれ違う景色を見ることになる筈です」
時刻が迫っているのだろう、あかりさんは早口でそう私たちに告げた。
「時間だわ」
そう呟いたあかりさんの声が聞こえた刹那、カシャッという音が被さって聞こえ、一瞬の後、辺りは真っ白な目映い光に包まれた。
目が眩み、反射的にぎゅっと瞼を閉じてもまだ、真っ白な残像が目の奥に残っている。
──あの時と同じだ。
ぼんやりとした意識の中で私はそう感じていた。
あの時、翔太君とタイムスリップした時の、あの光と同じだ。
──また、タイムスリップするんじゃないか。
そう思う気持ちは、期待というべきものに他ならなかった。
もう一度、あの人のいた時代に、あの人が生きて元気でいた時に、この光が私を連れて行ってくれるんじゃないか。
それでもいい。いや、それがいい。
あなたと私の物語が、例えまた同じ結末を迎えることになっても。
それでもいい。
私は、やっぱりあなたにあいたい。
ねえ、土方さん。一目でいいから。
──もう一度、大好きなあなたに、あいたいんです。