私
の暮らしていた石家庄という地方都市、ここには当時
(今もあんまり変わらないと思いますが)日本人
が非常に
少なく(おそらく20人はいなかったはず)、このため現地の
人も日本人がいるという概念が無かったんでしょうね。
先ず、日本人
に見られることはありませんでした、まれに
中国人
と勘違いされましたが、大抵は韓国人
と見られました。
国際通話
に使用できる偽IPカードを売っているおばさんには
「韓国
に電話できるのは、このカードがいいわよ」と言われ、
CDショップに行けば、「BoAの新作入荷してるよ」とか、
タクシーの運転手にも「お~この前の韓国人
だろ、おれ
あんた覚えてるよ」と言われた時には、毎回否定するのも
面倒だな~と思うようになっていました。
この話をユキさん
にしたところ、「それはいいと思うわ」とかなり
真剣な顔で同意されました。一体何があるというのか、悲しいかな
この石家庄では日本人の印象がすこぶる悪い
というのです。
重い歴史問題が暗い影を落としているのですが、この時ほど
自分の勉強不足を感じたことはありません。細かい内容を
書くのは少し憚られますが、ユキさんの住んでいる近所の人も
日本人
を悪く言う人が大半だということでした。これは中国
の行っている教育内容の影響もあるのですが、日本でも
都合の悪いことは、学校では教えていないことがあるので、
あまり批判はできないと思います。
ここにおいて、私はこの地で韓国人
になることにしました。
みなさんと交流させていただいている、「李明」とは私の
中国における韓国人名だったんです。この名前にした理由は
韓国と聞いてすぐに浮かんだ姓が「李」だったことと、北京
生まれにして香港の大スター「黎明」が好きだったので、李と黎の
北京語読みの発音が似ていることもその理由でした。この後、
駐在を終えるまで初対面で気を許せない相手には全て
韓国人
として振る舞いました。これなら中国語
がへたでも
通用しますからね。*なんと病院も韓国人として受診してた
でも一点問題だったのは、韓国
語が話せなかったこと。だから
少しでも韓国語が話せるという人に遭遇した時はごまかすのに
往生しました。対策としてハングル
の本も読んでみたんですが、
さっぱり理解できませんでした。今でも勉強してみたい気持ちは
ありますけど、中国語
もまだ不完全だから無理でしょうね~。
それにしてもこの時にアドバイスをくれたユキさん
の表情が苦渋に
満ちていたのが気になりました。いつも親切にしてくれるのはなぜか、
一体ユキさんに何があったのか、ますます謎が深まっていくのでした。
香港のスター四天王の一人と言われる、黎明(レオンライ)
今香港で人気絶頂の韓国俳優ソンスンホンは「韓国の黎明」
と称されているそうです。私には関係ありませんが( ̄▽+ ̄*)