8月に入り、事態は急変しました。

便があまりでず、お腹がはり、お腹の痛みが強くなり始めました。
後の検査でわかりましたが、腹水がたまり、腸閉塞一歩手前の状況まで症状が進んでいたため、お腹が痛くなり、食事もあまり食べられず、便もあまりでなくなっていたのです。

これ以外にも、足腰の痛み、骨転移のことも気になっていたことから、新たに主治医になってくださった先生に、PETの検診のことを相談する必要があったため、病院に行くことにしました。

その日はひとまずCTを撮りました。PETの設備はその病院にはなかったのですが、他の施設で受けられることがわかり、後日PET検査を受診することになりました。

後日PET検査を受診。
お腹が張っていてなかなか動きづらい中、まずは骨転移の箇所を特定し、骨転移の部分に放射線治療をすることで痛みを和らげることを考えていました。
ひとつひとつの検査を受けること自体が、この頃には大変な大仕事でした。
苦労しながらも、検査終了。

検査結果は数日後病院で。。。の予定でした。

ただ、翌々日、あまりにお腹が痛い状況になり、PET結果がわかる前に、夜間診療にかかり、先日のCTの結果を知ることに。

肝臓への転移があり、さらに腹膜のがんもいくつか見られるとのこと。。。
そして遂に余命宣告がありました。
先生の経験上、ここまでの進行具合であれば、あと2、3か月の余命だろうとのことでした。

まずは私に話をしてくださったのですが、きっと妻は、残された期間で何をやるべきかを考えたいと思うだろうと考え、妻にもはっきりと話しをしてもらえるようお願いしました。

妻は事態を真摯に受け止めました。
そして、家族の行く末と今後自分がやるべきことに関して一生懸命考えました。。。
そして、家族に、両親に、いろいろなことを伝え始めました。

このあと、元々夏休みだからと予定していた温泉旅行に行きます。妻の両親も一緒です。
妻も家族も、みんな、口には出しませんが、最後の旅行になるんだな。
そう思っていたと思います。
宿のご飯は少ししか食べられなかったようだけど、楽しんでくれたのかな。

旅行のときの写真を今見ると、すごい痩せてしまっていたのだなとあらためて思い、涙がでます。
当時は徐々に痩せてきていたので、見慣れていたというのもあるのですが、今、仏壇のそばにある写真や飾ってある写真は元気なときのものばかりなので、こんなに痩せてしまっていたことをすっかり忘れてしまってました。
本当によくがんばったと思います。

そして、さらに病状は悪化します。
8月下旬、ちょうど病院の検診に行く日でした。

朝、病院に行く準備をしていた妻が、突然

「あ!」

と大きな声をだしたので、妻が準備いた部屋へ行くと、妻は座り込んでいました。
どうしたの?と話しかけると、どうも妻の口から上手く言葉がでません。
夏休み中だったので家にいた娘も何か大変なことが起こったとわかったようで、3人ですぐに病院に行くことにしました。

病院に到着し、緊急で診察をしていただき、脳のCTをとりました。
診断は脳梗塞でした。

がんによって引き起こされたもので、人によって症状は違うのだそうです。
妻の場合は、どうも考えた言葉がでなくなってしまうという症状のようです。ありがとう、お腹すいた、トイレ行きたい。。。日常会話は出来ます。
でも、考えた言葉が出てこないのです。
文字もちゃんと読めているのかわかりません。。。
ガンの進行によるものなので、治療は難しいとのことです。

残り少ない余命の期間をどう過ごすか考えていた家族にとっては衝撃でした。家族揃って落ち込みました。
でも、それでも、今をどう生きるかを考えることしか妻には、そして家族には残されていません。

とにかく会える人に会わせてあげなきゃ。
急いで私の実家から両親を呼びました。
うちの母が作った料理を、本当に子供のように喜びながら、何度も

「おいしいー」

を繰り返してました。
母が足のマッサージをしてあげると、

「気持ちいいー」

と言って、本当に満面の笑みで喜びを表現していました。本当に素直に明るく。
脳梗塞を起こしたせいか、余計な感情が消え、素の妻の性格が強くでるようになったのではないかと思います。
お腹はとても苦しいはずなのですが、本当に今まで以上に笑顔が多くなりました。

このあと、妻はひとまず腹水を抜く手術を受けました。脳梗塞になった日、実は腹水を抜く手術の相談をしようとしていました。腹水を抜けば少しでも楽になれるかと考えたからです。

無事、腹水を抜くことができたものの、症状はあまり良くなく、すぐにまた腹水がたまりはじめました。主治医の先生は、退院せずにこのまま入院しておいた方が良いとおっしゃいました。。。
おそらく病状がかなり悪いという意味だったのだろうと思います。
それでも妻は、病院よりも自宅療養を望んだことから、緩和ケアの先生とも相談し、自宅での緩和ケアを行うことにしました。
訪問診療、訪問看護の契約をしました。
調剤も、医療用麻薬をたくさん出していただきました。
そして自宅での緩和ケアが始まりました。



緩和ケアでがんばったのも束の間、9月に入り、あまりの腹痛に、もらっていた医療用麻薬も効かず、座薬を入れても効かず、遂に救急車を呼ぶこととなります。
近所の人にも病気のことを隠していたので、本人は救急車を呼ぶことを今までは嫌がってました。
でもこの日は違いました。自分から救急車を呼んでほしいと。。。それほど痛くて辛かったのだと思います。。。

そして入院。。。
入院して何日か経つと、お腹もすっかり腹水でふくれており、足もマッサージしてあげないとチアノーゼがでるような状況でした。。。
そしてその後、2日ほどで妻は他界することとなりました。。。



8月から9月に他界するまでの状況を駆け足ですが、書きました。
この8月以降の出来事は、書こうと思えばたくさん書くことがあります。
それほど妻の体調の悪化度合いは凄まじいものでした。

でもだからこそ、それを書くことはあまりにも辛いです。。。あまりにも辛い1ヶ月でした。



妻の闘病の記録はここまでにしようと思います。