ベスさんからコメントいただきました
やっぱし、ミャンマーです。
年金ばかりではありません
ムサシの改ざんがある限り
不正選挙がどんなにばらされても
彼らはどこ吹く風です。
今回のアンケートも
自民党支持しないと回答するや
電話が切れたそうです。
ツイッターで騒いでいました。
分母を下げれば支持率が上がる
忖度アンケートです。
そのうえミャンマーに
国際援助をした280億の
お金が少ないことが分かった
リークニュースの翌日に
あの登戸の事件がありました。
それも280億の援助金を決めるときに
初めから最後まで通訳に回った男性が
真っ先に殺されています。
まして11時に亡くなったのに
1時のNHKのニュースには
被害者のサイトから顔まで公開されています。
まだ霊安室で家族も病院についていなかった時間です。
これは何でしょう?
まるでNHKは準備をしていたみたいではないですか。
その後ミャンマーのそのリークは消えました。
ちなみにミャンマーとの親善協会の会長は麻生です。
[asahi.com]ミャンマーへの援助金目減り 軍政に「ピンハネ」疑惑 http://tinyurl.com/698vkg
【ミャンマー】援助金目減り 軍政に「ピンハネ」疑惑【外貨交換券】: http://uris.jp/23khttp://uris.jp/23k
二つともリンク先が消えていますね。
東京新聞:ミャンマーに1250億円→ホームドア予算の50倍超 途上国支援、桁違い:政治(TOKYO Web) https://t.co/9vSkJRYaIv 〜ホームドア予算と海外援助金は出処が違うが、源泉は国民が創りだした「富」。こんな配分をすることが「自民政治」なのか?
外相 ロヒンギャ支援に4億円 - Y!ニュース (2015年6月20日(土)掲載) http://t.co/m30pWEmPFP #ミャンマー 日本国内にも地位の確立していないロヒンギャ族の人がいるようだが。もっとも日本は難民受入拒否国だから、海外向けの売名援助金かな。
☞「#安倍政権」の「ミャンマー政権への8000億円資金援助」追及を!
現在も帰還は遅々として進んでいない。河野、スーチー両氏の会談は茶番である。
「援助金よりも安全の担保を」ロヒンギャ問題に見る日本の責務 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット) https://t.co/CXOzP68MVu
「援助金よりも安全の担保を」ロヒンギャ問題に見る日本の責務
AERA
【写真】バルハリキャンプの急造トイレ
* * *
「あの合意でミャンマーに帰る者はいないよ。少なくともこのクトゥパロンには一人もいないだろう」
昨年8月以来、ミャンマー軍による迫害を受け、バングラデシュへの流出が続いていたラカイン州のイスラム教徒=ロヒンギャ難民の数は70万人を超えたと言われている。
バングラデシュ政府は難民条約を批准していないが、人道的立場から難民キャンプを急遽つくり、これを受け入れていた。しかし、さすがにこの膨大な数と流入の速さは尋常ではなくキャパシティーを超えていた。昨年11月23日、ミャンマーとバングラデシュ両国政府が難民帰還についての合意文書に署名し、2カ月以内に帰還を開始するということになった。ミャンマー外務省は「2年以内に全員を帰還させる」と宣言。日本政府もこれに対し、1月12日に河野太郎外務大臣がアウンサンスーチー国家顧問と首都ネピドーで会談し、ロヒンギャ難民帰還のために「ミャンマー政府に寄り添う」として約25億円の支援を申し出た。これらの動きはあたかも事態が平和裏に収束へ向かっているかの印象を与えた。
しかし、決してそうではなかった。筆者は帰還開始が決まった1月16日にクトゥパロンの難民キャンプを訪れた。冒頭のコメントはそのときにコミュニティーの長とも言える75歳の老人から聞いた言葉である。
「故郷には誰もが帰りたいと思っている。しかし、ミャンマー政府が提唱している帰還と再定住はとうてい受け入れることはできない。我々は帰っても国籍のないまま外国人として登録されるのだ。収容されてラカイン州の外に行くことも就労の自由もない。何よりもまた迫害の恐怖に晒されて殺されてしまうことが怖い」
そもそもロヒンギャに対する民族浄化は、1982年に制定されたビルマ市民権法によってミャンマー国籍を剥奪され、違法移民におとしめられて合法的に行われてきた。今回の合意に基づいて帰国を果たしたとしてもその地位は何ら変わらず、しかも外国人として自ら登録してしまえば、父祖の土地を完全に放棄することになり、いつ何時再び追いたてられるか分からない。
「援助金よりも安全の担保を」ロヒンギャ問題に見る日本の責務
AERA【写真】バルハリキャンプの急造トイレ
* * *
「あの合意でミャンマーに帰る者はいないよ。少なくともこのクトゥパロンには一人もいないだろう」
昨年8月以来、ミャンマー軍による迫害を受け、バングラデシュへの流出が続いていたラカイン州のイスラム教徒=ロヒンギャ難民の数は70万人を超えたと言われている。
バングラデシュ政府は難民条約を批准していないが、人道的立場から難民キャンプを急遽つくり、これを受け入れていた。しかし、さすがにこの膨大な数と流入の速さは尋常ではなくキャパシティーを超えていた。昨年11月23日、ミャンマーとバングラデシュ両国政府が難民帰還についての合意文書に署名し、2カ月以内に帰還を開始するということになった。ミャンマー外務省は「2年以内に全員を帰還させる」と宣言。日本政府もこれに対し、1月12日に河野太郎外務大臣がアウンサンスーチー国家顧問と首都ネピドーで会談し、ロヒンギャ難民帰還のために「ミャンマー政府に寄り添う」として約25億円の支援を申し出た。これらの動きはあたかも事態が平和裏に収束へ向かっているかの印象を与えた。
しかし、決してそうではなかった。筆者は帰還開始が決まった1月16日にクトゥパロンの難民キャンプを訪れた。冒頭のコメントはそのときにコミュニティーの長とも言える75歳の老人から聞いた言葉である。
「故郷には誰もが帰りたいと思っている。しかし、ミャンマー政府が提唱している帰還と再定住はとうてい受け入れることはできない。我々は帰っても国籍のないまま外国人として登録されるのだ。収容されてラカイン州の外に行くことも就労の自由もない。何よりもまた迫害の恐怖に晒されて殺されてしまうことが怖い」
そもそもロヒンギャに対する民族浄化は、1982年に制定されたビルマ市民権法によってミャンマー国籍を剥奪され、違法移民におとしめられて合法的に行われてきた。今回の合意に基づいて帰国を果たしたとしてもその地位は何ら変わらず、しかも外国人として自ら登録してしまえば、父祖の土地を完全に放棄することになり、いつ何時再び追いたてられるか分からない。
帰還の実態を告発すると同時に日本の援助についての不安も隠さない。前出の老人は「ありがたいが、そのお金がいったいどこに行くのか……」。
そもそも寄り添うべきは、いまだに軍政が幅を利かせる政府ではなく難民である。昨年の11月16日、ミャンマー政府に対して迫害をやめるよう求めた国連決議を日本は棄権している。135カ国が賛成をしたこの人道的な勧告を無視した理由を、河野外相は「まず避難民に帰ってもらうことが先決」と述べているが、これはまさに順序が逆である。
最も重要なことは、使途が不明な援助金よりも難民の安全の担保である。ミャンマー政府がロヒンギャに対して行った虐殺やレイプ、焼き打ちに対する検証作業はまったく進んでいない。70万人がなぜ逃げなくてはならなかったのか。国軍の関与を認めたスーチー氏からも謝罪の言葉は一切、発せられていない。皮肉なことに帰還が始まると同時にクトゥパロンのキャンプには在外ロヒンギャたちの支援による手づくりの小学校が開校した。すぐに帰れないからこそ、難民たちは長期のバングラデシュ在留を覚悟している。
この学校でミャンマー語を学び、ミャンマー国歌を歌う子どもらが待ち焦がれる真の帰還はミャンマー国籍付与とのセットでなければならない。
そしてまたそのことを強くミャンマー政府に求めることが、同国への最大の投資国の一つである日本政府の責務と言えよう。現在も帰還は遅々として進んでいない。河野、スーチー両氏の会談は茶番である。(ジャーナリスト・木村元彦)