~これまでのあらすじ~

源よしつねは鎌倉の兄・よりともに命を狙われ、部下と妻を連れて奥州平泉に逃げ延びた。そこで権勢をふるう奥州藤原氏の庇護を受ける。しかし当主の藤原ひでひらは老人なのですぐに逝き、跡取り息子の藤原やすひらはお坊ちゃん育ちで頼りない。よしつねはある日、やすひらに「俺を殺しなさい」と言う。やすひらは思うところあってか、屋敷に出現した巨大ナメクジを殺して食べるのだった。



  〔平氏・イン・メモリアム〕

源平合戦たけなわの頃。
平家の中級武士の息子、平タツミはまだ十二歳の若さだった。でも戦火が全国に広がったことを知っていた。自分ら平氏の一族郎党全員が戦へ駆り出されるだろうことも予想できた。
いつか自分も出陣する日がくるのだ。明日か、来年か、十年後かわからないが。

「十年後だったらとっくに平氏が勝ってるな」

親戚の少年たちとそんな話をした。
十年後に出兵するとしたら、源氏の落ち武者を掃討するためにちがいない。敗走し、田舎に落ちのびた源氏の残党狩りをやるのだ。藪かげに源氏の武者が隠れているのを、忍び足でそっと近づいて行き、長槍でグサッとやる。思い切ってやらねば敵も苦しむ。槍の尖端で心臓を一突き。
断末魔の声を上げて絶命した落ち武者の死体が藪から転がり出す。その亡骸にちゃんと手を合わせて、おごそかに「なむあみだぶつ」と唱えるのだ。なむあみだぶつが軽薄な調子だったら、ちっとも感じが出ず、偉大な勝利者平氏の貫禄が伴わない。

「殺すほうも、けっこうたいへんだな」

「そうさ。殺すほうがたいへんだよ」

そんなふうに話しながら、少年たちは自分ら平氏が負けるなんて考えたこともなかったのだ。
タツミの父親は武士にしてはのほほんとしたお坊ちゃん気質だが、戦時に出陣せず太平楽を並べているわけにもいかず、格好だけでもつけねばと、兜をかぶり、鎧を着て出て行った。吉備かそっちのほうの戦場で戦うらしい。

「吉備団子買ってきてー」

タツミの七つになる弟がねだった。

「馬鹿」タツミが叱った。「父上は旅行へ行くのではないぞ。戦へ出陣なさるんだ」

「ハッハッハ」父親は笑った。「向こうで余裕があったら買ってきてやるさ」

父親は元気よく手を振って出かけて行った。まるで友達と釣りをしに行く時みたいに機嫌が良かった。平氏はきっと勝つぞ、とタツミは思ってワクワクした。弟はお土産はきっと吉備団子だぞと思った。
だがその後半年たっても戦地の父親からは一向に便りがこなかった。ある日、馬に乗った平氏の武者がやってきた。しかし彼はそろそろ西へ転居するように一家に促しにきただけだった。前線の情報をなにか知っているだろうと思い、タツミの母は便りのない夫のことをたずねた。

「さあ、詳しくは聞いていませんが」武者は顎を撫でて、「吉備の戦線で戦った同胞は全滅したって噂ですね。いや、お宅のご主人が戦死したと聞いたわけじゃないんですよ。私はただ全滅したって聞いただけです」

母親は絶句し、よろめいた。

「全滅じゃあ、うちの父も死んだことになるんじゃありませんか?」

タツミが言った。

「いや、私はなにもお宅のご主人が死んだなどと言ってないですよ。前線で戦った同胞は全滅した。ただ、そう聞いたまでですから」

「だから、父はその同胞の一員でしょう。全滅したなかの一人でしょう?」

「そういえば、そうかもしれませんね。では、私はこれで。お早く引越しなさることですな…」

駆けてゆく馬の尻と尻尾を見つめながら、タツミはなんとなく人が死んだ後は馬の尻に尻尾が揺れるものなのだと妙なことを考えていた。


近所に住む遠縁の少年はやはり父親が戦へ出征し、戻らなくなっていた。タツミはそいつの親も戦死したのだと思った。だが、お互いその話はしなかった。二度と帰らないことと死んだことは同じことだ。

「コーヒー飲むか」

そいつは言った。タツミはコーヒーなんかそんなに飲みたい気分じゃなかった。でも人は時にコーヒーを飲まなきゃいけないと思い直して、もらうことにした。
そいつは真っ黒なコーヒーを茶碗に入れて出した。あまり苦くなかった。どうやって淹れたのかきくと「コーヒーゼリーを濃縮還元したのさ」とそいつが答えた。ゼリーから液体に戻すなんて、奇態なことを考えるやつだとタツミは思った。そう言われてみれば、かすかにコーヒーゼリーの味がした。
そいつの家の庭から隣の畑が見えた。このへん一帯は平氏の所領なのだ。農地は百姓に貸している。その畑に植えた作物に同い年ぐらいの少女がかがみ込んでなにかしていた。身なりは百姓の着物ではない。

「あいつ、どこの娘だろう?」

タツミは言った。

「あれもうちの一族だよ」と少年が言った。「一応は、な。変わり者さ。畑に出ちゃカタツムリを捕ってやがる」

「カタツムリ?」

「ああ、でんでん虫。食うんだとさ」

遠目に見るだけではよくわからないが、少女は作物についたカタツムリを捕っているのかもしれなかった。彼女はなんて名前かきいてみた。少年は「さあな。でで子とかいったかな」と言った。
ある日タツミが帰宅すると、見慣れない履き物が玄関に揃えてある。上がると客間にどこかのおばさんがいて、タツミの母親としゃべっていた。太ったおばさんだった。タツミの母はもっぱら相槌役で、太ったおばさんが一方的にしゃべっている。タツミは存在に気づかれたので客間に入ってお辞儀をした。

「こんにちは。タツミさんですわね」

不思議にもおばさんはタツミの名を知っていた。タツミのほうはおばさんの名も図体も記憶にない。世の中には不可解なことがある。

「馬糞坂の伯母様ですよ」

タツミの母が言った。

「馬糞坂?」タツミは首をひねった。

馬糞坂は通称で、本当の名は御馬が不浄の辻という。わりと近所だが行ったことがない。もちろん馬糞坂のおばさんは平氏一門の人で、したがって親類なのだ。

「伯母様はあなたがこーんな小さい時に会ってるんですよ」

母親に言われてもちっとも思い出せない。こーんな小さい時の記憶はバックアップしていないから、どこかへ消えているのだ。

「タツミさんもそろそろ出陣ですわね」

おばさんは言った。

「まだ、戦力にはなりませんわ」

タツミの母が言う。

「そんなことないですよ。けっこうしっかりしてらっしゃるじゃありませんか」

「そうかしら」

「槍で源氏の郎党をぶすりとやるのに不足はございませんわよ。ぜひタツミさんに、敵をぶすりとやってほしいですわ」

おばさんたちが勝手な話をしている後ろからだれかがきた。タツミが振り向くと、少女が立っていた。馬糞坂のおばさんが声を出した。

「でで子。どこへ行ってたのよ?」

「ちょっと。トイレに」

「トイレじゃなくて御手洗いでしょ? はしたない娘ねえ」

タツミはでで子を見て会釈した。片手に籠を提げている。その籠の蓋がズレた。隙間から、親指より大きなカタツムリが覗いた。触角が伸び縮みしていた。タツミが思わず大きな口をあけると、でで子は急いで蓋をパタンと閉じた。


 (タツミとでで子、芝生に寝そべって糸電話で会話する。二人の距離はニメートルほどある)

タツミ「なあ。よく聞けよ。今朝、ぼくのところに令状がきたんだ」

でで子「令嬢? どこのお嬢さん?」

タツミ「その令嬢じゃなくてさ。差出人は平むねもり様だよ。ぼくら平氏一門の総大将だ」

でで子「むねもり様が、なんであんたなんかに礼状をよこしたの? なにかお礼言われるような善いことした?」

タツミ「だからその礼状でもないってば」

でで子「……」

タツミ「召集令状だよ。戦に出ろってさ。父上が死んで半年になるし、ぼちぼちぼくにもお鉢が回ってくると思ったよ」

でで子「断らないの?」

タツミ「…断れると思うかい?」

でで子「うん」

タツミ「肺病で喀血でもしてれば口実になるだろうけどな。でも召集を受けて出陣しないのは家の名折れだよ。ぼくは行くよ」

でで子「断ってよ」

タツミ「無理だってば。むねもり様に顔が立たないだろ」

でで子「そんな令状、どうせ代筆よ。むねもり様本人が書くわけないじゃない」

タツミ「…たとえ代筆だって、同じ重みがあるんだ」

でで子「家の体面のために戦なんか行って、なにか良いことあるの? ご褒美をたくさんもらえるわけ?」

タツミ「勝てば、もらえるさ」

でで子「勝つと思う?」

タツミ「勝つよ」(同時に)・でで子「負けるわ」

 (タツミ、コップを耳に当てて)

タツミ「あん? いまなんつった?」

でで子「……」

タツミ「ぼくの武運を祈ってておくれ。必ず勝って帰ってくるよ」

 (でで子、しまいまで聞かずに糸電話を放り出してタツミに近寄る)

タツミ「どうしたの?」

でで子「口をあーんして」

タツミ「…あーん」

 (でで子、手のひらのなかにあるものをタツミの口に放り込む)

タツミ「あ? なんだこ…(吐く)」

でで子「だめでしょ? 食べなきゃ」

タツミ「カタツムリはやめろって」




 9へ続く。