旅の途中だったが、『妖精の書』に引かれて、しばらく村に滞在することになったケンは、コウと一緒に『妖精の書』の読解を進めた。お互いの生活史が異なることから、文言に対する得手不得手があるので、この共同作業は有意義だった。例えば仲間に恵まれたコウには「孤独」という項目は前話にも書いた通り理解できなかったし、逆に活発だったケンには「やむを得ずの哲学」(第2章・第9話)という不活発な(と言ってもパラドキシカルに活発なのだが)項目が理解できなかった。そして。お互い何とか寓言(たとえ話)を使って理解しようと努めた。

 

その寓言を話そう。

 

ケンはコウに「孤独」という概念を理解してもらえるよう話し出した。

「わたしは、話が不得手で仲間を作ることができない。しかし人は社会的動物だ。これがどんなに辛いことかわかるかい」とまず話した。そして「だから社会から外れてひとりが気にならない旅をするし、皆との話の代わりに小説を書く。分かってくれるかな? これが『妖精の書』に書かれている「生まれる時もひとり。死ぬ時もひとり。人は根源的な孤独を抱えている」という意味なんだ」

 

コウは「ケンには、そんな苦労があったのかい。想像もつかなかったよ。人それぞれの苦しみがあるんだね。じっくり話さないと分からないや。じゃあ次は僕が…」

 

「僕は創作よりも、読む方が専門なんだ。それで『妖精の書』にたどり着いた時は感激した。こんな聡明な書はないからね。中でも「やむを得ずの哲学」という項目が好きになったんだ。僕は仕事が嫌いだった。我慢してやっていたんだ。でも心を病んでしまった。「やむを得ずの哲学」という項目には我慢とは違うもう一つのやり方が記されていたんだ。天のことわりに全てを任して自分の意思やこざかしい知恵をさしはさまないと言うやり方だ。何とも受動的に見えるのだが、やってみると分かる。逆に主体的になっている自分がいたんだ。パラドキシカルだろ。これが「やむを得ずの哲学」の正体さ。究極の行動原理とも書かれている。分かるかな?」

 

コウとケンの話し合いは一段落して、今日も23時。明日の仕事に向けて寝る時間だ。コウの家(おじいさんの書庫)はふたりくらいだったら足を投げ出して眠れる。お客さんのケンにはベッドで眠ってもらって、コウは地べたに断熱用のアルミシートを敷いて布団で眠った。コウはいつも地べた。おじいさんが生きていたころもそうだった。明日の朝はケンも畑仕事を手伝うと言ってくれた。 

 

          *

 

 朝が来た。心地よい小鳥の鳴き声で目覚める。ふたりが朝の支度をしているとアンがやって来た。

「大の大人の男が、こんな狭いところによく眠れたはね。なんか男臭いわ」看護師の観察力は鋭い。

「そりゃ男同士だもん。男臭くもなるさ。今日も仕事をかたづけるぞ。今日はケンとふたりでトウモロコシの房を切り放すから、上は早く終わるはずさ。下は追いつかないだろうから上が終わったらアンの運搬の仕事を手伝うよ」コウが言った。

「今日も暑くなりそうだ」

 

午後になってヨナが大きな弁当箱を担いで畑に現れた。

「今日は4人分だから、お弁当箱も大きいの。重かったわ」

弁当箱を広げると美味しそうなものがたくさん詰まっている。

 

食事中は、またしてもケンの話で盛り上がった。話べたなケンはこれには困った。特に、女性二人とのやり取りに困った。口がしどろもどろになる。それをコウは面白がって見ていた。

 

 3時ごろコウたちの仕事も一段落した。そこへスーパーマーケットの仕事に切りをつけてコッコが大袋をもって現れた。

「『妖精の書』の読解は進んだかい。1日や2日ではたいして進まないだろ。この町に住んだらいい。この村は平和だよ。街と違って住みやすいぜ。今日は特別にスーパーマーケットからシュークリームを持ってきた。おつとめ品だけどね、ほっぺが落ちるぞ」

町育ちのアンとコッコ以外は皆シュークリームを食べたことがなかった。皆喜んで噂のシュークリームに飛びついた。

「一人ふたつまでくらいならある」とコッコは言った。

だから皆はふたつずつとった。しかし、ひとつあまってしまった。みんなケンに食べてもらうということで意見が一致した。

 

後は、皆、川に行って行水し、解散した。

 

それにしてもコウの支援者は後を絶たない。今は、もちろん、ケンのことだ。コウは幸せだった。

 

          *

 

 西日が暑い。あたりはオレンジ色に染まっていた。夕暮れ時だった。コウとケンは軽く夕食を済ませ、昨日の続きをした。『妖精の書』の読解だ。ひとりがふたりになっても、膨大な量のお告げを前に、あまり効果がなかった。地道に続けるしかない。

そこでケンは「羊皮紙にいくつか気になるところを。写してもいいかい」と聞いた。「まだ先だけど旅に携行したいんだ」という。コウは「かまわないよ。この書は特定の人のものではない。皆のものだ」と言った。そしてしばらくふたりで『妖精の書』を読んだ。しかし『妖精の書』は青い光を放たなかった。

 

 それでもケンは次の言葉が気になった。

「不測に立ちて無有に遊ぶ」(ふそくにたちてむうにあそぶ 第2章・第10話)

「これはどういうことを言っているのかい」

 

「ああそれなら分るよ」

 

「先のことを予測せず、未来のことが分からない状態で今を遊ぶ。ということらしい。おじいさんは、人が幸せになるためのキーワードだって言ってたんだ。でもとても勇気のいることだよね。未来を予断すると、ろくなことがおきない。例えば計画や目標。それらは、ものにもよるけど、かなう可能性が無いかもしれない。それで今を失望させてしまう。あまり未来のことを考えず、今を遊ぶ。今に没頭するということらしい。生前のおじいさんがこれだけは覚えておけと言って教えてくれた文言なのさ。それ以外は古語の習得ばかりだった。唯一、『妖精の書』の中身に触れた言葉なのさ」