「毒姉」だなんて、アクセス稼ぎのワードを入れて姉にブログを書いてるのが姉本人にバレたら、と思うと、気が気ではない
私人間、兄弟間の問題を、こうして抽象化し、話題化する態度もまた、さぞ気に食わないことだろう
ただ、
「自分で解決しなくては」
と心の片隅で思いつつ、
「なるようになってくれ」
「時が経つことで解説に向かってくれたら」
などと、他力本願で放っておいた結果の未解決が今なのだから、ブログを続けることでたとえマイナスは生じても、そのマイナスに起因する責任は、もちろん自分が引き受ける
私たちの両親は他界していて、2人のほかに兄弟もいない
4人いた2親等以内の血族は、2人しか残されていない
お互いにとって、それが私たちだ
幼少のころは仲が良かったのか悪かったかさほど記憶はないが、なにかと支配的だった印象がある
小学生のころ決定的に仲が悪くなった
会話が一切なくなったから、両親には心配かけたかもしれない
それでも、姉と仲良くしろといったことは、父親にも母親にも言われた記憶がない
思春期特有の、一時的なものとして、両親はともに静観していたのかもしれない
その後、数年の途絶をへて、私たち2人は、再びよくしゃべるようになった
両親は、私たち2人が再び仲良くなったことに安堵しただろうか
ただ、そのころ私だけ大学生として両親とは離れてくらしていたし、たしか姉も高校卒業後はずっと一人暮らしだったから、子どものころのように家族4人ですごした時間は、本当に短かった
4人でそろってどこかにでかけたのは、親戚の集まりと、正月の初詣だけだったかもしれない
振り返れば、そろって出かけることのない家族だった
そんな4人も、初詣は、毎年全員行った
とはいえ、初詣の後にどこかで外食するでもなく(したかもしれないが)、家に直帰して再び思い思いの時間を過ごしていた気がする
両親のことを抜きに、姉との関係を語ることはできない
こうして記憶をたどれるということは、天国にいる父と母が「かすがい」となって、私たち2人のことを取り持とうとしてるのかもしれない
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