現地妻という言葉がもたらした炎上

10月末。
日本共産党の元衆議院議員、池内さおりさんの投稿が、SNSで大きく波紋を呼んだ。
高市早苗首相がトランプ大統領と会談した際の写真に、
「現地妻」という言葉を添えたことが発端だった。

「現地妻」は、植民地時代に女性を従属的に表す蔑称。
差別的な響きを持つその言葉が、政治批評の文脈で使われたことで、
一気に炎上が広がった。

メディアの報道には温度差があった。
保守系は「女性蔑視表現」として強く非難し、政党の責任を問う論調。
中日新聞などリベラル寄りの紙面は、背景やジェンダー意識の文脈にも触れながら、比較的冷静に伝えた。
ネットニュースやSNSは、感情的な批判が中心で、フェミニストとしての矛盾を指摘するものも多かった。

つまり、どの立場から見るかで、同じ発言の意味が変わった。
それはメディアの鏡のようでもある。


時系列を追うと…
10月30日、池内氏が投稿。
31日には批判が殺到し、各メディアが一斉に報道。
11月4日に「誤解を招いた」との謝罪を出すが、
その言葉遣いが再び火をつけた。
謝罪が「釈明」と受け取られたのだ。

SNSでは、
「女性差別を批判する立場の人が、その言葉を使うのか」
「表現の自由の範囲ではないか」
意見は分かれた。


オールドメディアが強く、SNSがなかった時代。 

学生のあいだで「マスコミに就職する」のが憧れだった頃は、 反権力や反政権という姿勢が、どこかカッコよく見えていたのかもしれない。


野党、とくに左寄りの政治家にとって、
政権批判は存在意義でもある。

けれど今は、批判だけが「ポーズ」に見える時代。
政策よりも先に、言葉の強さが伝わってしまう。
そのバランスが、ますます難しくなっている。



何年か前、あるイベントで池内さおりさんを見かけた。参加者として来ていたけれど、司会に促されて話したとき、なかなか堂々としていた。 

当時私は、彼女が誰なのか知らなかったけれど、あとで年齢を知って驚いた。

若いのに、貫禄があったからだ。



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