こんにちは!

ドキンちゃんです笑い









私は普段

あまり人様のことや

受けてる講座のことはブログに書かないのですが。講座仲間が、あまりに良記事を書いていてココロ射抜かれてしまったので、、、

ぜひ皆様にも読んでいただきたく。リブログさせてくださいキラキラキラキラ









ケアマネちはるさんの記事です。










サムネイル
育児や人間関係の悩みにも通ずる
素敵な考え方だと思うので
シェアします花


ちはるさんの記事を引用しながら

書きますね。引用部分多めです〜









ちはるさんはね、

ケアマネのお仕事をしていて。

福祉サービスのプランニング、利用者さんのフォローを主務としているようです。








その中で、「困難ケース」と呼ばれる

対応に困る仕事が時には発生するのだとか。

例えば

身寄りがない一人暮らしの方、

認知症のご夫婦、

ゴミ屋敷に住んでいる方、

精神疾患がありサービスの利用に拒否的な方、

などなど。

(どの仕事も、大変ですね。。。営業職でいうところの、全然提案聞かないお客様、無理難題をいいまくるお客様、でしょうかね。。。いやだよね。。。驚き驚き








日常生活でも

私たちの周りに存在する、

いわゆる

「聴く耳もたない人」

「良かれと思ってしたアドバイスを受け取らない人」

「話通じない人」

でしょうか。あなたの周りには、いますか?










その方たちへの接し方が

私には目から鱗👀でした!!











(以下引用抜粋)


困難ケースと言われる事例でも、

実はその人本人は

あまり困っていないことが多いのです。




「まわりの支援者が考えるあるべき姿、あるべき生活と違う部分がある」「利用してほしいサービスを利用してもらえない」ことによって、

「この人は困難ケースである」とまわりが決めてしまっているように思います。


 


福祉の基本は自己決定支援。




例え本人の選択が合理的なものでなかったとしても、余程命の危険がない限り、

または判断能力が全くないと認められない限り、

その人の意向は尊重しなければいけません。


その人の生活はその人が決めるべきものですから。




私たちも自分の仕事、家はもちろん、

今日何をするか、何を食べるか、自分で決めますよね?

(もちろん家族がいたりすると

自分1人で決められないこともあるかもしれませんが。その家族と一緒に暮らす、生活を共にすると決めたのはあなたのはずです。)



私たちだって、

いつでも合理的で正しい選択をしているわけではないと思います。



身体に悪いと思っていてタバコを吸ったり、

寝不足になると分かっていて夜更かしをしたり、

痩せたいと思っているのにお菓子を食べたり。


24時間365日、

いつでも合理的で正しい生活ができているでしょうか。

(もしそんな生活ができていたとして、

そういう生活は楽しいのでしょうか。)




例え高齢であっても、

障害があっても、

認知症があっても、

その人が決めたことは尊重しなければいけません。


その人にはその人の価値観があり、

暮らし方があります。




選択の結果がベストでなかったとしても、

その人の決定を尊重する。


その結果、

持病が悪化したり、転んだり、

道に迷ったりしたとしても、

その人が決めたことだからいいのです。


私たち福祉の専門職は、

選択肢を提示し、

それぞれのメリットとデメリットを説明するだけ。決めるのは本人です。


その結果何か不利益が生じても、

やるべき役割を果たしていれば、

私たち専門職が責任を感じたり、

思いつめたりする必要はないと思います。



不利益が生じたときに

「あなたが選んだことだから私は知りません

(だから○○を選んでおけばよかったのに)」

と突き放すわけではなく、


そのときはそのときで、

またどうしていったらいいか

本人と考えればいいのだと思います。


(中略)


「転ばないようにここに手すりを設置しておこう」

「家族の介護負担が心配だからヘルパーを利用しよう」

そんな風に先回りしてリスクを避け、

本人の意向を無視しがちです。


そして本人が

「手すりはいらない」

「ヘルパーは利用しなくていい」と言ったときに

「サービスを拒否している」と捉えて、

勝手に困難ケースにしていないでしょうか。



また、優しい人は

「手すりを置かなかったことで転んでしまった、どうしよう」

「ヘルパーを利用せず、家族が介護しきれなくなったらどうしよう」

自分が責任を感じてしまったり、

勝手に心配したりしていることが多いように思います。



私たちは選択肢を示すだけで、決めるのは本人。


ケアマネとしての役割を果たしていれば、

本人の選択の結果の不利益について、

ケアマネが自分を責める必要はありません。




あなたは今困難ケースを抱えているでしょうか。


その困難ケース、困っているのは誰ですか。


本人は困っているでしょうか。


まわりが困っているだけではないでしょうか。






(全文は、ちはるさんのブログへ…)

(ちはるさんのブログは、こんな感じで骨太訴求が魅力です。ブログ始めて数ヶ月とは思えない・・・ニコニコ

ためになる情報や、意思ある発信が得意なちはるさん。福祉職の方、ぜひフォローしてみてくださいキラキラ






この記事を読んで。

子への関わりを見つめ直す良いヒントになりましたキラキラキラキラ





大事な我が子を思って

親(特に夫)はアレヤコレヤ世話を焼きたがりますが。

先回りして小石をどけるようにして失敗しないようリスクを回避させたがりますが。






本人(子)は、それを望んでいるのですかね?

仮に望んでいたとて。

高い確率で先に亡くなるであろう親が

小石をどけて整備した道を歩かせまくることは

本当の意味での愛ある行動なんですかね?






親は、沢山の選択肢や気づきを

子にプレゼントすることができる。

でも、決めるのは子自身。






子の人生なのだ

好きにすれば良い

困った時にちょっと寄りかかれる存在として

親はいつでもそばにいればいい

そんな事を考えさせられた、

ちはるさんの記事でした拍手気づき

ちはるさんの仕事ポリシー、好きだな!!






最後まで読んで頂き

ありがとうございました!


下三角スタエフ更新しました下三角