藤川球児。彼は高知の野球界が生んだ奇跡。(広報担当記) | 堂島猛虎会のブログ

堂島猛虎会のブログ

タイガースファンの3人が綴る、猛虎愛ゆえの強く厳しい評論を発信していくブログです。

こんにちは。広報担当@堂島猛虎会です。

今日も拙ブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 

ブログを始めて1週間余り。

予想より多くの方にお読みいただいているようでして…。

堂島猛虎会一同、心から感謝しております。

 

これからも、何卒よろしくお願いいたします。

 

さて、どうやら今年も新型コロナウイルスに影響されるシーズンになりそうですね。

 

キャンプインは恒例2/1スタートが「仮決定」されたものの、

スタッフ含め全員のPCR検査がいるという…。

 

選手とコーチ合わせて、

12球団で軽く見積もって1,000名以上。

マスコミ関係者、カメラクルー、協力会社。

全員合わせて陰性、なんてあるはずないですよね。

ここでつまずくチームも出てくるでしょう。

 

となると、どのチームにどれほどの陽性者が出るのか?

その間に実施するキャンプのスケジュールは?

 

球団関係者の皆さん、外部スタッフの皆さん。

今行われているはずの「緊急事態における備え」を

しっかりとお願い致します。

 

しかし、こういうときにやらかすのが我らが阪神球団。

御家芸ともいえるゴタゴタ、情けないトラブルはお手のもの。

昨年もしっかりと披露されてしまいました。

 

守屋の書類送検沙汰、伊藤隼太、藤浪、長坂による球界初のコロナクラスター、

コロナ渦中における西の不倫、そして極め付けは選手・スタッフ7名の会食クラスター。

2020年も阪神らしい事象が続々とありました。

 

とくに、9月に発生した会食クラスターに関しては、

球団が定めたルールを選手、監督まで守っていなかったという驚愕の事実。

監督とキャプテンも会食を行っていました。

 

ルールを定めるという手段だけで終わっている。

誰も守ろうとしない。ルールのためのルール。

 

阪神球団内のガバナンスが全く効いていないことが

改めて浮き彫りになりました。

昔からなので、特に驚かなかったですが。

 

いろいろやらかした責任を取らせる形で、トカゲの尻尾である揚塩を切りました。

彼は選手や監督、コーチからも舐められていましたから、仕方ありません。

 

そこで今年はオーナーが球団社長と兼任するという状態です。

 

トカゲの尻尾を切ったオーナーが

今度はクビを切られないように。

しっかり統治してください。

 

なお、日本球界初のクラスターを引き起こした「元ドラ1」は消えましたから、

もう軽々しく北新地に誘われることもないでしょう。

選手の皆さんもくれぐれも自覚を持って行動してほしいと思います。

キャンプイン、楽しみにしています。

 

 

 

さて、昨年後半のタイガース界隈を最も席巻した話題といえば、

藤川球児投手の引退だと思います。

 

 

本当にお疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

 

今日は藤川球児投手について少し触れたいと思います。

 

実は私ですが、藤川球児投手と「浅すぎる縁」があります。

 

藤川球児投手と同じ高知県高知市出身の1学年下で、

しかも小学生当時、私も野球をやっておりまして。

 

偶然にも地元の少年野球大会で、

藤川投手との対戦経験もあります。

 

対戦成績は3打数2三振。

1ファーストフライでした。

 

すごくないですか?

最後の3打席目に、彼のストレートをバットに当てて、

フェアゾーンに飛ばしたんです。

 

4打席目があれば安打も打てたはずですが、

その前にコールド負けでした。

残念です。

 

ということで小学生の頃の私は、

彼のストレートをバッターボックスで体験して、

「なんちゅう球投げゆうがじゃあ!」と驚いていた、

大勢の高知の野球少年のうちの一人でした。

 

とにかく、藤川球児投手は地元でも昔から名前を知られた存在でした。

「球児というすごい名前の、すごい選手がいる。」

彼が中学校時代には高知の野球界に関わる方の多くに知れ渡っていたと思います。

 

そして彼は市内の公立中学校を経て、公立の名門「高知商業」へ進学。

 

私は高知商業に近い隣の駅の高校へ。

野球はやらなかったですが、

県内で唯一甲子園で春夏両方の優勝経験がある、

高知高校に進学しました。

 

ちなみに、

高知商業前駅の次が高知高校の最寄りの旭駅。

自転車でも行けるほど近くにあります。

 

この時までは、まだ彼に深い思い入れはありませんでした。

 

そして、あの夏の甲子園を迎えます。

高知商業が出場した97年の夏の大会です。

私は当時高校1年生でした。

平安高校に負けた2回戦。今でも鮮明に思い出せます。

 

僕が藤川球児という投手を初めて応援したのは、

あの日の甲子園の試合が最初です。

お兄さんとバッテリーを組んだ試合。

苦境ながらも懸命にマウンドを死守する球児さん。

あの日の姿に、私は心を持っていかれました。

 

あの時から彼は、

「人から応援してもらえるオーラ」を色濃く纏っていた気がします。

ものすごくカッコ良かったです。

 

そして迎えた翌年、彼の最終学年。

私の高知高校と準決勝で対戦し、敗戦投手として最後の夏を終えます。

 

私は高校では野球をしませんでしたが、

野球部の友人は何人かいました。

そのうちの一人が「球児の癖を見抜いたで。」

と試合の数日前に言っていたことを今でも覚えています。

ちゃんと癖を見抜いたのかもしれませんね。

 

なお、高知高校には土居投手という素晴らしいピッチャーがいました。

彼はのちに法政大学から横浜ベイスターズに入団します。

 

土居投手を擁する我が高知高校。

球児さんを擁する高知商業を破り、

あと1つで夏の甲子園へ!と色めき立ちましたが、

次戦の決勝で寺本選手、高橋選手を擁する明徳義塾に、

延長までもつれ込む熱戦の末、破れました。

 

他にもタレント揃いだった明徳義塾と、

松坂擁する横浜高校が繰り広げた球史に残る熱戦は、

今もさまざまなメディアで語り継がれています。

 

藤川球児投手が輝いた当時の高知の野球界には、

先述の高知高校土居投手(横浜)、明徳義塾寺本選手(ロッテ)、

高橋選手(ヤクルト)と、のちにプロへ進む4名の素晴らしい選手がいました。

 

高知では「松坂世代」というと、この4名のことを思い出す方が多いと思います。

私は1学年下ということもあり、余計に彼らの存在が大きく見えました。

 

私が今になって思うのは上記のライバル達と切磋琢磨できる環境にいたからこそ、

当時の藤川球児投手も大きく成長できたのではないかということです。

 

偶然にも集まった4名の素晴らしい選手たちを育んだ高知の野球界。

その結晶が藤川球児投手であると言えるかもしれません。

(厳密にいうと寺本選手と高橋選手は県外出身者ですが。)

まさに、奇跡です。

 

あの時代の高知の野球界とともに青春を送れたことは、

今でも感慨深く感じています。

 

しかし、本当の奇跡は1998年のドラフト会議で起こります。

 

「藤川球児、阪神タイガースドラフト1位」

 

まさか隣の高校から、大好きな阪神のドラフト1位が出るなんて。

ニュースで知った時、嬉しすぎて身震いしたことを覚えています。

 

と同時に、引退するその日までしっかり応援しようと心に決めました。

どれだけ活躍できるかわからないにしても。

 

余談ですが、高知商業には気の合う仲間たちがいたので、

ドラフト後に開催された高知商業の文化祭にも行きました。

 

その時、校舎の裏で球児さんを見かけました。

制服のカッターシャツの上にエンジのセーターを着て、

リラックスした表情で同級生と戯れていたことを鮮明に覚えています。

当時は同じ高校生同士ですから、

恥ずかしくて「握手してください」なんて言えませんでしたね。

内心、めっちゃ写真撮って欲しかったんですが。

 

書きながら思いましたが、

俺、だいぶ気持ち悪いですね。

めっちゃ恋してますやん。

 

とかくも阪神タイガースに入団した藤川球児投手。

入団当初から数年後まで目立った活躍はできませんでしたが、

山口コーチとの有名なエピソードから一気に開花。

球界を代表する投手になりました。

 

遡ってみると、

中西清起さん。そして藤川球児投手。

(結果は出ませんでしたが現広報の二神一人投手。)

高知県人とタイガースには、右腕の系譜があります。

 

実は高知には今、その系譜を受け継ぐポテンシャルを持つ逸材がいます。

 

それは、現高知高校3年生の森木投手。

中学生の時、軟球で150キロを出したまさに「怪物」。

 

彼に是非タイガースに入団してもらって、

中西清起、藤川球児と続く系譜をつないでほしいと思っています。

(高知高校の先輩、栄枝捕手もいます。)

 

その森木君を指導できるのはもちろん、

藤川球児しかいないでしょう。

 

高知の野球界が生んだ奇跡が、

さらなる奇跡を生む。

その輝きでタイガースの未来を照らしてほしい。

心からそう願わずにはいられません。

 

だいぶ長文になってしまいました。

最後までお読みいただき、感謝でございます。

 

 

なお、2021年のドラフト展望については、

今後、堂島猛虎会の編成担当からレポートさせていただく予定です。

楽しみにお待ちいただければと思います。

 

 

 

ということで最後に。

 

故郷の高知へ向かって、メッセージです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森木君!!!

お願いだから、

ジャイアンツにだけは

行かないでねぇ!!!泣

 

 

 

 

 

以上、広報担当でした!