私が旦那のことをクソみそに言ったり、離婚を考えたりしているのには、原因があります。

たとえパートナーが発達障害であっても、困り事への対策はできるし、それに対して協力もできますよね。

でも、しない。
したくない。
旦那が何としてでも一緒にいたいと思う相手ではなくなったから。


(その話の前に、まずは自分のことまとめ。)


そういう相手を選んだのは自分でしょ?
破れ鍋に綴じ蓋。
同類項なんじゃないの?

ええ。ですよね。
そうなんですよ、本当に一生の不覚…

私、29,30歳の頃にパワハラに遭い、耐えきれず、鬱になり、休職せざるを得ない時期がありまして…
旦那と出会って結婚した頃は、快復傾向にあり、新たに仕事にも就き、健康な人として再出発した頃でありました…


その時、自分では寛解したと思っておりましたが、今思えば、旦那を最高に気に入った理由。
それは、「頑張らなくていい」

相手に合わせて自分が頑張らなくてはいけない。それがまだ辛いと思っていたのだから、治ってはいなかったんです。

旦那はなんにも気にしない人でした。
口うるさく、あれしろこれしろ言わないし、出来てなくても気にしない。
まあ、そりゃそうよね。
自分のことしか考えないし、見てないから、人がどうしてようが気にならない。
そういう人。

当時の私には、それが「楽ちん」と感じたのです。


鬱になった時、仕事を辞めたり転職したり、ライフスタイルを大きく変えることは勧めないというのが基本ですが、寛解したと思っても、その後数年は、そのルールを貫いた方が良いと実感しました…

はい、今日から、良くなりましたぁ!そんな簡単な病気でもないのです。

私も自分の感覚が、本来より少しズレていたと気付いたのは、結婚して出産した後でした。

投薬治療もすべて終わり、もう通院しなくていいよと先生から治療終了を告げられてから、2年半くらい後です…


その頃に恋人を探し、結婚を考えたなら、私は絶対、旦那みたいな人は選ばなかったと思います…
仲良くすらなろうとしなかったと思うし…(--;)


当時の自分の気持ちを考えてみると、立ち直るに当たり、拠り所が欲しかったんだと思います。
鬱から立ち直るのって、本当に苦しいんですよ。

だから、頑張る理由が必要なんです。

当時、鬱から立ち直りつつあった私に、「頑張れ」とは一言も言わず、私がどんな気持ちになっても、ただ見守っててくれた(と当時の私は感じていたw)旦那を、今度は私が支えられるようになりたいと真剣に思っていたので、脳みそがうまく働かない情けない自分と向き合って必死になってました。



今となっては、本当に私、バカだったなぁと思います…

母曰く、母が初めて旦那に会った時、こんな奴と結婚しちゃうのでいいの?と思ったそうです…
まあ、母は、後になってから「私もそう思ってたー!」などと言い出すことが多いので、その当時、本当に思ってたかどうかは怪しいですけど。


だから、うつ病の私にとっては、旦那は「破れ鍋に綴じ蓋」でした。
でも、二度と鬱になんかなりたくありません。


続く