先週は、聴力検査の前日で私が心配でテンパっていたのか、書くの忘れてた…
しかし、最近の療育は前回、今回合わせて、何か、こんなことやりました、できましたってことはなく、パズルでひたすら遊ぶ40分(^^;


昨日の療育の終わりに、事務所で計画表に保護者のサインと判子を押したし、聴力正常だったから、少しずつ言葉のお教室も本格化していくのかな。

本格化しだしたら、嫌だーってなる頻度が高くなりやしないかと、ちょっと心配ではあるけど、まあ、きっと遊びの延長線上でやってくれるのだろうし、先生にお任せしよう。


そういえば、最近、出来るようになったこと、といえば、鳥さんの絵から鳥さんの絵に線を繋げて描いてみようとか、前は全然やろうともしなかったのに、先生から紙を貰うと、ちょっとやろうと努力するようになったかな。
まっすぐ線とか、綺麗な曲線とかは描けないんだけど、同じ絵のマークからマークへ、なんとか線引いてみたって感じにはできることもあって、本当に少しずつだけど、発展、進歩してきてるんだなーと思える。


あとは、運動療育通うようになったら、どうなるかな。



先週、今月末で受給者証の給付期間が終了するから更新に行ったら、ケースワーカーさんが出ているから、後ほどお電話で面談の日取りを。と言われ、新たに療育に通いたいって話もしたら、それも面談の時に直接ケースワーカーに伝えてくださいと言われたんだけど、電話来ず…

来週で今月終わるんですけどー

やっぱり、こっちから、催促の電話しないとダメかー。
待ってて、損した気分だ。




昨日は、録画してあった、Mステの源さん見て、ポニポニっとした気分になったり、グットドクターの最終回見て、もし、今、自分の子供が脳死になったら、例え臓器が誰かの身体の中で生き続けるとしても、提供するって言えない…と思う自分の心境に我ながら驚いたりした日だったな。


自分の臓器は(たぶん、今のままじゃどれも脂肪まみれで使えないだろうけど)使えるなら、誰かに使って欲しいと思う。
そこは、変わらないんだけど…
今までは、子供も誰かがそれで生き延びられるなら、子供の一部でも生き続けてくれるならって思い続けてきたけど、昨日は、そうなった時、脳死を受け入れられないんじゃないかって気持ちをすごく強く感じてしまい、大事だと思えば思うほど、どんなことでも、良くない状況を受け切れるって苦しくなるんだな。と当たり前のことを、より強く思ったわ。


あー、チュンがこれから事故とか、何かのトラブルで心肺停止が続くようなことが起きませんように。
困った時だけ神頼みしても、神様は聞いてくれないだろうけど…
でも、かみさま、お願いします。