消された明治の父・小栗忠順③〜ミスター近代化と徳川の運命【前】〜 | 天地温古堂商店

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小栗忠順は、生涯に70余たびも辞職したり、免職になった人である。
それは彼がよほど無能か癇癪持ちなのかといえば、そうではない。

勝海舟は皮肉をこめて、「アメリカでは上に立つ者はみなその地位相応に利口だが、わが国はその反対だ」と老中の面前で言ってひんしゅくを買った。
小栗のまわりにもそういう上司が少なくなかった。
あいまいな処理や問題の先送りを嫌う小栗は、老中らに抜本的な改革を直言しても、あれこれ言われて却下され職を追われた。
しかし、次々にふりかかる難題に対処できる人材は小栗のほかになく、上層部からすぐ呼び戻されるのだ。


70余たびの目まぐるしい職場転換は、小栗の抜きんでた才覚のあかしである。

 


大河ドラマ『青天を衝け』の小栗忠順(演・武田真治) NHKアーカイブス NHK人物録より

 

■ミスター近代化〝小栗のレガシー〟

今も残る小栗の日記の記述はいたって簡潔で、幕府や新政府への思いや日本の将来への考えについて記したくだりは見当たらないという。
小栗研究家・村上泰賢氏は「終生働き詰めだった小栗には日記や手紙を書く時間はなかった。」という。
日記や手紙はないが、代わりに小栗の実現させた構想を私たちは知ることができる。
 

小栗のこうした構想の多くの原点は、やはりアメリカでの見聞だった。

 

たとえば、小栗が初めて「株式会社」というものの存在を知り理解したのは、遣米使節として訪れたパナマで、蒸気機関車を目の当たりにしたときのことだ。

小栗の関心は、蒸気機関車そのものではなく、むしろ、この鉄道と呼ばれる巨大なハードを建設し運営するのに、費用がどれくらいかかり、そして、その資金をどうやって集めているのかを知りたいと思ったのだ。

 

通訳が答える。

 

金持ちのアメリカ商人たちから700万ドルの資本金を借り受け、カンパニーという組織をつくり、金を出した者には年に一割二分の利息を加えて返済するのです。

 

なるほど、カンパニーなるものをつくり、資金を集めるのか!

 

小栗は、カンパニーこそ幕府いや日本の救世主だということを、それこそ体じゅうを電流で撃たれたようにして発見したのではないか。

 

ワシントン海軍工廠を視察した遣米使節(前列右から2人目が小栗)

 

小栗の実現させた構想の主なものを挙げてみよう。

 

・軍制改革。フランス式三兵制度の導入。
・幕府の職制改革の断行。役人俸給表の作成。賄賂追放の徹底。
・小石川小銃製作所の建設。
・日本初の公的な兌換紙幣「江戸横浜通用札」の発行。
・部長、課長の職制など近代的雇用制度の導入。洋式簿記の導入。
・滝野川反射炉の動力源となる水力を得るための千川上水拡張。
・株式会社方式による外国人用ホテルの建設(築地)。
・フランス語学校の開校(横浜)。
・商工会議所の前身となる「諸色会所」の設立。
・兵庫開港に合わせた「兵庫商社」の設立。

などなど、ほかにも多数ある。
「兵庫商社」の設立は、日本初の株式会社(カンパニー)といわれる坂本龍馬の海援隊よりも早い。

 


江戸横浜通用金札 拾両 NIHON-COIN-AUNCTIONウェブサイトより

■小栗の軍制改革

幕府の武備は、関ヶ原のころとさして変わっていない。

それでは攘夷もできないことは、誰でもわかる。
幕府も方針はたてた。

幕府が歩兵・騎兵・砲兵の三兵制に再編成することを決めたのは1862(文久)2年だから、小栗がアメリカから帰国した翌年のことだ。

小栗はちょうど勘定奉行を免職となって無役のころ、親しくしている栗本瀬兵衛を訪れて軍制改革のことを諮問している。

三兵制の方針が決まって4年も経つが、遅々として進んでいない。
適当な国に頼んで、陸軍軍事顧問団を迎えてしっかりした兵制を定めたいと思い意見をうかがいに参った。


栗本は外国人に知己が多く、とりわけフランス通だ。
小栗の言葉を聞いてピンときた。

箱館にいたころロシア人に聞いた話ですが、英仏が友軍として戦争するとき、フランス兵のほうが勇敢で、いつも先頭を切るのはフランス兵だそうです。
そのあとを確実に占領するのはイギリス兵。
イギリス兵なしのフランス兵だけでは勝利を確保できず、フランス兵なしのイギリス兵だけでは敵を破ることはできない
、と言います。
また、別の者は、欧州の戦史をひもとくと、海軍はイギリスが強く、陸軍はフランスが強いと言います。


と説明したあと、栗本は小栗に、

つまり、フランス公使に陸軍軍事顧問を雇うことを頼んでくれとおっしゃられているのですね。

といった。

図星だった。
フランス通の栗本は小栗にとって欠かすことのできない相棒だ。

栗本がロッシュを訪ねると、ロッシュはこれを快諾。
老中は正式な幕府文書を作らせて、陸軍軍事顧問団招聘のことは成約した。
ことは極秘のうちに運ばれている。

■ロッシュの秘策とその頓挫

幕府とフランスの関係は次第に深いものになっている。
しかし、それを警戒する者たちもいた。

前稿で書いた日仏合弁会社のことを各国の外交官たちが知って、本国に報告した。
すでに日本は欧米列強の争覇の地である。
フランスを除く外交団は、強硬な態度で幕府に抗議してきたのだ。

各国と通商条約を結んでいながら、ある産物を特定の国だけに輸出するのは、万国公法違反である。

ついに日仏合弁会社の件は流れてしまう。
そもそも横須賀造船所建設の資金となる240万ドルは、合弁会社からの利益をあてにしてのことだ。

小栗は苦境におちいった。

そのとき、またも救いの手をさしのべたのは、ロッシュだった。

フランス政府が仲介してフランスの銀行から600万ドルを借りられるようにして差し上げましょう。

しかし、その後にロッシュの語った内容がきわめて重大だった。

長州のことは徳川家にとって大厄難でありますが、これを転じて大幸となす方法があります。

ここでいう長州のこととは、第二次長州征伐のこと。結果は幕府の敗北に終わる。

このたびのことを機会にまず長州をたおし、次に薩摩をたおしなさるがよい。
この両藩がなければ、天下に徳川家に反抗するものはありません。
諸藩を廃止して、徳川家を中心とする中央集権体制とし郡県制度をお敷きなさい。

世界の列強は現在では、みなこの制度になっています。
ついては600万ドルのほかに、軍艦や兵器も年賦でご用立てしましょう。


この提言を聞いて、閣老たちは狂喜した。

まさに地獄に仏。この話はぜひ進めよう。
ただし、秘中の秘にせよ。

ということになった。
知っているのは一橋慶喜、老中ら5、6人と小栗だけであった。

 


フランス公使レオン・ロッシュ 写真 Wikipediaより

そんな折、勝海舟が長州征伐の終戦交渉のために大坂へ向かうと聞き、小栗はこの秘策を海舟に話したのである。

海舟の考えは小栗らとは違う。

海舟は幕臣でありながら、尊王や佐幕より大事なものがあった。
国内が、尊王だ佐幕だともめている隙に、列強たちに蚕食されてしまいかねない。
海舟は、欧州列強の東アジア侵略の歴史をよく知っている。
日本の独立を死守することであった。
そのためには、早急に外国勢力の関与のない形で新国家をつくることであった。

 


勝海舟 写真 Wikipediaより

海舟は老中・板倉勝静に反対意見を述べた。
おおむね次のような内容だ。

・外国の資金と兵力を借りることは危険この上なく、必ず代償を要求をしてくる。
・諸藩を廃して郡県制にするというが、諸大名を廃して徳川家だけ残るというようなことを諸侯は納得しない。

そして、最後には海舟の意見をこう述べている。

むしろ徳川家が進んで政権を朝廷に返上され、天下に模範を示された上で郡県制度となるようになさってはいかがでございましょうか。
それなら諸侯も納得するでしょう。


おそらく海舟が漏らしたのであろう。
松平春嶽の知るところとなり、海舟同様、反対を表明している。

このころ、将軍家茂が病死したり、長州征伐を中止したりと大事が重なり、600万ドルのフランス支援は中止となった。

明治になって刊行された『徳川慶喜公伝』によると、この間の機微について、

勘定奉行(小栗)とフランスとの間に借款の約束があったが、慶喜が裁許を与えなかった。

と書かれている。
しかし、内実は政治総裁職にあった一橋慶喜は、大いに乗り気でこのことを進めさせていたのである。
それは、このあとの慶喜の幕政改革をみてもわかる。

 

慶喜は、小栗の実行する幕府の近代化政策に手ごたえを感じていたし、〝日本改造計画〟を知るにいたり、自分の手で新国家の建設を成し遂げようとしたのである。

 


一橋(徳川)慶喜 写真 JBpressホームページより