何か自慢できることはありませんか?

 

と人から聞かれたら

 

「人との縁に恵まれています」

 

と答える僕です

 

 

相変わらず出会いには恵まれており、昨日は

 

著書「欧米に寝たきり老人はいない」で有名な宮本顕二先生と飲む機会を得ました

 

 

 

 

救急の現場でも、最近は人工呼吸器に依存しつつも回復の見込めない人に対する離脱、痰に溺れて窒息するかもしれない状況での抜管なども考慮され始めています

 

また、救急ではそもそも漫然と続く中心静脈栄養、食べられなくなった人への胃瘻造設などは行なっていません

 

 

僕らは疾病や傷害を治療すべく戦っています

 

老化によっておこる不都合に対するサポートはできますが、老化の治療はできません

 

というわけで、老化であると考えられるものに対してはほぼ無力です

 

 

 

ただしどこまでが疾病で、どこからが老化なのかという線引きはとても難しいものです

 

 

 

昨日は誤嚥性肺炎に焦点を当てた勉強会があったのです

 

誤嚥性肺炎は、まさにそんな老化と疾病の線引きの難しい疾患です

 

僕は一般公演として救急部としてどのように誤嚥性肺炎と向き合って、どのような治療をして、患者さんがどんな転機をたどっているかというお話をいたしました

 

宮本先生は特別公演として、終末期医療との向かい合い方について講演頂きました

 

 

 

誤嚥性肺炎って本当に向き合い方が難しいのです

 

 

今年4月に日本呼吸器学会が刊行した成人肺炎診療ガイドライン

http://www.jrs.or.jp/modules/guidelines/index.php?content_id=94

 

ここでは肺炎を「市中肺炎」と「院内肺炎/医療・介護関連肺炎」に分けています

 

 

そして後者のうち、誤嚥性肺炎リスクがたかかったり、既に反復誤嚥がある場合、何らかの疾患の終末期や老衰である場合などには、個人の意思やQOL(Quality of life)を考慮した治療・ケアを行うように診療アルゴリズムを作っています

 

 

 

端的にいうと

 

治療をそもそもしないという選択肢を提示しています

 

 

 

 

 

医療・介護関連肺炎に治療をするとどんないいことがあるかということを調べた研究があります

 

CASCADE (Choices, Attitudes, and Strategies for Care of Advanced Dementia at the End-of-Life) study

という研究からの報告です

 

Givens JL, Jones RN, Shaffer ML, Kiely DK, Mitchell SL.

Survival and comfort after treatment of pneumonia in advanced dementia. 

Arch Intern Med. 2010 Jul 12;170(13):1102-7. 

 

 

22の介護施設に入所していた323名に対する前向き調査

 

133名で225回の肺炎が疑われる状況があり、どのような治療介入がなされたのか、そしてその効果がどうだったのかを検証しています

 

8.9%の人は抗菌薬投与されておらず

55.1%の人は経口抗菌薬を投与され

15.6%の人は筋注で抗菌薬投与がされていました

 

これら全体の8割程度の人は入院をしていません

残りは入院したり経静脈での抗菌薬投与がなされました

 

 

死亡率やQOLなどについてですが

QOLはSM-EOLD(Symptom Management at the End-of-Life in Dementia)スケールというものが使用されています

 

死亡前90日間の、痛み・呼吸困難・抑うつ・恐怖・不安・いらいら・落ち着き・皮膚の損傷・介護への抵抗について、介護職員がその頻度を元にスコアリングし、どのくらい身体的または精神的に安定して過ごしていたかを評価します

(90日以内に死亡した患者は対象外)

 

 

結果ですが、何らかの抗菌薬投与がなされると死亡リスクは0.2まで下がったようです

抗菌薬の投与経路での違いはないようです

 

また何らかの抗菌薬投与を行うと、QOLは著しく低下しており

入院ないし抗菌薬の経静脈投与を行なった群では、より著明にQOLは低下していました

 

 

要するに、治療介入を行うと死亡しないかもしれないけどQOLは下がるということです

 

 

なので、QOLを優先的に考えて治療方針を考えるということは、治療しないという可能性まで内包することになります

 

 

 

可逆性という点を考えると、誤嚥性肺炎は疾病と言えるかもしれませんが、背景にあるのはどうしようもない老化です

 

この部分は抗えません

 

 

 

 

宮本先生は様々な国に行き、いろんな医師や患者やその家族と話したり、日本の療養型病棟を見て一つのことに気がついたとおっしゃっていました

 

海外には寝たきり老人もいないけど、誤嚥性肺炎の患者さんがいない

のだそうです

 

なぜなら食べられなくなったら食べさせないからです

 

 

 

繰り返す誤嚥患者さんを思い出すにつれ

 

自分で食べて何回も誤嚥してる人ってそうそういないなと・・・

 

 

食べられない飲み込めない

 

もちろん病気でそうなっているなら争うという姿勢もありましょうけど

 

老化だとしたら「どう受け入れるか」を考えることもとても大事だと思います

 

日本以外で、「食べられないのは人間がたどる自然の経過だから無理に食べさせまい」とする考えが国民に浸透している国がたくさんあるのです

 

 

 

実は昨日の講演の冒頭で、いらっしゃった会場の皆さま(呼吸器科や感染症科のDr.や家庭医が多い)に

 

「誤嚥性肺炎の専門の方はいらっしゃいますか?」

 

と尋ねたら、誰一人手を挙げませんでした

 

 

その疾患の専門家として取り組むということは、治療だけでなく、予防や啓発、アフターケアなども含めて考えていくことを指します

 

そういう人、少ないですよね

 

地域によってはいないかもしれません

 

 

 

誤嚥性肺炎で当院に来られる人の多くは、救急搬送です

 

そして、施設入所となったり、転院となる人が多いです

 

その先は繰り返す誤嚥性肺炎との戦いになりますが、専門家不在の状況で、ただただ漫然と治療介入が行われていっています

 

 

 

誤嚥性肺炎に対して、老化と疾病の線引きができるとしたら誰なのか

 

治療しないという勇気ある選択をできるとしたら誰なのか

 

 

もしかしたら救急医なのかもしれません

 

でも、きちんと嚥下機能を評価したり、その後のライフスタイルを整えたり、その後その患者さんのヘルスケアをしていくといったことを考えたら、とてもじゃないけれど救急医だけで担保できる問題ではありません

 

もっと広い枠組みで誤嚥性肺炎、ないしはもっと広く、終末期をどのように迎えるかということを考えていかないといかんなと、改めて感じたひと時でした

 

 

 

 

最近もよく誤嚥性肺炎もしくは誤嚥窒息しかけという患者さんが搬送されてきます

 

 

患者さんと元気にお話できることが少なく、そんな時は家族とお話することになります

 

「食べ物を詰まらせたり誤嚥したりという状況です。吸痰を試みましたが、全く咳反射が起こらず、いつ誤嚥してもおかしくないし、誤嚥しても吐き出せない状態になっていると考えます。老化現象だと思います。治せません。突然死を免れましたが、徐々に死期が近づいていると考えていただいた方がいいかもしれません。」

 

 

と説明すると、驚いたような表情をされることが多いです

 

 

食が細ったり、何度もムセたりするのを目撃しているのに、それが死に向かっているという発想とは結びつかないようです

 

「だいぶ弱ってるね、その時は近いね」

 

という情報をどこで共有すると良いのか

 

 

申し訳ありませんが、今の所一救急医としての妙案はありません

 

少しずつこうして情報共有しつつ、徐々に文化として醸成されていくのを待ちます

 

 

 

最後に、突然家族を亡くしたり、最期を見届けるように亡くした僕から、自戒を込めて幽遊白書の戸愚呂(弟)のセリフを載せておきます