その席は、淡い恋に背中を向けてポツンと彼女を待っていた。

手招きされるように、彼女は座ったように見えた。すでに酔っ

ているみんなのざわめきは、聞いてもいないFMのようにあま

り心地良いものではなかったに違いない。落ち着きたい心を

グラスの音が掻き乱す。着飾った友人達と同じテーブルなの

に、心はそこに無いようだった。斜め後ろからみた彼女の左

手には結婚指輪。まだ新しい光が目を引いた。今日の日に、

この場にふさわしい輝きは彼女たちがそういう時期を迎えて

いることを教えてくれた。披露宴で彼女となにやら小声で話

していた男が彼女の後ろに座っていた。思い出の始まりの

ような時期から現在までを、幼なじみは同じ学校で過ごした

り進路が違ったりしながらも、お互いの成長の中にいた。彼

女の指輪は、ぼくたちが大人になったことの証のように輝い

ていた。飲み過ぎたぼくは、薄れがちな意識の中である風

景を思い出していた。今見ている景色をどこかで見たような

気がしていた。子供の声とざわめき。給食の時間。背中合

わせなのに、振り向きながら食べている仲良さそうな彼女と

彼。1秒ごとに振り返っては、牛乳飲みなさいとか彼の世話

をやいていた彼女。あのときと同じように背中合わせで座っ

ているのに、二人とも振り向きもしない。確かに背中に相手

を感じているのに、真新しい指輪をした彼女と独身の彼はあ

の日に帰れないでいるようだった。。。

振り返れない自分に勇気を与えるように彼女はそっとリングに手を

触れた。中学生の頃だったか彼の苗字に自分の名前を置いてみて

不思議な心地よさを抱いていた時期もあった。あまりに淡い恋心は

忙しい毎日の中に埋没していく。男友達と出かけるようになり、彼も

またその一人として付き合う。一番好きではあるが、デートの相手は

彼だけではない休みの日は、日を追うごとに一番好きで彼女だけだ

った彼の足を遠ざけた。これだけ込んでいる場所なのに、ぼくたちは

彼の隣の席にだけは、座らなかった。いくら酔っているぼくでもそれだ

けは出来なかった。なぜなら、今日だけかも知れないけどそこは彼女

の席だった。決して彼からはもう近づけない彼女のための席だった。

おめでたい新郎新婦はそれだけで幸せなんだから、お互いが主役な

らそれでいい。ぼくたちにとってこの場所は、彼と彼女が主役の最後

の夜だった。リングに手を触れた彼女は身じろぎもせずに俯いていた。

まるで立ち上がろうとする自分を押さえつけているようだった。

「よう、ぼい。そろそろ帰るよ。。」

ぼくを揺り起こした彼は足早に去って行った。目の前には空席が2つ。

座る場所を間違えた彼女の帰れない席と、最後の最後まで待ってい

た彼がもういない席。解散まであと30分。突然失われた時間に彼女

はまた、ため息をついた。リングを押さえていた手をそっと離す。砂の

ように流れる最後の時間をすべて失ったとき、彼女は消えていないあ

の頃の恋に気がついた。失ってから気がつく恋はあまりにも切ない。

高鳴る胸の鼓動と懐かしいやすらかな気持が交叉しながら彼女は

故郷へと急いでいた。自分の子供の年齢だけ、あの日から遠ざか

っていた。何度か電話で話をしたが、誰に遠慮をすることもないとは

わかっていたけど、疎遠になった彼との再会に向かって急いでいた。

定刻にしか着かない電車の中で、子供達の世話をしながらも心は

とっくに、あの日に帰っていた。もちろん二人だけで会うわけではな

くあの時の気持を伝えることもできない。ただ、自分の気持ちにまだ

ついていない整理をつけたい。そんな気持ちだった。一方彼は未だ

独身だった。勢いだけでは結婚できない年齢になっていた。彼が今

どんな気持で、故郷で生きているのかはもちろん彼女には判らなか

った。あと30分程で電車はあの懐かしい駅に着こうとしていた。そ

して偶然その電車にぼくが乗り合わせていた。

「ん?あれ?」

「あ、ぼいちゃん」

「久しぶりだね。アホ夫婦の結婚式以来か?」

「そうそう、あの日以来ね」

「おこさん?大きいね」

「ぼいちゃん、結婚は?」

「したした、勢いで。。。」

「あはは、ぼいちゃんらしいね」

少しとっつきにくいところがあった彼女だったが、気さくな笑顔が更

に美しくなったようだ。昔話を少しした後、あの日の話しになった。

「寝ちゃってたから、あまり覚えてないんだ」

「昔から、どこでも寝るのね。。」

もちろん、彼女が聞きたいのは彼がぼくに言った会場を後にする時

の最後の言葉だとはわかっていた。

「そういや、あいつまだ独身みたいだよ」

「あいつって?」

「え~と、誰だっけ?」

「きゃはは、相変わらずね」

お互い様という言葉を飲み込んで、知っている限りの彼の話をした。

ただ頷いて聞いているだけだった彼女が電車が到着し慌ただしく降

りるときにこう言った。。。

「この子の名前、一樹っていうのよ」

「ほんと?」

「うん、主人が名前決めたときびっくりした」

「あはは、だろうねぇ」

「まさか、今でも好きな人と同じ名前だって言えないものね」

「あはは。。。」

「あ。。。」

一番目を丸くしたのは、この子だったと思う。もうなんとなくでも、好き

とかきらいとかがわかるはずだ。僕たちが初めて出会った頃の年齢

は、今ではもっとませているはずだ。

「内緒よ」

「誰に?」

「誰にでも!」

この子は教室で前に座るかわいい女の子に、牛乳飲みなさいって

言われてるんだろうか。じゃぁ、またねと言うと小さくVサインをくれた。

大丈夫、内緒にするよ。そんな合図のような気がした。。。