8月6日ロシア西部のクルスク州にウクライナ軍が大挙侵攻した。この奇襲作戦には3ないし5個旅団が関わっているつまり6千人から1万人規模の部隊が侵攻したとみられている。その部隊はかき集めのようであるが精鋭機械化旅団も投入されているとのこと。

ロシア軍の手薄なところを攻撃され、しかもこれまでのようなテロリスト小部隊ではなく、大規模部隊の侵攻だ。ロシア住民も被害を受けているらしく、周辺の住民数万人が避難しているという。

 

 怒りの顔を見せるプーチン大統領

Forbs Japanより

ウクライナ軍、越境攻撃に精鋭の空挺旅団も投入「本格侵攻」の様相強まる」

…ウクライナ側で戦うロシア人らの義勇兵組織は、ロシア西部に対する襲撃(レイド)をたびたび行ってきた。ただ、これらの襲撃は小規模で範囲も限られ、せいぜい数日で終わっていた。目的は何より、ロシア指導部のメンツをつぶすことにあった。

6日に始まった今回の作戦は違っていた。陸軍の第22独立機械化旅団と第88独立機械化旅団、そして空中強襲軍(空挺軍)の第80空中強襲旅団というウクライナ正規軍の少なくとも3個旅団が実行しており、砲兵部隊、ドローンチーム、防空部隊がきわめて重要な支援任務にあたっている。各旅団は最大2000人規模だ。

クルスク州で起こっていることは襲撃ではなく侵攻であることが、時間を追うごとに明らかになっている。もっとも、ウクライナ側がこの侵攻に多大なリソースを投じているからといって、成功が保証されているわけではない。侵攻エリアやその周辺に展開しているウクライナ部隊は総勢1万人規模にのぼるのかもしれない。

一方、近くの国境地帯で戦うロシア軍の北方軍集団(「セーベル(北)」作戦戦略軍集団)は総勢4万8000人規模だ。だが、北方軍集団は現在、ロシア軍の北東部攻勢で主要な戦場になっているウクライナの国境の小都市ボウチャンシクで行き詰まっている。ボウチャンシクは、ウクライナ軍の侵攻で中心地となっている町スジャから南東へ150kmほどに位置する。
ウクライナ軍部隊は、北方軍集団の兵力が最も手薄な場所を狙って国境を越えたようだ。ウクライナのシンクタンク、防衛戦略センター(CDS)は8日の作戦状況評価で、ウクライナ軍司令部は「奇襲作戦に成功した」と書いている。

 


北方軍集団がスジャ方面に兵力を振り向けられるか、そしてそれをどれくらい早く行えるかが、この侵攻の結果を左右する要因になりそうだ。ロシア側の対応が早ければ、ウクライナ側の進撃を抑え込み、さらには押し返すこともできるかもしれない。だが、対応が遅ければ、クルスク州でさらに多く失地することになるかもしれない。
一方で、この作戦が裏目に出る可能性もまだかなりある。侵攻部隊は砲兵や防空システム、兵站の支援を受けられる範囲を越えて進軍すれば、クルスク州の奥深くで孤立し、敵の火力に圧倒されかねない。ウクライナ軍は容易には代替できない数千人の人員を危険にさらしている。
ただ、ウクライナ軍部隊はたんに急速に進撃しているだけでなく、第80空中強襲旅団の本格的な火力を携えてもいる。
ウクライナ軍の指揮官たちは、攻撃のペースと規模でロシア軍の指揮官たちを慌てふためかせた。これは称賛に値する。CDSは北方軍集団司令部の意思決定には「顕著な遅れ」がみられるとし、それはウクライナ軍による今回の作戦の「おそらく本質と考えられるものを見誤った」ためだと断じている。 

「ウクライナ軍の旅団がロシアに侵攻、15km進撃 非常に危険な賭けに」2024.8.8

既報のとおりウクライナの部隊は7日、ウクライナ北部スーミ州から国境を越え、ロシア側の防御の隙をついてロシア南西部クルスク州の町スジャに侵入した。この部隊はウクライナ陸軍の少なくとも2個の旅団で、当初言われていたロシア人義勇兵組織の再襲撃ではなかったようだ。

第22独立機械化旅団や第88独立機械化旅団に所属する総勢数百人の兵士らは8日、大砲やドローン(無人機)、防空システムの支援を受けながらクルスク州で15kmほど進軍し、現地のロシア部隊を潰走させ、スジャや周辺の複数の村を制圧した。

これは、1年にわたり守勢に立たされてきたウクライナ軍にとって驚くべき戦果だ。ウクライナ軍は、ロシア軍が大きな損害を出しながらも執拗に続ける攻撃を東部の戦線全体で食い止めるため、十分な兵力を動員するのにも苦慮してきた。

ウクライナ軍は東部の最前線の村落や都市を守備する旅団に十分な人員を充当できず、ドネツク州の残りの支配地域を保持する努力に深刻な影響が出ている。それにもかかわらず、ウクライナ軍は2個以上の旅団をスジャへの攻撃に投入した。この攻撃で得られるものは、失うものより価値があると判断しているということなのだろう。

ウクライナ軍参謀本部は、北部での「攻勢」によってロシア軍に東部で兵力分散を強い、前進を遅らせることを狙っているのかもしれない。(後略)」

 

ウクライナ軍の戦術目標は、クルスク原子力発電所かスジャの主要なガス施設(ロシア産ガスをEUへ運ぶ唯一の地点)と言われている。

 

この辺のところをニキータさんが分かりやすく説明している。

「ニキータ伝〜ロシアの手ほどき」3分30秒頃

  ウ軍のロシア領侵攻を深堀

 

原発破壊をロシアへの脅しに使うつもりなのだろう。以前ウクライナのザポリージャ原発(ロシアが占拠)へのミサイル攻撃をロシア軍のせいにしていたが、ウクライナ軍は常に原発破壊をロシアへの脅威として使おうとしているのである。

  クルスク原発

またゼレンスキーとしては、このクルスク侵攻を、将来のモスクワとの交渉で潜在的な交渉の切り札とすること又は、ロシア軍を前線から引き離すことでウクライナの逼迫した防衛への圧力を緩和する陽動作戦まで、様々な説が取り沙汰されているようだが、どちらもゼレンスキーの意図として正しいのではないか。

 

しかし、停戦交渉の切り札にクルスク住民を殺害したりクルスク原発を破壊したりすればプーチン大統領の怒りも高まり、堪忍袋の緒が切れて、停戦交渉など吹っ飛んでしまうのではないか。

 

ゼレンスキーはもうなけなしの部隊全てをこのクルスク侵攻へつぎ込んだようだ。計画自体はNATO軍が作ったと言われているが、ゼレンスキーも賛同したはずだ。

負け戦が明らかになってくるとなぜか乾坤一擲の勝負を賭けたい気持ちになるらしい。

 

これで思い出すのは、太平洋戦争終結間近の日本軍の「一撃講和論」の台頭だ。

歴史学者の一ノ瀬俊也氏は次のように書く。

「天皇や伏見宮たち陸海軍はサイパン島の奪回こそ諦めたが、戦争自体の継続では一致していた。連合国は日独に無条件降伏を要求していたし、日本はまだ広大な占領地を保持し、本土への直接上陸を許してもいなかったからである。だが、どのようにして戦争を終結させるかの展望は指導者層、そして国民にも示す必要があった。

そのさい戦争終結構想として唱えられたのが「一撃講和論」である。その内容を端的に示すのが、陸軍大将・東久邇宮稔彦王の一九四四年七月一一日の日記の「わが海軍は、なお最後の一戦をやる余力があるから、陸海軍の航空戦力を統合して、アメリカ軍に一撃を加え、その時機に和平交渉をするのがよい。これがためには、陸海軍統帥部の一元化と航空戦力の一元化を、急速に実施しなくてはならない」という記述である(東久邇稔彦『一皇族の戦争日記』)。

「最後の一戦」すなわち決戦で米軍に一撃を加えて有利な立場を築き、そのうえで和平交渉をおこなうというのである。ほかに戦争終結の見込みは思いつかないので、米国側が一度負けたぐらいで和平交渉に応じるかについては、考えないことになっている。

現在の目からすれば、どうせ降伏に追い込まれるのであれば、はやく降伏していれば沖縄戦や原爆投下、ソ連参戦も避けられたと思う。しかし当時の戦争指導者たちはそうは考えなかった。

(トラ注 ゼレンスキーも同じだ。国民のことなど一つも考えていない!)

内閣総理大臣・陸軍大将の小磯国昭は敗戦後の一九四九年、日米戦史編纂を担当していたGHQ(連合国軍総司令部)歴史課のヒアリングで「負け戦と云うことを承知している政府が、ここで直ぐ講和をすれば苛酷な条件に屈伏せねばならず、勝っているとのみ信じている国民は之に憤激して国内混乱のもとを為すであろう」、「今度会戦が起りましたならばそこに一切の力を傾倒して一ぺんだけでもいいから勝とうじゃないか。勝ったところで手を打とう、勝った余勢を駆って媾和すれば条件は必ず幾らか軽く有利になる訳だと思ったのです」と回想している(佐藤元英・黒沢文貴編『GHQ歴史課陳述録 終戦史資料(上)』)。(後略)」

(引用終わり)

 

また古谷経衡氏「一撃講和論」について次のように論ずる。

「なぜ日本は戦争当事国のアメリカと直接和平工作をしなかったのか。答えは簡単で、当時の軍部(特に陸軍)は「一撃講和論」という勝手な構想を抱いていたからである。これは連戦連敗が続くアメリカと直接交渉するのは不可能であるが、本土決戦によってアメリカ軍に相当程度の打撃(一撃)を与えれば、アメリカは人的損害を恐れて「国体の変更」、つまり「天皇制の改変(天皇制の廃止)」という日本側にとっては受け入れがたい条件をいくばくかは緩和して交渉する余地が開ける、という考え方である。

 この「一撃講和論」の根拠は、中国大陸に展開する200万人近くの日本陸軍の存在である。1937年から本格的に開始された日中戦争(盧溝橋事件)で、日本は中国国民党や中国共産党などと交戦しつつも、1945年8月の時期にあっても北京(北支)、南京(国民党首都)、上海、福建、広州などの重要拠点をいまだに占領したままであった。米英からの援蒋ルート(ビルマ等)を通じた中国国民党や共産党への武器や物資支援があったにもかかわらず、日本陸軍は中国大陸においては、いまだ辛うじて拮抗を保っていたのである。つまり日本軍は太平洋では米英に敗北しているが、中国派遣軍(当時呼称:支那派遣軍)及び日本の傀儡国家である満州国を守る関東軍等はいまだに健在であり、よって日本の継戦能力はまだ十分に存在する―、というのが特に陸軍の主張だった。

 この陸軍の主張が、日本政府にも強く影響し、本土決戦で米軍に一泡吹かせる(一撃)論が盛んに唱えられ、政府も陸軍の徹底抗戦方針に引きずられる格好となった。しかしその実態は、誠にお粗末な現状であった。確かに中国派遣軍は原爆投下直前ですら200万の大軍を有していたが、徐々に増勢する国民党や共産党に対し防戦が手いっぱいで、アメリカ潜水艦や爆撃機による日本近海の海上封鎖により、中国派遣軍を日本本土に移動させることが出来ず、事実上大陸に張り付かせておかなければならないので本土決戦に於いてはこの転用が出来ない。

トラ注 ゼレンスキーにとっての大陸の200万支那派遣軍の存在はNATO軍のことだろう。しかし、NATOが直接戦闘に出てくるわけがないのだ)

(後略)」

(引用終わり)

 

まさにゼレンスキーが考えていることも同じであり、クルスク侵攻が「一撃講和論」なのである。

しかし、これは甘いというしかない。

ゼレンスキーにはもう直接戦う軍隊がないのだ。このクルスク侵攻に精鋭部隊を送ってしまえば後備部隊はほとんど存在しないだろう。後はNATO軍からの傭兵化した部隊のみだ。NATOの正規部隊はいくら何でも使えない。

そして、今は不意を突かれたロシア軍が劣勢のようだが、戦闘地はロシア領内である。ウクライナ軍の兵站はすぐに枯渇し、兵站線はロシア軍に閉じられてしまうだろう。そして、ロシア軍の本格攻勢が始まれば1万人程度部隊は簡単にせん滅されてしまう。ゼレンスキーの「一撃講和論」など成立しないのである。

しかし、ゼレンスキーは軍事に素人なのか狂人なのか、次のような夢想をしていると書かれている。

 

「ムーン・オブ・アラバマ」より。

「ハンガリーのヴィクトル・オルバーン首相との会談で、ゼレンスキーはロシアに対する勝利説を指摘した。オルバーンは次のように説明した。

戦争の結果について、ウクライナゼレンスキー大統領は、ロシア軍が来年半ばに総動員に頼らざるを得なくなり、それが国内の不安定化につながると確信している。彼は、ウクライナ軍は安定しており、準備ができており、西側の武器供給が続けば、長期的にも戦闘効果を維持できると考えている。彼は、時間はロシアの味方ではなく、ウクライナの味方だと考えている。

私は、ゼレンスキーの以下の勝利論はかなり空想的だと思う。

・ロシアには総動員が必要なのか?

・ロシアでの動員はロシアの不安定化につながる?

・プーチン大統領が倒れる?

・ウクライナ軍の状態は良いのか?

・ずっと長く戦闘を続けられるのか?

・ウクライナはロシアを待てるのか?

私オルバーンはこれらの質問の一つ一つに大声で「いいえ」と答る。

しかし、ゼレンスキーは、これらの主張の少なくとも一部を信じているかもしれない。」

(引用終わり)

 

これを読むと、ゼレンスキーはロシアにまだ打撃を与えることが可能だと思っているようだ。

この馬鹿げたゼレンスキーの「一撃講和論」によるクルスク侵攻の結果、死ななくてもいいウクライナ軍の兵士がゼレンスキーの為に無駄に死亡し、そして停戦も遠のくかもしれない。

何と言ってもゼレンスキーは愚かで疫病神でウクライナ国民にとっては悪魔・死神というしかないだろう。

 

愚かで疫病神で悪魔で死神のゼレンスキー!