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いつも思う。

権利を主張しすぎなんだよって。
演者のキモチ、スタッフのモチベーション。

洒落臭いよ。

そんなことより、ステージが全てだ。

フィルムに映ってるものが全てなんだ。


芸をするものは作品に出てるものが全て。


コンプライアンスなんかクソ食らえ。


非道と呼ばれても、ケツの穴が小さいと罵られても、オレは表に出るものだけに用がある。





そんな風にしてたら案の定、
誰もいなくなった。

人がいなくなったんだ。

トホホ。



そして、目をかけた者は去り、誇張された噂話に、
やりたいことは制限され苦しんだ。





それでも、歯を食いしばってこう吐き出す。

それでもオレは作品が全てだと。
そして今日も聞こえてくる。







それがやりたかったのか?
本当は何がしたいんだ?






 サム・ペキンパーは
やっぱり思った通りの男だった




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クズのようなエピソードの合間に
垣間見える根源的な人間の優しさがあった


「サム・ペキンパー 情熱と美学」

で描かれる無茶振りの数々



男のロマンと呼ばれればそれまでかもしれないが苦手な人も多かったろうに。

それでも彼はどうしようもなく愛されてた
そして、とにかく、彼の作品は面白かった
暴力描写の隙間に人間が透けて見える





初めてのペキンパー作品は大学一年のとき

名画座で観た「ガルシアの首」




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今も超絶好きな映画だ。


ジョン・ウー映画が大好きだった僕は
ウーのスローモーションアクションの元ネタ

ペキンパー作品を一気に見直そうと思った。






しかし、なんだろう?



この感傷を受け付けない乾いた空気
乾きまくった空気



ハードボイルド独特の悲哀。

濃厚な生き様にモラトリアム
真っ只中の僕はかぶれた。



こういう渇いた映画撮りてぇ!
一気に好きになった。




ご本人は否定するかもだが、
僕は北野武作品にも同じものを感じる。

初期ペキンパーの作品には共通項があって、出てくる女性が娼婦ばかりだ。


僕は芸人になるとき、わざわざソープランドに行った。

あれは間違いなく
ビートたけしのオールナイトニッポンと
サム・ペキンパーの映画の影響だ







どこかカラッとしてる
扱いができない男たちは
ひたすら女に甘えるだけ



男と女の距離感も
サム・ペキンパー映画のキーポイントだ




「わらの犬」という暴力映画では、一見真面目な男が妻を守るために、自分の暴力性を開花するマッチョなヒロイズムも感じるが、違和感のようなもの方が強い。



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 ダスティ・ホフマン演じる主人公は正義を押し付けすぎてどんどん凶暴になる。

真面目に狂う。
それを観て気づく、
これどんな人間にもあるんじゃないか、
これは!と。





むしろ夫に息苦しさを感じ田舎街の自由な男女関係に、妻が開放感を感じる方がどこか自然な感じがした。なんだろうこの居心地の悪さ。


妻の緩い貞操観念にどこか娼婦の姿を重ねてしまう。

娼婦の性質がどうってことでなく、それがペキンパーの女性観なのかなと思った。



歪んでるなぁって

でもどの女も柔らかく優しくて
あったかい。

そして全員ズルい




僕はそこに
どうしようもない
ペキンパーの孤独を見るのだ。



うーん
最高じゃない、これ!


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かっこええなこういうポスター。
エグい。
暑苦しい。
これこれ。
これが好きなんだ。




「砂漠の流れ者」はその集大成。


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大傑作だと思ってる。今も。
ここにはサム・ペキンパーの
性癖も暴力性も全て入ってる








このサム・ペキンパーのドキュメンタリーを観ると、結果的にペキンパーは干されるんですな。

でも、それはどこか本人も覚悟していたんではないか。
それはまるで「ワイルドバンチ
」のラストシーンのように。



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おそらくここで死ぬと分かっていても、どデカイ花火を打ち上げるために生きるのだ。


撮りたいものを撮る。美学だけでない。

評価されなきゃ意味がないと思う欲の深さがいい。
色っぽいのだ。



いいものを撮りたいなら、どんな風に思われようと、人として何かが欠けていてもかまわない。

オレらはそれを浪漫と呼ぶ。
かって立川談志は
天狗の芸は色っぽいと言った。
そこには天狗にしか出せねぇ
人のスケベな色気がムンムン香りたつ。


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浪漫が今日もオレに問いかける。

それがやりたいのか?
本当は何がしたいんだ?



死ぬとわかって
乗り込みてぇよ。

奴らを退治しに。