腐りきって悪臭漂う韓国の実態を日本にも情報共有する目的で作成しました。情報共有として文を訳します。日本にも似たような現象や徴候、または韓国について韓国人が知らなさそうな情報等があったら、教えてくださればありがたいです(目立つ誤・脱字の指摘はいつも歓迎です)。  

 

筆者:아수라(阿修羅)

原文作成日:2014年04月24日

訳者:흑표범(黒豹)

2次修正:박멸한다(撲滅する)

 

原文リンク:http://www.godemn.com/xe/asura_softcolumn/431442

 

E-mail : dkfflsek@gmail.com

 

あきれる朝鮮時代と親日烙印に対する真実 
 


 まず言っておくけど、何度も話した内容(サイト内で、訳)だが、私は親日派である事から言っておこう。勿論親日派だと言うと、売国奴だと言われてしまう。まるで、反逆者扱いする事が愛国の条件でもあるかのようにインターネットで、鈴を鳴らすとよだれを垂らすパブロフの犬のようにコメント欄に噛み付く忠実に訓練された阿呆達が数えきれない程多い。一つ言っておくが、自分は親日派であると堂々と話せる奴がどれ位いるか少し考えて見てほしい(韓国一般認識として筆者が親日派であることを強調している。日本の文化にはあまり詳しくないと思われる、2次修正)。 

 大多数の場合、自分が親日派であるという烙印を自ら明かすのは、珍しいと言っても過言ではない。大多数が想像している親日派とは、「自分が親日派だなんて事実をひたすら隠して、親日派の先祖が築いた富を基盤に今の権力を握っている」こと。こんなケースを想像しながら悪口をいうのが一般的な現実ではないか?しかし残念ながら、私の祖先は親日派でもなく、先祖から受け継いだものは何もなく、現在の地位もそういった権力とは縁がない。そんな多くの人が憎悪する一般的なイメージの親日派とはかけ離れている事を明らかにして置きたい。但し、私の所信と信念が親日であり「反中親日」が目的なだけで、日帝時代に戻ろうとか独島は日本の領土だなんて間抜けな事をいうつもりはない(独島の問題は別に話したくもないし今の段階で揉め事を起こす必要もないと判断している、2次修正)。 

 他の場合、通常自分はただ信念を語っただけなのに、親日の烙印を被せられるケースの代表的なのが下記の通りである。 

「日帝時代は良くない時代ではあったが、経済が発展したので肯定的である」 

 ところが私は、あれにも同意しない。経済に基づいて正当性と妥当性を判断するのは、(金銭的)利益のみを追求する賎民資本主義として見る為、同意しないという事も明らかにしておきたい。故に、私が主張する親日観は、下記のような観点から見る方がある程度の説明が可能だ。

 

                                                                                              

大多数一般人が持つ歴史に関する視点 
1. 朝鮮時代を韓国の正統な歴史と把握。 
2. 日本人が攻めて来て朝鮮時代の歴史を断絶させた。 
3. それ以降は韓国が建国されたが、親日残滓が残っている。 

私の視点 
1. 朝鮮時代そのものを韓国の歴史から排除すべきである、「中国の植民地時代」と規定。 
2. 日帝強制占領期間を機に中国の圧制から解放された。 
3. それ以降韓国が建国。

 


 つまり日帝時代を良く見る理由は、朝鮮時代よりましだった点にあり、今さら日帝時代に戻ろうという事とは距離があることを知ってほしい。 

 勿論、朝鮮時代と比較して日帝時代が優れているという観点は、実際に私の主張の他にもかなり見られる事である。このような観点を植民歴史学と呼ぶようだ。しかし私は植民歴史学とはまた別に、朝鮮時代が単に貧しさが問題だった時代ではなく、日帝時代が韓国の歴史ではないのと同じように、朝鮮時代も韓国の歴史の中で脱落させなければならない時代と見ている観点から、既存の観点と差が大きいという事なのだ。これを裏付ける例が、通常の親日的な植民歴史観なども朝鮮時代が韓国の歴史である事を否定はしないということがある。つまり、親日的な植民史観だとしても「朝鮮時代は韓国の歴史である」ということを否定しないことなのだ。ゆえに親日植民歴史観といっても朝鮮時代も韓国の歴史であり、日帝時代は韓国の歴史を奪われた時代ではあるが、日帝時代が経済的に成長したから日帝時代の方が優れている」 という非常に俗物的な観点であるが、私は全くそれとは違う観点である。

 私が見る朝鮮時代は、日帝時代が韓国の歴史を奪った時代だということ以上に朝鮮時代も中国に歴史を奪われた時代であり、韓国の歴史の中で除くべき時代だと見ていてこの理由を順を追って説明しよう。 


1.非常に疑わしい李成桂(イ・ソンゲ)の正体 

 今のところ私だけでなく朝鮮時代を韓国の歴史から排除しようとする声が少数であるが存在する。これらは李成桂(イ・ソンゲ)が当初から華僑であるという事で、論拠を引く態度に見られる。これに該当する代表的な団体は、「韓民族の真の歴史」というところが最も広く知られている。この「韓民族の真の歴史」という団体の主張の内容は、李成桂が当初から華僑であり、その華僑のアイデンティティーを持った李成桂が反乱を起こし高麗を滅ぼさせ、朝鮮という華僑王朝が生まれたという流れを見せていると簡単に要約出来る。そして、下記にそこが信奉する主な資料をみてみよう。

 

 

    

 

 <自分を宋の華僑であると明かす李成桂(イ•ソンゲ=朝鮮の建国者)> 

赤い線:威化島反逆を成功させた直後、明の皇帝太祖(朱元璋)に送った密書の内容である。

 

「所長は本来宋の全州出身の華僑として...」これに対して返事は、「お前の功を高く評価しお前を箕子朝鮮(キジャ)の王に任命するから、お前が王になり朝鮮を治める準備をしろ...」

 

 

 <崔瑩(チェ•ヨン)将軍に懇願して出兵できた李成桂> 

赤い線:朝鮮王朝の李成桂(イ•ソンゲ)の威化島帰軍の真実 
 

当時の国際的な状況は高麗に有利で、高麗は無敗の軍隊だった。

 

計画通り中原征伐が成功していれば明の滅亡を待つだけだった。

 

明の皇帝太祖(朱元璋)は、当時まともな防御が不可能だったというのが軍事専門家達の戦略的評価である。

 

当日の夜息子達を連れて崔瑩(チェ•ヨン)将軍の家を訪ね、庭で全員頭を伏せて「明を征伐出来なければみんな自決する。」と言い、総隊長に任命を泣きながら懇願した。 


しかし、李成桂(イ•ソンゲ)は、本軍が威化島付近に近づくと急に停止させ、2週間を飲んで食べて時間を潰し、梅雨が来たら帰軍し高麗を潰す作戦だった。

 

 

 <王族20万人を抹殺し、反乱で高麗の脈を絶った李成桂(イ•ソンゲ)> 

赤い線:禑王と実権者の崔瑩(チェ•ヨン)将軍を「中国を征伐しようとした罪」で島流しに。

 

 「中 辛吨(お坊さん)の子孫だ。」と謀略。その後、恭譲王を王立させた後、精神異常者にして退位させ、1392年に明の命名で李氏朝鮮王朝を建てる。

 

明から多大的な粛清を実施するよう命令を受け全国的に高麗の臣下と王族を殺害する。

 

開成の王族を集めるとその人数は3万人に至った。島流しにすると言い、船を1600隻作らせ、一気に乗せて夕方になると、船に穴を開け水没させ水死させる手法を使った。

 

   
 見れば分かるが、この内容を全く知らない人にとってはショッキングだが、軽視出来ない内容である。故に重要な問題を簡単に整理する。 
 

    

1.当時は高麗がその気になれば、明を征伐出来た時代 。 
2. 高麗による明の征伐始動で、明が危機に陥ると李成桂が崔瑩(チェ•ヨン)将軍に懇願して隊長の任命を受ける。 
3.李成桂は、意図的に軍の士気を落としておいて帰軍をする 
4.威化島回軍後、李成桂(イ•ソンゲ)は明の高麗の良民20万人を虐殺した朝鮮時代の開国 
5.ところが明の滅亡後、清の皇帝が古書を検索してみたところ、李成桂が自ら宋の華僑だと明かす内容を発見。


 つまり高麗は、中国スパイ李成桂(イ•ソンゲ)の工作により王族が大挙虐殺されて滅亡し、朝鮮のようなクズ王朝が生まれたという内容に圧縮出来る。これが確かな真実であれば問題は大きい。我々がこれまで学んできた「誇らしい朝鮮の歴史」という引用句は、馬鹿らしい話で瞬時に宙に浮いてしまう内容ではないか? 

 しかし、私は上記の資料と「韓民族真の歴史」の主張についてある程度の可能性は開いて置くが、全面的に信頼する事もなく論調にある程度の問題があると見ている立場を明らかにしたい。また上で言ったように、私は朝鮮時代が中国を継承したゴミ傀儡王朝という事には同意するが、これを単純に李成桂(イ•ソンゲ)の華僑の血統が開国したと見るのは、貧弱だと見ているのがその理由である。正直な話親は保守派の政治家を支持しがちだが、子は親と異なり進歩派を支持する場合が度々ある。500年もかかった中国の傀儡王朝的な特性の李成桂(イ•ソンゲ)を血筋と定義する事は説得力が弱いのではないか? 

 しかも、それだけが問題ではない。「韓民族真の歴史」というところが信奉する史料が全てを覆すほど信憑性が高いと評価するのは難しい。唯韓国の歴史は、世界でナンバーワンの詐欺国家の中国のやつらと引っ付いて捏造され歪曲された事が原因である為、あの主張にも可能性は開いておくが、それを元に朝鮮時代全体の特性を規定するのは、時期尚早というのが私の判断である。 

 それでは朝鮮王朝は、従来の一般的な歴史視点から見て問題のない王朝なのか?それも当然違うという事を知る必要がある。朝鮮は、開国から問題がある点が正統的な資料を通じても明らかになっているので、わざわざ議論の余地がある資料を基に飛躍交じりの判断をする必要がないというのが私の観点である。その議論のある李成桂(イ•ソンゲ)の血筋は論外にしても朝鮮王朝は、明らかに檀君(だんぐん)を継承する古朝鮮の命脈を引き継ぐ国ではなく、当時中国人とされた箕子という奴が作った箕子朝鮮を継承しようと明皇帝の許諾をもらい、「朝鮮」という国号を使う事から朝鮮時代の正統性は当然損なわれるしかないと見て当然である。

 

 

<檀君(だんぐん)朝鮮ではない箕子朝鮮(きざちょそん)を継承した朝鮮>

 

赤い線:朝鮮建国の真実と歴史的意義は? 
ここで言う古朝鮮は、我民族最初の国家である檀君(だんぐん)朝鮮よりは、 
中国から来た箕子により建てた箕子朝鮮を継承する意味が強く... 
当時の朝鮮は、国名も決められなかったと。ファリョン(李成桂(イ•ソンゲ)の故郷)と朝鮮を選択してくれた....

 

 

 だから、朝鮮は最初から中国人の偽物の血統を元に生まれた王朝であるから、500年に渡って中国を親として仕えていたものであり、親が中国人なら子も中国人だという事なのだ。しかし、これには何が問題なのかが理解出来なければ、日本を親として仕える狂人がいると仮定しょう。これを言った瞬間、売国奴のレッテルが張られるだろう。ところが朝鮮時代は、当初から中国を親と仕え、自分を「小さな中国」だと「小中華思想」を慕ったボンクラな奴らだ。何故この畜生「小中華思想」は、売国奴で評価されていないか?韓国の小さな日本だと主張する売国奴は瞬時に気違い者扱いするのに、韓国を小さな中国で扱うと民族主義者になる。こんなバカな矛盾が他にあるだろうか? 

 故にこの朝鮮王朝は、最初から親を摩り替え、民族の正体性を変えた売国奴のアップグレード版だと見ても過言ではない時代だ。では朝鮮王朝が、始めから中国を継承した問題の王朝であれば李成桂(イ•ソンゲ)の血筋から疑う視点に重心をおくのが、当然で合理的な態度ではないか? 


2.朝鮮の中国化の先頭に立った売国奴は士林派(サリンパ) 

 朝鮮王朝の500年間という売国奴の傀儡王朝が成立し維持された根本的な原因を「韓民族真の歴史」とは違って、単純に李成桂(イ・ソンゲ)とその子孫を元凶にして考えていない。私は、朝鮮の中国化に最も貢献した「士林派¬=サリンパ」を一等功臣と挙げる。朝鮮の王の中には、中国の事大主義もいれば、光海君(キァンへクン)や燕山君(ヨンサンクン)のような民族主義的な性格が強い王もいた。それなら朝鮮の中国の継承と中国化の原因を単純に、朝鮮王朝の血筋だけで見つける事は、安易な視点ではないか?同様に李成桂(イ•ソンゲ)が箕子朝鮮を継承し、第一歩を朝鮮の中国化という方向設定にしたものの、高麗も500年維持された王朝であったのに、李成桂(イ•ソンゲ)一人が王の役割をするからと言って一瞬で変わるはずはない。 

 更に朝鮮の中国化は、15世紀より16世紀に本格的に進められたと見るのが当然である。また、事大主義的な王もそうでない突然変異な王もいて、王の特色により多少群集形を形成していたのに比べて、朝鮮は最初から最後まで事大主義的な特性を骨の髄まで持っているのがあの士林派(サリンパ)なのである。 

 しかし問題は、韓国は武力で外部からの抑圧で国を崩壊させて侵食させるパラダイムのみに慣れていて、士林派が非常に狡猾で緻密な方法で韓国を中国化させる事を見落としているのが問題だ。 

 例えば、スタークラフトのプロトスでザーグを占領するには、一つの兵力で兵力の組み合わせよりよくしてザーグ部隊を倒し、ザーグが占めた本陣を占めるのが最も代表的な方法だと言える。しかし、少し視点を変えてみたらどう?スタークラフトのプレーが1〜2時間ではなく、初めから100年、500年の期間にプレーするなら、プロトスにダークアルコンだけたくさん作ってマナが一杯になる度にザーグユニットを一つずつ選び、マインドコントロールで自分の部隊兵士力に占有する方式も十分考える。価値はあるのではないか?そして朝鮮時代は、プロトスの組み合わせた一つの兵力によって一瞬で崩れたのではなく、士林派(サリンパ)と呼ばれるダークアルコンがマナ一杯になる度に、一つずつマインドコントロールされ要職を占めていき徐々に朝鮮は中国化に導かれるようになったという事なのだ。 

 これは、結局ゲームを借りて理解を深める為の説明だったので、現実的にどうやってマインドコントロールされ徐々に掌握されたかの説明の従順が残るが、ゲームでのみ可能なマインドコントロールは実際には非常に簡単である。教育を制圧してしまえば、ゲーム上のマインドコントロールと同じ機能が実写版になる。故に、朝鮮時代の士林派という売国奴らが最初から強かった訳でなく、徐々に勢力を広げていき朝鮮を中国化したルートを説明すると以下の通りである。

  

        

1.士林派は、マスコミの職に進出。言論に進出すれば事実ではない事で民心を詐称出来るようになる。代表的には、今の韓国が臓器摘出の問題にどんなうわさが立っても、メディアが怪談で片付ける世論形成が可能なのと似ていると見ればいい。士林派は、言論に執拗に進出して、自分達の意図を民心に詐称出来るようになる。 

 

2.言論に進出した士林派は、教育を養成して中国化し狂った精神を持った奴らでなければ科挙の境界を越えられない制度を構築する事になる

 


 このようなルートにより中国化された士林派が言論の進出を通じて、王権と他の臣下達を牽制出来るようになり、教育を通じてまた後進国の阿呆を生産した。これを土台に科挙制度が形成される。また中国化された奴らを選別する科挙制度によって選ばれた奴らは、歴史を記録する為に朝鮮時代が正常に回らないのは火を見るより確かである。 

 

 

 

 <史官職と言論職に進出した中華思想の士林派> 

赤い線:成宗の時、金宗直(キムジョンジック)を中心に新しい政治勢力に登場した士林派は、史官院・史憲部・弘文官(3司)の言論職及び史官職を占め・・・

 

 

 <教育を掌握し始めた士林派の産物の書院> 

赤い線: 退溪 李滉(イ・ファン)(陶山書院=トサンウォン)

 


 ところが問題は、これに似たような現象が韓国でも現れたという点だが、東亜日報・中央日報・朝鮮日報などは、各名門大学の学科と密接な関係なのはみんな知っている内容ではないか? 

 

 

 

  <東亜日報は高麗大学・中央日報は成均館大学・朝鮮日報は延世大学> 


赤い線;東亜日報は高麗大学に財団を置いている。

中央日報は成均館大学に財団を置いている。

朝鮮日報は、延世大学に財団を置いている

 


 大学が言論と密接なのも朝鮮時代に士林派が、言論職に進出し書院を乱立したのと似ていると思えば無理はない。そして現在の大学は、「グローバル指数」と呼ばれる「言論」が序列化する基準に基づいて序列化され、その序列に基づいて国際化すると言い、中国人留学生をたくさん受け入れているのが現在である。これはまるで過去の士林派が言論職に進出し書院設立し、ラインを形成する格好と同じではないか?とにかくこの問題は、今後もっと詳細に調べる事にしよう。朝鮮時代には李成桂(イ•ソンゲ)が最初のボタンを箕子朝鮮という中国を継承した国家としての方向を設定した後、士林派と呼ばれるオリジナル中国人の狂った言論と教育を掌握し、中国化を導いたと見れば簡単に理解出来るだろう。まるでディストリクト9でいうと主人公が黒い燃料を初めて受けたのが、李成桂(イ•ソンゲ)の箕子朝鮮建国に該当するとすれば、自らの遺伝子がフロン化され異星人になる過程を士林派が導き促進したと見るのは無理のない解釈である。 


3.明の滅亡後、完全中国化された朝鮮 

 前で触れたように李成桂が箕子朝鮮を継承した朝鮮の設立に加え、士林派が徐々に侵食して朝鮮の中国化を導いたならば、朝鮮が完全に中国化された時期を指すと明の滅亡後でみるのが妥当である。当初こういう事が可能なのは、教育を士林派に掌握されたのだからでた結果である。特に14代目の王の先祖と呼ばれるクソタレが洗脳を忠実に受け、中国化された士林派で政界を埋め尽くして出てきた現象なのだ。それでも先祖王(ソンジョ)以前には、中国化された士林派と伝統を守ろうとする勳舊派(フングパ)との対立があったなら、先祖王(ソンジョ)からは全く士林派だけが残り、王道の士林派に教育を受けた奴らが継承して、結果的に朝鮮の朝廷は中華化された群れで一杯であった。そして先祖王(ソンジョ)以来明が滅亡すると、朝鮮は明を継承してしまう事になる。故にこのような過程を映画ディストリクト9を使い主人公が異星人に変わる過程を例えると次の通りでろある。 

 

 

 

 

 <最初に黒の燃料を顔にかけられた主人公。李成桂(イ•ソンゲ)の箕子朝鮮の継承がこれに該当>

 

 

 <手と目が異星人のように変わった主人公。士林派が中国化したのがこれに該当>

 

 

 <異星人になってしまった主人公。明の滅亡後の朝鮮は、これに該当>

  


 故に朝鮮に劣らなない高麗も500年ほど続いた王朝だったので、古い歴史を持つ高麗王朝が一瞬に中国化されるのはあり得ない。朝鮮時代は250年間に徐々に侵食され、ディストリクト9の主人公が黒の燃料を顔にかけられるのがこれに当てはまる。最後には、完全に異星人化したように明の滅亡後には明を継承する中国画を完成させたのが、朝鮮王朝の実態なのだ。だからこそ朝鮮は明の滅亡後には「崇禎=スンジョン」という年号を使用したところ、この崇禎はまさに明の最後の王の名前が崇禎だったのである。明が滅亡した後も唯一明を継承し標榜しながら、明の最後の王を称える阿呆みたいな年号を数百年にも渡って使ったのが狂ったボンクラの朝鮮だった。

 

 

 

 <朝鮮は明の崇禎と年号を数百年間使用> 



赤い線:韓国で特殊に使用した年号で明の毅宗の年号である「崇禎」だった。小中華思想が発達した朝鮮後期は内部的に使用…(中略)・・・「崇禎」年号を数百年間使用。

  

 

 <崇禎帝> 

 赤い線:中国明の16代最後の豪帝として…(後略)

                                     


 ところが何故、こんな事実を現代は隠して明確にしないか?理由は簡単だ。韓国が日帝の清算は叫ぶのに、中帝清算は全く言わないのは中帝の残滓が残っている為である。日帝清算はたくさん聞くが、500年間速迫された中帝の残滓の清算は聞いた事がなく深刻にも残滓という表現の対象にすらなっていない。唯、官職に進出した士林派の中華ゴキブリが歴史を捏造したものを正常な歴史のように学んでいる現実があるだけだ。代表的な抗日運動として学習する衛正斥邪運動、これも中国を尊重し倭敵を退けるという発作の一環だが、その尊重している中国は知っている「清」ではなく、日帝時代よりもはるか前に滅びた明である事も必ず知っておくべき事である。しかし、あの狂った行為を見習うべき抗日運動だといい操られているのが現状ではないか?

 

 

 

 

 <衛正斥邪> 


赤い線:衛正斥邪は、中国を尊重し倭敵を退けるという「尊華攘夷」

 

朝鮮は小中華で中国の儒教文化の伝統を継いでいる。

 

更に「満州族に占領され小中華の朝鮮のみが中華の文明を継いでいる。」と見ている。

 



 このように阿呆らしい教育が続くのも結局は、中国を継承した朝鮮時代の500年が中帝の残滓が清算されないから起こる事である。清算すべき立場の奴らが正体を徹底的に隠したまま、日帝の清算ばかりを叫ぶ結果だと知れば、ある程度の脈略は掴めると私は考えている。