4.清と朝鮮のあきれる歴史のチェンジ  

 よく中国の代表的な歴史は清だと誤解している人が多い。故に中国料理の既存の名称が最近まで清料理(チョンヨリ)と呼ばれてなかったか?この清料理(チョンヨリ)は、一般大衆も中国の歴史と信じて疑わないのが現代の常識といえるだろう。

 ところで清は、中国の歴史ではない。むしろ、朝鮮が売国奴士林派により中国化された裏切りの歴史で、清が韓国の歴史に近い。清が名前を変える前の国名は何だったのか?正に「金」であった。しかし金は、何故金の国なのか?金が多いから?笑えない話だ。金自体が、韓国人に最も多い「金氏姓」の先祖だから金になったのが理由である。新羅時代に金氏が満州に移動して金の国の始祖になったので、「金の国」の国号が誕生した訳である。それにもかかわらず、金の国を中国の歴史だというのは無知過ぎるのではないか? 

 勿論、中国が清を自分達のものと主張するから事実だという態度は、高句麗も中国の歴史として認めるのと変わらないバカな事である。中国は高句麗を自分達の地方政権だと主張するが、高句麗は中国の歴史なのか?この質問にはボンクラ歴史教育を受けたバカな人達も鼻で笑う話なのだ。しかし中国は、清の歴史を中国の物と主張しているのに対して、現代の韓国はそのまま認めている。何故、これに問題点を感じないのか?

 

 

                                                        

<閉鎖的な半島史観では東北工程を防げない> 

 


赤い線:金・清歴史を韓国に編入と主張 


- 金の始祖が新羅人~ 


-事実1911年辛亥革命の時に掛け声が「滅満興漢」で(満州族の清をつぶし漢族の政権を立てよう)だった。 


-元がどうして中国の歴史なのか? 


遼・金・元・清を全て中国史に認めると、高句麗を中国史に編入しようとするのも認めなければならなくなる。

               

 

      


 その為、中国の侵略で知られる「丙子胡乱」も実は、漫画みたいなストーリーと見れば簡単である。朝鮮は中国化され韓国の歴史と近い清を中国と扱う為、丙子胡乱を「中国の侵略」の代名詞と勘違いしている事である。しかし内幕は、中国化により魂が抜かれ朝鮮と同族意識があった清が助け出す為に、一喝して起こしたのが丙子胡乱ではないか?結局、丙子胡乱は中国の朝鮮侵略ではなく、中国化されて意識を失いかけた朝鮮を呼び起こす為、同族に打ったムチの事件とみるのが正しい。そしてこの事実は、以下の資料を通して確認出来る。

  

 

 <阿呆朝鮮を叱る清> 

 


赤い線:清の太宗が仁祖に送った手紙 


私は既にお前らを弟として接したのに、お前は日が経つにつれ裏切り民を混乱に陥れ・・・
 

私が大軍を引きお前らの8道を掃討するが、お前らが親のように慕っている明がお前らをどう助けるかみるつもりだ。明は子供が危機に迫られているのに、親の立場上助けない訳には行かぬだろう。

 


  だから、阿呆の朝鮮を愛のムチで正そうとしても、既に中国化され改善の兆しが見られなかった為に清が行った行動は何だったか?正に阿呆王の代表である昭顕世子(ソヒョンセザ)を連れてきて精神改革の勉強をさせ、将来の王に推薦して朝鮮を正す後続措置であった。ところが、結果はどうだったのか?昭顕世子が一生懸命清で勉強をしてお金までたくさんもらい、故郷の朝鮮に帰ってくると冷遇された挙句の果て不審死に至ったのが朝鮮の醜い姿であった。

  

 

 

 <民を幸せにしようとした昭顕世子は、朝鮮によって毒殺処理された。> 

 


赤い線:9年間瀋陽にいながら単純な人質ではなく「外交官」の役割をした。


更に彼は外交の力を発揮するだけでなく、西洋の文化を受け入れカトリックの神父アダムシャルと親交を結んでいた。特に西洋の天文学・数学等に接し先進文化を体験した。ところが、この学習が彼の命取りとなった。

 

昭顕世子は、清で学んだ西洋文化を仁祖に紹介し、「民が幸せになる国を造る」と構想を提示した。

 

しかし、帰国2か月で不審な死を迎える。彼の体は、黒く変色していく毒殺の是非があった。

 

  
 故に、清の丙子胡乱を中国の侵略と定義する事から、韓国の歴史観に深刻な問題がある事を示す代表的で端的な例である。朝鮮時代には徐々に中国化が進み魂を抜かれ、明の滅亡時に中国化が完成されたと言っても過言ではない。そして清の歴史は間違った歴史教育の為に中国の歴史のように扱われているが、中国の歴史ではない。一言でいうとドラゴンボールに出てくるギニューの必殺技チェンジが朝鮮と清を置き換えても全く言い過ぎではない比喩である。 
 

 

                                                              

 <体を技で置き換えるギニュー>

 

 

 

 <ギニューと体が入れ変わった孫悟空。ギニューはギニューではなく、孫悟空も孫悟空ではない>

 

 


 では何故、事実が正確に言及されないのか?その原因は簡単である。中国の残滓が清算されず、それが歴史だと学んでいて事実を歪曲され、真面な朝鮮を清が攻めて来たのが「丙子胡乱」だと教えられ、オウムのように繰り返し暗記しているのが現在進行形である。 


5.朝鮮時代の最大の阿呆振る舞い壬辰の乱(=1592年朝鮮出兵) 

 故に朝鮮時代は、単に無能力で民が疲弊し国力が弱かったと見るのは、視野の狭い産物に過ぎない。その理由は、最初から正統性を自民族ではなく他民族を対象に選んで、中和オンリという精神病に陥ったが為に出てくる現象とみるのは当然だ。自民族を野蛮人扱いし、中国化された狂気の畜生だけが科挙に合格して、事大主義的な政治を行い、明に少しでも不利な事をする光海君(グァンへグン)や燕山君(ヨンサングン)のような愛国者を売国奴扱いし、あらゆる虚偽で扇動し追いだしてばかりいる国が真面になるわけがない。 

 そして、壬辰の乱(朝鮮出兵)が何故起こった事なのかを考察する必要がある。日本の「明も征伐のための道を開けてくれ」という要求が話にならない事だと釘を打って置いて、無理な要求だったと言い訳をしている。それは、朝鮮が明を親と慕う事に問題ないという見方が強かったから出た発作症状である。当初、阿呆朝鮮の問題点を叱咤してもたらないところ、事大主義は妥当で正常な行為だと決めつけている状態で日本の要求を正常に認定するはずはないだろう? 

 また、壬辰の乱(朝鮮出兵)が起きたのも事実で、朝鮮が真面な国であれば、起こる事もなかったが、これも日本の要求に到底納得出来ず、力もない癖に親の明を守ると出しゃばってぶっ壊れたバカな歴史が壬辰の乱の実体なのだ。 

 このように王と政治家は他国を親と考え継承し、農民達を教化されていない野獣扱いして犠牲にした朝鮮のふざけた形態であった。更に国防の義務を農民が担いでいたから真面な戦闘が出来る訳ないだろう?だから、日本軍が漢陽(ハンヤン現在のソウル)を占領したのは決して偶然の結果ではない。こんな阿呆の王朝を繋いでいた為に、倭(ウェ=日本)が侵入したらかえって民は倭(ウェ=日本) を助けたり、王が逃げると宮廷を燃やすような情けない状況だったから、20日ぶりに漢陽(ハンヤン現在のソウル)を占領する結果が起こったのである。 
故に倭寇がちょうど20日ぶりに陽を占領したのではなく、国が粉々になった為に、風が吹いたら軽く飛ばされたと見れば問題はないという話である。 

 

 

                                                   

   

 <20日目に漢陽を占領した倭寇>

 

4月14日 釜山 ↓

4月15日 東莱 ↓ 
4月25日 尚州 ↓  
4月28日 忠州 ↓ 
 5月2日 漢川防御陣

 

 

 

 

 

 <壬辰の乱(朝鮮出兵)の時に、景福宮を燃やしたのは倭ではなく朝鮮の民> 

赤い線:景福宮・昌徳宮・昌慶宮を燃やしたのは、倭ではなく、怒った朝鮮の民だった。

 

 


 これだけ見ても阿呆の極致と言える朝鮮時代なのに、笑わせるのは朝鮮を親や兄弟に思う清が助けてくれると手紙を送ってきたが、「野蛮国の助けは要らない。」と無視をした為、阿呆朝鮮の境地を成す事になる。 

 

 

 

 

 <親の国である朝鮮を助けると、自ら出兵の意思を示した清>

 


赤い線:壬辰の乱(朝鮮出兵)当時宣祖は、清の元祖のヌルハチ(後金の建国者)が親の国である朝鮮を助けると精鋭部隊5万を送ると申し出ても聞かず、ひたすら明を待った。
 

 


 そんな中、李舜臣(イスンシン)将軍が一人で孤軍奮闘していたら、後から朝鮮を助けるという名目で明が来るが、明は倭よりも略奪が酷かった。 

 

 

 

 

 <明は、助けを言い訳に朝鮮を限りなく収奪する> 


赤い線;朝鮮朝廷が、明軍に軍量を調達していた為に、数えきれない民が飢えて死んだと言う・・・

 


 これに対して、朝鮮はどう対応したか?天下の阿呆朝鮮は、派兵した明の皇帝を大事に敬い「マンドンミョ」というクズ遺跡を作った。そして明と朝鮮が滅亡した後まで、そのマンドンミョを「明皇帝がいる所だから這い上がって行かなければならない」といい恥じる行為をしたのが、壬辰の乱と朝鮮時代にまつわる真実である。 

 

 

 

 

 <マンドンミョにまつわる事情> 


赤い線:マンドンミョは、壬辰の乱(朝鮮出兵)当時援軍を送ってくれた明の神宗と最後の皇帝である義宗の神位を祭る祭事を行なった祠堂である。

 

 

 <朝鮮が滅亡した後もマンドンミョに這い上がる阿呆朝鮮> 

赤い線:明の支配階級の儒林という奴らは、農民から祭事の費用を略奪しながら明の神宗と最後の皇帝義宗の祭事を行なった。


しかし、笑わせるのは韓日併合の後もマンドンミョに這い上がったそうです。


 

なら、そんなにも恥じらう壬辰の乱(朝鮮出兵)を今の教科書はどのように語っているのか?

 

 

1.壬辰の乱(朝鮮出兵)は、日本の無理な要求。 
2.農民と官の合作で熱心に闘争。 
3.明が助けてくれた為に最終的に壬辰の乱を克服。

                             


 しかし、中帝の残滓が残って歴史が歪曲されたもので、私が見た壬辰の乱(朝鮮出兵)は、次の通りである。 

 

 

 

1.そもそも明を親として考えた力もない朝鮮が、明を打とうとした日本との不必要な戦いをする。 
2.国自体が阿呆国家だった為、民が倭を助ける現象が起る。だからこそ、倭は破竹の勢いで朝鮮を占領。 
3.壬辰の乱(朝鮮出兵)が発生後、明は随分経ってから派兵して助ける。 
4.ところが、助けに来たはずの明の兵士は略奪ばかりする。 
5.朝鮮は、助けてくれた明を恩人としマンドンミョを立てる。 
6.このマンドンミョは、明の皇帝がいるところだからと言い歩いて上がれないから這って上がる醜態を見せてくれる。
7.この阿呆祭事は、明が滅亡した後何百年もの間継続する。 
8. この阿呆祭事は、朝鮮が滅亡した後日帝時代にまで継続する。 
9. この阿呆祭事は、日帝が防いだ時にやっと終わる。

  

 


 おそらく、この壬辰の乱(朝鮮出兵)に関わる阿呆の数を推定すると天文学的な数値になるだろう。この情けない歴史は世界のどこにもなく、あえて言うと壬辰の乱(朝鮮出兵)の醜態は、宇宙最強であり獣と人間界を統合した生物系の中でも最強だと確信する。 

 

 


6.世宗大王の訓民正音の実体 

 内幕をみると、この最悪の阿呆の傀儡王朝は朝鮮時代と見られているが、問題はこの歴史の教育を「親中派」が占領している為に、真実を学ぶよりあらゆる捏造と徹底的に美化された朝鮮時代の教育を受け、この歴史を継承しなければならないと考えるから問題が出てくる。 

 そして、この朝鮮時代を悪評する者に対し、シールドする代表的な対象が正に「世宗大王」である。朝鮮時代が傀儡王朝の時代なら、世宗大王のようなハングルを創造した人物がいるのはどうしてなのかと冒頭を飾ってシールドする。 

 ところが、私は世宗(セゾン)という者も疑問を抱いている。ハングルも本当に世宗(セゾン)が創ったのは確かなのか? 

 最初にこの疑問を抱いたきっかけは、訓民正音(フンミンジョンウン)が何故、韓国語にはない中国語の発音を記号化したのか?世宗が作ったのは「言葉」ではなく「言葉」を表現する「記号」だからだ。では従来の本格的な歴史観によると、韓国語はあったが文字だけがなかったから民を思い世宗が文字を作ったというのが主張の骨筋である。何故、世宗は韓国語にはない記号を創ったのか? 

 

 

 

 

 <訓民正音で、韓国語にない記号の説明>

 


 そしてもう一つ考慮すべき点は、文字を作ったなら訓民正音ではなく訓民正字でなければならないが、突如の訓民正音である。実は当初世宗が創ったのは、「文字」ではなく何らか他のものである可能性もあるのではないか? 

 これを裏付けるのは、訓民正音が頒布された時期が1446年10月9日なのに、訓民正音の科挙を1447年4月に受けたと伝えられた。頒布時期と過去の施行日が早くても異常に速い。 

 

 

 

 <訓民正音頒布は、1446年10月。過去の試験では、1447年4月> 


赤い線:世宗(セゾン)は訓民正音を科挙にずっと活用する。訓民正音の試験に合格した者のみに他の試験を受けさせた。

 


 故にこれに基づいて推論すれば、新たな「文字」を習得するなら、訓民正音の頒布が完結ではこのような要素が必要だから問題だ。

 

 

1.文字を教える教師に対しての教育 
2.こういう先生が弟子に教える。 
3.これを通しての拡散 

                      


 しかし、訓民正音を頒布したらその訓民正音を教える先生をいつ養成し、また弟子達をいつの間に育成したのか?頒布して6ヶ月目に科挙が出来るのか?下記の文字を見せておいたら、自ら悟り覚えられる奴が何人いるだろうか? 

 

 

 

                                                          

 <アラビア語で主の祈り>

            

 


 だから私の推論は、訓民正音が全くなかった文字を創造したというより、既にあった文字を元に「中国語」の表記をする為に、発音記号として創られたとみている。 

 訓民正音を「中国語」の表記と見るのは簡単なのに、同じ漢字を別の発音で発音すると、この差を示す第2媒介文字がないと不可能なのが最大の理由だ。代表的な中国の映画俳優の名前で成龍を中国では「チョンルン」と読んで、韓国では「ソンリョン」と読む。ところが、この発音の違いはなく両方とも「成龙」と表記してしまうと、発音上の違いだけで維持されるしかない。その為当初から訓民正音は、漢字を中国の発音で発音させる為の古典の文字を借りて作成された発音記号で、文字創造ではないというのが私の意見である。それでは、訓民正音が訓民正字でなく、訓民正音なのもある程度は理解出来る内容ではないか? 

 更にこれを裏付ける最大の根拠は、同様の操作が明でもあった事が裏付けられる。世宗(セジョン)が王であった当時の明は、各地方で異なる発音を統一するといって「洪武正雲」を編纂したのを想起する必要がある。この後朝鮮にも訓民正音が編纂され、訓民正音は洪武正雲を参考にして出版した書籍がある。当初から訓民正音も民の為の文字創造ではなく、明の洪武正雲の延長線で正しい中国語の発音をする為に、創られた発音記号とみるのは当然ではないか?

 

 

  <明の時代に編纂された洪武正韻> 


赤い線:北京の音韻を標準にして修正し決めた。

 

この本は訓民正音と東国正韻を創るときに参考にした資料になった。

 


 こう言う訳で、世宗王朝時に訓民正音が急に出てきた訳ではない。明の洪武正韻以後、朝鮮では四聲通攷・訓民正音・東国正韻が次々と出てくるようになるが、四聲通攷は中国特有の「声調」の為に作られたが、今では伝達されていないと伝えられている。しかし声調は、同音二語だらけの中国語に必要な特性で見れば妥当である。漢字は「か」だけでも家・価・可・加・假・同音二語の天国だから、これを区別する為の声調は当然必要だと言う事だ。

 

 

  

<中国語は4声調> 

 

左側の文字:高音→中高音→中音→中低音→低音

 

 


 ところが、韓国は当初中国語ではなく韓国語が四聲通攷でもないのに、訓民正音の後に出てきた。東国正韻にはあえて中国語を正しく表記する為の物と記録された。そして明の洪武正韻- 朝鮮四声通告 - 朝鮮訓民正音 - 朝鮮東国正韻の脈をみると、全て一つの脈を形成し、中国語を正しく表記する為であるという結論に達する。そこで、脈を否定し訓民正音のみを突出させ、民の為の問題創造という表現は詐欺ではないか?

 

 <今では伝わらない四声通告、中国にしかない声調を編纂した理由は?> 

赤い線:世宗の命令により、集賢展の学者達が編纂した漢字の発音辞典である。

 

 

 <訓民正音より少ない有名な東国正韻> 


赤い線:訓民正音創造後、当時の朝鮮の伝承・漢字音が混同され、これを正す為に統一された標準音を決める目的から・・・

 


 故に私は訓民正音が文字創造ではなく、東国正韻という最終結実の為の中間段階での発音記号という考えを持つので、理由を簡単に要約する。 
 

                                                         1.明の各地方の違う発音を統一する為の洪武正韻を編纂。  
2.洪武正韻の余波による朝鮮の漢字発音も明と同じくする為に、四聲通攷を編纂。 
3.発音の違いを明確に見せるには、第2他の記号が必要である。その為に古典を参照して中国語を表記する為の訓民正音を創造。 
4最終的な目標は、中国の発音に沿う為であった事と最終目的物が東国正韻に編纂。  

     


 その為に多くの人がハングルを世宗王が創造したと絶賛するのは、ホラを吹く話で世宗も民を愛する精神は最初からない。朝鮮を言葉から中国化する為に、先頭に立った売国奴で聖君に化かしたと私は見ている。