パタゴニアサーフ会議 in 奄美大島
早朝に羽田空港から飛び立った飛行機は無地に鹿児島空港に到着。
ただここからが遠かった。
南西諸島は梅雨末期の為、凄まじい水蒸気が奄美大島に集まっていた。
温暖化により近年よく見られる例の線状降水帯が奄美大島の南側にあり、ゆっくりと北上していて奄美空港に近ずいていた。
前日に夕方のトップニュースになるほどで、僕は飛行機は飛ばないんじゃないか?と脳裏によぎっていた。
そして、奄美大島行きのフライトは視界不良の為、欠航とアナウンスされ夕方の便に託したが雨雲レーダーや衛星写真を見るとどうやら夕方も怪しい。
奄美大島の西側から次々と雲が湧き出ており、島は発達した積乱雲に覆われぱっなしだ。
お昼を過ぎ、出発2時間前にやはり欠航のアナウンス。
今回はスタッフとアンバサダー合わせて9名ぐらいで行動していた為、手分けして他の航空会社の様子をみんなが調べはじめた。
するとJALは飛ぶと言う情報をつかみ、空港のカウンターとネット、両方で皆が座席の確保に動いた。
七転八倒の末、どうやら4席ほどの席を確保。
僕はロングボード2本を飛行機組に預け、残りのメンバーと共にフェリーで向かうことになった。
じつは僕は内心喜んでいた。
理由は6歳の頃、カリフォルニアから鹿児島に引っ越し、鹿児島幼稚園に通っていた経緯があって、フェリーから鹿児島市内を眺めながら行きたかったからだ。
鹿児島幼稚園
鹿児島市内の小高い山肌に10ヶ月ほど住んでいて、鹿児島湾と桜島を毎日見ていた。
空港からようやくタクシーをつかまえ、鹿児島港までおよそ40キロ。
しかし、タクシー運転手に聞くと出港時間までギリギリだと言う。
この時点で鹿児島市内に一泊もあり得るなと思った。
僕はますます喜んでいた。
間に合わなかったら、鹿児島市内の居酒屋にでも行こうと考えていた。
タクシー運転手は70歳ほどで、もはやアイルトンセナ状態で飛ばしはじめ、助手席に座っていた僕は恐怖で緊張していた。
そしてまたもやハプニング発生、JALはプロペラ機の為、機内のコンテナは狭くロングボードは載らないとの連絡が入った。
これは自分だけ空港に引き返すと思ったが、アンバサダーの一人が起点を利かしてくれて、明日でもいいので別便で届けてくれと頼み込み、事は終えた。
大雨はジェット機よりプロペラ機の方が安全らしく、一度はチェックインを通ったものの、カウンターの係の人も人々が殺到した為、コンテナが狭いことを忘れてしまったのである。
タクシー運転手はレーサー続け、そこに車内のビーズの香水がやけに匂い、恐怖と異臭の中、運転手さんを信じるのみだった。
フェリーのチケット販売終了まであと5分と言うところでようやくギリギリの滑り込みセーフ。
船内に乗り込み、チケット番号を見た瞬間にすべてのハプニングが飛ぶほど僕は体が震撼した。
あーまた始まった!!!!!!
じつは今回の会議、サーフミーティングで環境とビジネス展開、両方を話し合う会議だった。
僕が今現在、一番興味があるのは震災以降どうやったら原発なしでも電力をやっていけるのか?と言うことで、今年は飯田 哲也氏とパタゴニアストアで一緒に対談形式でイベントをやりたいと考えているのを環境部に相談することが僕の今回の最大のミッションだったからだ。
じつは、原発なしでも電力は充分足りている。
実際に震災後、原発は全て停止した。
これは古い火力発電を緊急発動したからだ。
あれから12年が過ぎ、日本各地で再エネが格段に普及し電力は足りている。
ただ、再エネは不安定な為、送電網の周波数が狂い、ブラックアウト(大停電)のおそれがある。
ようは例えば、川みたいにある一定量が規則正しく流れないと洪水が起こることに似ている。
あちこちに大型のダムや小型のダムがあり、それを河川に流す際、調整が必要ということに似ている。
それに加え、電力の新規参入が増えれば既存の電力会社の儲けが減り、不良債権と言っていい原発の維持や廃炉コストがやっかいになる。
そこに温暖化が加わり、ベースロード電源になる火力発電の依存を下げないといけないので、原発再稼働と言うシナリオが電力会社にとって都合が良いということになる。
そして、ウクライナ戦争が始まり、燃料費のコストが上がり、ほら!原発は必要と世論操作を仕掛けたように思える。
まとめると、電力は足りている。
送電網のやり方が古いと言うことになる。
つづく